王城⑮
「このデッサンは、ある画家が絵を描こうとして、どんな場面にするかを決めあぐねて書き散らかした物なのです。その絵の制作に王は乗り気ではなかったようですが、ここ最近は明るい話題が無かったこともあり、周囲の説得があって王が特別に許されて依頼したのですわ。
制作中は王の許可があったので、王や騎士たちの日常生活を間近でデッサンすることが特別に黙認されていたからこそ、このように正確なデッサンが残されたのです。ちなみに完成した物は王城で開かれた舞踏会の絵で、こちらの大広間に飾られています。
それで、その画家ですけれど。以前から彼はルーン家と懇意にしているので、このデッサンを私が買い取ることが出来たのです。……ディーネさん。貴女、私の話をきちんと聞いていらっしゃる?」
「とても素敵な絵で、惚れ惚れしてしまいますわ」
「………………聞いていないようね。もう結構よ」
(この絵が私の手元にあったなら、毎日マルクが私の側にいなくて寂しくても、戦地に赴いた彼の身がどんなに心配でも、きっと乗り切れる気がする!
でも、こんな物欲をココ様の前で露骨に出すのは、はしたないわよね。それに私がマルクを好きなことが彼女を通して人々に知れ渡ったら、正式な婚約前なのに大貴族の彼に迷惑をかけてしまうかも。それは嫌だわ)
そう考え、敢えて視線を向けないようにすると、その間にココは紙を全て手際よく丸めて、筒に仕舞ったのが見えた。欲しい物が見えなくなったのを見て落胆したディーネだったが、ココが大きな声で話しかけてくる。
「ねえ!!」
「っ何でしょう?」
「私の、ちょっとしたお願いを叶えて下さったら、このデッサンを差し上げても宜しくてよ。うふふ、貴女のその御顔。どうせレオール様のデッサンが欲しくてたまらないのでしょう?」
「えっ、筒ごと全て下さるのですか!?」
(全部もらえれば、私が好きなのがマルクだと特定されることはないでしょう。しかも、マルクのデッサンは私の物になるんだわ! ああ。これから、どうしましょう。朝起きたら眺めて、昼食が終わったら隙を見て眺めて、夜寝る前に眺めて。なんて素敵な生活かしら!!)
「全て? ま、まあ宜しくてよ。…………………上品な私は貴女のような、ごうつくばりの庶民的根性には付いていけませんわ………………」
「嬉しい! 私に出来ることでしたら、何だって致しますわ!!」
言質を取ったので、うきうきしながらディーネが豪語すると、にんまりとココは笑う。
「では私、陛下と二人きりの茶席を設けたいんですの。貴女は私のことは出さずに上手く頼んで、あの御方を呼び出して下さいませ。場所は、この城庭で結構ですわ。お忙しい陛下に移動のご足労を願うのは間違っておりますもの」
「……茶席でございますか?」
(変ね。確かココ様は王妃になる予定ということだったわよね。王と親しいのであれば、茶席なんて私に頼まずとも王に直接申し入れれば快諾してもらえるのではないかしら)
「どうか邪推なさらないでね。実は陛下と私は少し喧嘩をしているのです。ですから、私からはお誘いが難しい状態なのですわ。でも、早く仲直りして元に戻りたいんですの。貴女なら分かって下さいますわよね、この切ない恋心を……」
「痛いほど分かりますわ! かしこまりました、協力させていただきます」
(彼女も私と同じような気持ちでいるのね。愛おしい存在と距離があるなんて、悲しいに決まっているわ)
ディーネはマルクと離れ離れになっている我が身とココを重ね合わせ、令嬢に力を貸そうと決めた。
「ふふふ。嬉しいわ。もうすぐ陛下と私の二人きりでお茶が飲めるのね」
ココは立ち上がって窓辺に行き、薔薇の庭を目を細めて見やる。
「ときに貴女の護衛のことですけれど」
「?」
「この下に立っている騎士のことですわよ。紫の瞳と黒髪の組み合わせは北部出身者に多いわ。私、嫌ですの。戦争している北部の者をこの王城に入れるだなんて汚らわしい。あの者は今、この城の内部情報を敵に流しているかもしれませんわよ」
(北部……。ラーゼミン派の治める地方のことね)
ココが顔をしかめて話しているのがクリスのことらしいと分かってきて、ディーネは苛々した。
「おやめ下さい。彼のことをまるで間者のように仰るなんて、いくらココ様でも聞き逃せません」
「ど、どうなさったの。そんな怖い顔をして。貴女が信じるなら私もそう致しますから、怒らないで下さい」
「あ、申し訳ございません。怒ってなどおりませんわ」
「……驚かせないで下さる? まったく貴女ったら、なよなよしているばかりかと思っていたけれど、そういう表情もするのねえ。そろそろ私は失礼することに致しましょう。朗報をお待ちしていますわ」
と、ココは立ち上がりながら言い、部屋を出て行った。それを見送ったディーネは机から紙とペンを取り出す。
(では早速、王に予定が合うかを聞いてみましょう)
さらさらと紙に書きつけ、ちょうど現れたアメイラに王への手紙を渡した。
「この手紙を陛下に渡してもらえますか?」
「まあっ、貴女様から陛下にお手紙でございますか!!」
女官長は喜色を見せて叫んだ。
「これからも沢山書いて差し上げて下さいませ!!」
「え……、そうですか」
ディーネはアメイラの反応に理解が追い付かなかったが、頷いておく。
そのまま女官長は手紙を届けに行き、すぐに戻って来た。
「お返事をいただきました!」
「まあ、ありがとうございます」
(存外に早かったわね。しかも手紙で返事をくれるなんて)
そう思いながらディーネは封を開ける。そこには『喜んで参上する』とだけ、書かれていた。
「まあ、良かった! ココ様にお知らせしないと」
順調な滑り出しにディーネは微笑み、再びペンを手に取った。




