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消失③

「そんな……嘘でしょう?」

 ディーネは声を震わせながら、尋ねる。心の中では、まだクリスから「もちろん嘘だ」という言葉が返ってくることを期待していた。



(こんなの嘘よ。だって、あのクリスさんが……、あれほど私に対して献身的に、何の見返りもなく尽くしてくれたクリスさんが……)


 けれどクリスは彼女の懇願を拒絶するように下を向き、視線を合わせようとしない。


「クリスさ……」

「いつまで、これを見ている? そなたが見ていい男も、話しかけていい男も私だけだ」

「っ!」

 ラーゼミンはディーネの顎をつかみ、自分のほうへ向けさせる。そこには背筋が凍りそうなほど、怒りに燃え立つ瞳があった。


「この艶やかな瑞々しい唇は美しい声で我が名を呼び、私だけと語り、口付ける為にある。覚えておけ」

「……」

 気圧されたディーネは呆然としながら、見つめ返すしかない。すると彼は目元をわずかに和らげて「それでいい。しばし待て」と言った。


 そして、即座に抜刀する。

「変わらず服従しているように見せるなど、白々しいぞクリス。貴様は、この麗しい女神の姿を見ただけで万死に値するが、それだけではない。ヒュレイア戦争の混乱に乗じて姿をくらまし、この私を裏切って王軍についた」

「!」

(『裏切って』というのは……。ではクリスさんは本当に反乱軍側だったということなの……?)


 衝撃で動けないディーネを抱いたまま、ラーゼミンはクリスに剣を振りかぶる。それなのにクリスは無抵抗で、微動だにしていない。


「っ、やめてえ!!」

 思わずディーネが悲鳴を上げると、寸前でラーゼミンの動きが粗く止まった。

「何故これをかばう? 理由を言え、女神」

 苛立ちを隠さない、冷たい目付きで問われたが、まだディーネには僅かな冷静さが残っていた。



「私は、ただ……誰かが傷つくのを見るのは嫌なだけです。お願いです、彼は私の預かりにして下さい」

(どうせ逃げられないなら。クリスさんの命を助けるには、こうするしかない)


「これが――この男が欲しいだと? 我が前でよく、そんなことを口に出来るものだ」

「私は彼を男性として見ているのではありません。……使い勝手の良い人形にしたいだけです」

「……」


 相手を怒らせないように言いつくろえば、恐ろしい沈黙の後でラーゼミンは頷いた。

「いいだろう。愛しい女の願いだ、不快だが、その程度の頼みならば聞いてやろう。

 だがクリス、図に乗るなよ。私はお前を許したわけではない」

「心得てございます」

 あくまでクリスの態度はうやうやしかった。


 そしてラーゼミンは鞘に剣を戻しながら、

「これより我が城へ共に戻るとするが、その前に寄りたい場所がある」

 と言った。


 それを聞き、ディーネは一層の焦りを覚えた。

(このままでは本当に連れていかれてしまう! この森では誰の助けも望めないもの)

 

 まず、クリスやココが助けてくれるはずがない。それは確実といえた。

 また奇跡が起こってレオール・ウォールデス、ロードナー兄弟が――ザクタムに関してはフィラルリエット家にいるだろうから不可能だが――彼らの一人でも、ディーネの危険を察知して、こんな所まで駆けつけてきてくれることは無いに等しい。


(誰も助けには来てくれない。一国の王であるレオール様が、そのかけがえのない身を危険に晒すはずがなく、側近達もそれを許さないだろうし。側近は王を守る為、傍を離れない。

 それにウォールディス様は病ゆえ、ここまで足をのばすことはない。

 となれば可能性は限りなく低くても、どうにかして自力で逃れないと……。彼の城に入ってしまったら、もっと逃亡が困難になるわ)

 

 ディーネは苦悩していたが、次のラーゼミンの声にハッとなった。


「それでは、神力を少し頂こうか。私が溜めていた神力は、ここに来るのに使ってしまったからな」

 いきなり手を取られたと思う間に、その甲に口付けられる。

「っ、あ!」

 途端に身体から力が抜けた。ディーネは立っていられず、ラーゼミンの胸にもたれかかる。

(触れるだけで力を取られた……)


「ほう、流石に素晴らしい。一気に活力がみなぎった。

 行くぞ、クリス。近くに寄れ」

「はっ」

 クリスが傍に来ると、間髪入れずにラーゼミンは三名の周囲に風を起こす。今まさに彼女達の身体が、移動魔術によって別の場所へ運ばれようとしていた。


 その時、それまで黙ったままで成り行きを見守っていたココが叫ぶ。

「貴女なんて、敵方に攫われて、酷い目に遭えばいい!!」

「……コ、コ様……」

(それで貴女は幸せになれるというの?)


