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王城⑭

 侵入者が去っても心乱されたままのディーネだったが、彼女の身体のほうが先に限界を迎えた。眩暈がして、視界が霧のかかるように霞んでくるのだ。まるで現実世界にいるのではなく、夢の中にいるかのようだった。


(本当に夢だったら、どんなに良かったか)


 だが、先程の出来事は夢だったと判断するには難しく、男に告げられた情報が事実としか思えなかった。



(でも、それより今は横になりたい……)


 考えることを先送りにして、ディーネはアメイラのほうに近付く。すると、ディーネの足音だけで女官長は目を覚ました。



「えっ!? ディーネ様、いつの間に起き上がられて、そちらに?」

「…………ほんの少し前です」

「私は、だいぶ長く眠っておりましたか? 申し訳ございません……。強い眠気覚ましを飲んで待機しておりましたのに」



 アメイラは不思議な反応を見せた後、具合の悪そうなディーネを寝台に座らせた。そして汗をかいた彼女の身体を濡らした布で拭き、水差しから水を杯に注いで手渡してくれる。



「ありがとうございます」

 それからディーネが礼を言って、喉の渇きを潤している間に、女官長は汚れた布を持って扉まで行った。



「あらっ、急に扉が固くなったわね。エル!」


 扉が開かないのは、施錠が問題だったからではなかったらしい。アメイラは騒ぎ立て、強めに扉を叩く。

「いかが致しましたかっ」

 すぐに外から反応があって、エルの声が聞こえた。あれほどディーネが扉を叩いた時には気付いてもらえなかったにも関わらずである。



(エルさんもアメイラさんも、よく寝ていたのね。いえ、誰かによって眠らされていた……?)



「扉の調子が、おかしいのです。一応聞いておきますけれど、貴女は何もしていないわね?

 ……良いわ、どいていなさい。私が蹴破って開けます。――――はあっ!!」

 こうしてアメイラの見事な一蹴りにより、ようやく扉が開いたのだった。



「エル、朝になったら扉の交換の手配をしなさい。

 申し訳ございません、ディーネ様。明日には扉を元通りに致しますので、今夜は壊れたままで我慢して下さいませ」


「私のことは気にしないで下さい」


 

(もしかしたら、全ては先程の男神が使った術のせいかもしれないわ。彼が女官長やエルさんを深く眠らせて、扉も故障させた……。そういえば、ここは魔術を使えないようになっていると聞いたけれど。神力は魔力とは別物なのかしら?)



 浮かんでくる疑問は多かったが、あまり深く考える気力は無く、ディーネは諦めて目を閉じた。







**


 三日後。かなり体調の回復したディーネのところに、笑顔で見舞客がやって来た。ココである。

 ディーネは最低限の身なりを整え、寝台から上半身だけ起こしてココを迎えた。客のココには寝台近くに椅子で座ってもらう。



「はい。どうぞ」

 開口一番、ごてごてした大きな花束と、美味しそうな甘い香りのするお菓子の入っているらしい包みを渡された。ディーネは全てティーユに回すと、それらを持って女官は席を外す。だから、すぐにココと二人きりとなった。



「ほとんど、お元気そうですわね」

「ええ。おかげ様ですわ。明日には完全に起き上がりたいと考えております」



「それは良かったわ。ここ二日、私ずっと貴女を庭でお待ちしていたのです。でも全然お見えにならないから、妙だと思って貴女付きの女官をしつこく問い詰めたのですわ。そうしたら貴女が臥せっていらっしゃるということじゃありませんの。大変心配して、すぐに見舞いに駆けつけましたのに、先程の女官に『貴女様に風邪が移るといけませんから』って何度も部屋の前で断られましたのよ? 私は平気だと申しておりますのに!

