「第五の謎」とバウムクーヘンの因果関係(Episode Ⅳ 終)
「……エイジ?どうしましたか?」
「ヒャッ……!?」
そこで突然、耳元で声が響いた。
奇声を上げながら振り返ると、右隣にレアの姿がある。
僕が推理の訂正をしているうちに、近づいてきていたらしい。
まあ、向こうから見れば、お茶を戻しに行った僕が、冷蔵庫の前で突然黙りこくってしまったのだから、心配となるのは当然だろう。
「エイジ、大丈夫ですか?お腹、痛いですか?」
本気で心配そうに、レアは小首を傾げる。
それこそ、もしここで僕が少しでも「痛い」と行ってしまえば、その瞬間にまた保健室に赴きそうな勢いだった。
慌てて、僕は手をひらひらと振って否定する。
「い、いや、何でもないよ。ちょっと、考え事していただけで……」
「カンガエゴト……もしかして、推理ですか!?」
ガバッと、効果音が付きそうな勢いでレアが身を乗り出してきた。
おおう、と僕は姿勢をのけ反らせる。
近すぎるのだ。
「何か、また面白い謎解きに気が付いたんですか?だったら、聞きたいです、私!」
「あー、いや、それは……」
──妙なところで鋭いな、レア。
いや、よくよく考えてみれば、そう飛躍した推測でも無い。
今まで、何度も僕はレアの前で、「突然推理を思いついてしまって黙りこくる」という、冷静に考えれば怪しすぎる言動を見せている。
ここで彼女が駆け寄ってくるのは、必然だった。
──だけど、今の推理を言うのもちょっとな……。
辿り着いた結論が結論なので、何となく言いにくい。
推測だが、例の真相を告げてしまうと、言った僕も聞かされたレアも、変に気まずくなる気がする。
気にしなければそれまでなのだが、全く気にしないのもそれはそれでアレというか。
だから────レアへの返答に困ってしまった僕は。
つい、逃げるようにして視線を冷蔵庫に戻し。
それから、ふと思いついた話題を、口に出していた。
「いや、その……今日のお菓子のことが、気になって」
「お菓子、ですか?」
きょとん、とした顔でレアが問い返す。
正直なところ、僕も同じ顔をしたい気分だった。
返答を急ぐあまり、自分でも意図が分からないことを口にしてしまった。
もしかすると頭の中に、二人が買ってきたお菓子を見た時の違和感が、残っていたのだろうか。
あの違和感を、意味なく、口にしてしまったのである。
今日買ってきたお菓子の中に、「あれ」が無い、という事を。
──ぶっちゃけた話、わざわざ言う事でも無いんだけどな……。ただ、何でもいいから言っておかないと、話が終わりそうにない気もする……。
そんな思考が、瞬時に脳内に浮かんだ。
だから、僕は言葉を止めず、そのまま続けてみる。
返答は、最初から期待していなかったが。
「ほら、今日は二人とも、たくさんのお菓子を……それも、色んな国のお菓子を買ってきてくれただろう?だから、少し疑問に思ったんだ。いかにもありそうな物が無いなあ、と」
「ありそうな、物?」
「そう、日本でも有名なお菓子だよ」
一拍、開ける。
未だに、声にするのには軽い抵抗があったのだ。
しかし、何時までのその抵抗に甘んじる訳にもいかず、結局は、はっきりと口にした。
「……バウムクーヘン、だ。あれが無かったから、少し不思議に思って」
そうだ。
お別れ会が始まる直前から、その点に、違和感があった。
バウムクーヘン。
僕にとってはトラウマを惹起するお菓子であり、世間的には、よく食べられるドイツ生まれの洋菓子。
それが、二人の買ってきたお菓子の山の中には存在してしなかった。
あれだけ、大量の洋菓子を購入していたにも関わらず。
最初は、そもそもにして二人が買った場所にバウムクーヘンは置いていなかったのかな、とも思った。
しかし……そうだとすると、購入された中にあった、シュトレンの存在が妙に感じる。
まず間違いなく、同じドイツ生まれのお菓子なら、シュトレンよりもバウムクーヘンの方が、日本での知名度が高いだろう。
シュトレンまで置いてある売り場なら、普通バウムクーヘンの一つくらい置いてあるのではないか、と感じたのだ。
それなのに、何故。
バウムクーヘンは買われていないのだろう、と。
……勿論、この疑問は難癖のような物である。
偶々売り切れていたのかもしれないし、置いてあったとしても神代やレアの目に留まらず、別に買わなくてもいいか、という判断になっただけかもしれない。
何にせよ、そう大した疑問では無いのは確かだった。
故に僕は、その疑問を口にした瞬間。
多分、レアは軽くこの質問を流すだろうな、と思った。
バウムクーヘンも置いてましたけど、それを買うと予算オーバーだったんですよ、とか。
最近食べたことがあったので、何となく避けたんです、とか。
そう言う、ごく常識的な解答がなされるだろう、と予想していたのである。
……だからこそ。