 ディーネは意識が朦朧としていたが、かすむ目の先にココの青白い顔を捉えた。

「そうよ、私は彼に貴女をおびき出すように頼まれて、その言葉に従ったの」


 ココの表情が、更にディーネへの憎悪で歪んでいく。

 

「貴女は危険を警戒しているようでいて、つめが甘いのよ。恋敵の持ってきたお菓子を食べたり、のこのこ人気のない場所についてきたりね。でも、もう貴女もお終いよ。私に恥をかかせた罰を存分に受ければいいわ!」


 



**


 周囲に強烈な風を感じた後、ぼやけた視界で目をこらせば、そこには見知らぬ町が広がっていた。フィラルにも劣らない、落ち着きがあって整然とした、歴史を感じさせる美しいところだ。続く石畳、広場の中心にある噴水、行きかう人々。それは平和な光景だった。

 ようやくディーネはラーゼミンの腕から逃れることを許され、よろめき、目の前の噴水を囲む石の上に座り込んだ。

 この町にラーゼミンが何の用があるというのか分からず、彼女は気が遠くなりそうなのをこらえ、ラーゼミンを見上げると、


「これより私が世界の新王となる前祝いを行う。

 女神よ、よく見ていろ。すぐに、圧倒的な力と恐怖こそが人を支配するということが分かるはずだ」

 と、言い放ち、ラーゼミンは並ぶ建物に向かって、自らの掌を向けた。

 あっという間に彼の片手から炎が飛び出し、それは通りを歩いていた人々を巻き込みながら、家に燃え移った。


「きゃああああ!」

「うわあああああ!」

 人々から悲鳴が上がる。突如として燃え上がった炎に戸惑い、驚き、泣き叫び、町の人々は混乱状態に陥った。広場を縦横に逃げ、お互いにぶつかり合い、罵り合っていた。



「はははははは! 何という威力!! これが圧倒的な神力の用い方だ!!」

「っ、やめてええええええ!!」

 一時ディーネは恐れも忘れて、ラーゼミンの蛮行を止めようと、男にすがりつく。



「素晴らしい眺めだろう、女神。立派な町を焼く炎には、比類なき美しさがあるとは思わないか?」

「いやあああ」

(この男にとって、全ては遊びなんだわ。この地が王軍に属そうが、反乱軍側であろうが関係ない。何もかも、自分の掌の中で好きに転がせる、ちっぽけな物なのよ……!)


(クリスさん、この男を止めて、消火させて!)


 懇願の眼差しを向けても、無慈悲なクリスはラーゼミンに対して跪いたままで、こちらのことは見ないふりだ。

(そうだったわ、もうクリスさんは変ってしまったのよ。いいえ、それともクリスさんと私が出会った時から、私に心を許してなどいなかったのかもしれない)


 失意で、ディーネはクリスから顔を背ける。涙が溢れた。

 しかし、泣き崩れてばかりではいられない。何とかして炎を消さなければ、町が焼失してしまう。

 彼女は自らの心を叱咤し、よろよろと立ち上がった。

 炎は、ますます大きくなる。火の粉が次々と眼前まで届く勢いで飛んできた。

「熱っ」

 炎が帯びる熱で全身が熱い。熱い。熱い。

「それ以上は近付くな。そなたの綺麗な肌に火傷が出来る」

「もう、やめて……」

 ディーネは気が遠くなりかけ、ラーゼミンの存在が遠くに思えて、代わりに別の声を思い出す。


『――――――そなたの身体が熱に飲まれる時、或いは思い出すことが出来るだろう――――』

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