僕の疑問を聞いた瞬間、レアが「ああ、そう言えば」という、何かを思い出す顔をしたことに。
僕は、盛大に驚いた。
「……どうした、何かあったのか、レア?」
たまらず、問いかけてみる。
すると、レアは間髪入れずに、こう答えた。
「いえ、そう言えば、お菓子を買いに行った時、変なことがあったなあ、と思いまして……色々あって、あまり気に留めていなかったんですけど」
今になると、ちょっと不思議に感じますね、と。
軽く言い訳のような言葉を並べてから、彼女はその「変なこと」に言及した。
「……実は、私たちが買いに行った時に、バウムクーヘン、置いてました。私も、それを買う気でいて……だけど、マコトが買うのを止めたんですよ」
「神代が?」
それはまた、何故、と思う。
個人的な好みで言えば、そこでバウムクーヘンが購入されなかったことは、僕にとって幸運だったが──変なことを思い出さなくて済むからだ──それにしたって、不思議な判断だった。
何故神代が、そこでバウムクーヘンの購入を止めるのか。
一応、お別れ会の主賓であるレアが買いたいと言っているのに。
「……神代、バウムクーヘンが嫌いだったりするのか?或いは、アレルギーがあるとか?」
とりあえず、有り得そうな可能性を羅列してみる。
だが、そのどれにも、レアはふるふると首を振った。
それから、不思議そうな口調で、こう告げた。
「確かマコトが言うには……エイジが、困るだろうから、と」
「え……僕が?」
「はい。『桜井君が困りそうだから、バウムクーヘンを買うのは止めましょう。彼はこれを嫌いだろうから』、みたいに言っていました」
エイジ、あれ、どういう意味だったんですか、と。
話している内に疑問を覚えてきたのか、レアの方も疑問符を浮かべる。
……しかし、レアには申し訳ないが、その疑問に付き合っている暇は無かった。
何故かと言えば、間違いなく、レアが浮かべているであろう疑問符の数を上回るだけの疑問が、僕の中で湧いてきたからだ。
──「桜井君が困りそうだから」……?何で、彼女がそんな言葉を?
意図せず口元に自分の手を添え、その場で考え込む。
現状を、確認しておきたかったのだ。
……まず、僕が、バウムクーヘンを嫌っているのは事実だ。
最近は少しマシになったとはいえ、それでも苦手なのに変わりがない。
だから、神代がその場で言った言葉は、実に正しい。
その場でバウムクーヘンが買われていたら、お別れ会が始まった途端、僕は少しばかりブルーになったかもしれないからだ。
しかし────何故。
何故、彼女が、そんなことを知っているのか。
……どうやって神代は、僕がバウムクーヘンを嫌っている、という情報を手に入れたのか?
これは、どう考えてもおかしい。
だって僕は、そのことを誰にも言っていないのだ。
今日、ここに来るまでに確かめたことだが、結婚式関連の大体の事情を話した深宮に対してすら、僕はそのことを言っていない。
無論、両親にも告げたことは無い。
言ったところで、ドン引きされるだけだと分かっていたからだ。
要するに、当然のことではあるのだが、「桜井永嗣はバウムクーヘンを嫌っている」という情報を知っているのは、僕一人だけである。
それを、どうやって神代が知ったのか。
混乱する。
因果関係が分からない。
思考は堂々巡りを繰り返して────その中で。
ポン、と新しい観点の思考が浮かんだ。
──……いや、この場合、逆に考えればいいのか?何故神代がそのことを知っていたか、というよりも、神代がどういう人物なら、この情報を知っていてもおかしくないかを考えれば……。
ある種の、逆転の発想。
前提を変えてしまえば、結果に添うかもしれないという、とんでもない暴論。
しかしその暴論が、僕の推理、さらにはこれまでの記憶を凄まじい勢いで活性化させる。
そのせいなのか────頭の中で。
今まで、神代に関して不思議だと思っていたことが、次々と浮かんできた。
唐突に始まった、「四つの謎」。
自ら答えを知っていたにも関わらず、何故か知らない振りをされた「第一の謎」。
レアに指摘された、「四つの謎」のおかしさ。
明らかに、最初は中身を考えておらず、急遽当て嵌められたであろう謎たち。
最初は普通だったのに、「三・五番目の謎」の最中、不意に無口になったこと。
ドキドキ、ハラハラとか言っていたか。
先程聞いた来期の生徒会選挙に出ない、という事実。
さらに極めつけの────バウムクーヘンに関する話を、知悉している事。
他にも色々と疑問はあったが、そのあたりがぐるぐると頭の中で回って。
回って。
回って────。
──丁度、私と永ちゃんみたいな関係かな?
思考が回り切った末に、最後に思い出したのは。
皮肉にも、百合姉さんの言葉だった。
そして、この言葉を思い出した瞬間。
神代の正体、すなわち、彼女の言う「第五の謎」が。
一瞬にして氷解したことを、僕は自覚した。