 あの者は女官としての礼儀がなっていないですわ。重い罰を与えたほうが宜しくてよ。なんなら私が貴女に代わって――――――」



「彼女はココ様のご健康を損なわないよう配慮しただけかと。

 私から充分に注意しておきますので、ご容赦下さいませ」



 あまりにココがティーユに対して怒っているので、心配になってり成す。こんなことで優しい女官を傷つけられたら、たまらないとディーネは思った。



「お友達の貴女がそう仰るなら、ここは収めましょう。でも、あの者が次に無礼を働いたら許しませんことよ」


 ココが冷笑を浮かべる様子を見て、ディーネは背筋が寒くなった。



(あまりティーユさんをココ様に近付けないようにしたほうがいいわね)



 そう思ったそばから、ティーユがお茶と焼き菓子を載せた、車輪付きの台を押して戻ってくる。はらはらして見守るが、ココはティーユを睨むだけで何も言わなかった。美しい令嬢は、大きな白い羽根で作られた扇だけをゆっくりと動かしていた。

 気まずい沈黙に、ディーネはため息を吐きたくなる。その間にティーユと共に部屋に入ってきていたエルが、花瓶に贈り物の花束を上手に活け、ティーユと一緒に下がっていった。



「こちらのお菓子は当家の専属料理人が作ったものですから、味には自信がありますの。ですからディーネさんに是非召し上がっていただきたくて。どうぞ、お上がりになって」


 

 令嬢の言葉通り、見た目はとても美味しそうなクッキーだ。丸い形も揃っていて、綺麗である。



(王城では気軽に物を口に入れるな、とアメイラさんに言われているけれど。エルさんが出してきたのだから、大丈夫よね)



 エルとティーユは普段のディーネの食事を毒見してから出してくる。そこまでしなくても、とディーネは思っているが、聞き入れてはもらえなかった。万一の時の用心の為ということであった。



「ありがとうございます。いただきますね。……香ばしい良い匂い」


(かなり見られているわ。食べにくい……)


 じいっというココの強い視線を口元に感じつつ、ディーネはクッキーを口に運ぶ。そして、



「サクサクしていて、とても美味しいです」


 と、クッキーを一つ飲み込んだ後で感想を言うと、ココは破顔した。

 

「まあ、良かった! 沢山ありますから、もっと召し上がって」

「ココ様も、ご一緒にいかがですか」

「いただくわ」



 お喋りに興じながら、ココは優雅な仕草でクッキーに一つ二つと手を伸ばす。


「ディーネさん。実は私が持参した物はお菓子と花束だけではございませんのよ」

「え?」


(それって、その足元に置いた怪しげな黒い筒のこと……よね)



ディーネはココが部屋に現れた時から筒のことが気になっていたので、ついに来たと思った。

令嬢はナプキンで唇と指先に付いた菓子の粉を拭い、声を潜めて言う。



「とても貴重な物なんですの。御覧になりたい? なりたいでしょうね?」


 質問の形は取っているが、有無を言わせない口調である。



(「別に結構です」と伝えたら、どうなるのかしら)


 

「勿論、拝見させていただきたいですわ!」

「でしょうね。貴女って、好奇心が抑えられない性分に見えますもの。飛びついてくると思いましたわ」



(無理してお願いしたのに……。随分な言われようね)


 気持ちは良くなかったが、ディーネは我慢して笑顔を保つ。



「ふふ。見たら驚かれると思いますわ」


 ココは黒い筒から、質の良くない紙を何枚か取り出して、寄こしてくる。



「っ、これは!!」


 受け取ったディーネは思わず息を飲んだ。


「…………なんて素敵なの!」



 その紙には誰の手によるものなのか、黒く粗い線だけでマルクの姿を生き生きと写し取ってあった。王たちと談笑するマルク、馬を駆るマルク、食事するマルク、剣を振るう凛々しいマルク……。ディーネは美しいマルクの絵をうっとりして見つめる。



「ディーネさん、違うでしょう!! 私が見ていただきたいのは、こちらの一枚よ!」


 ディーネの予想外の動きに我慢出来なくなったのか、ココが横から腕を伸ばしてきて、紙をめくった。



「ほら! どう?」

 現れた二枚目はレオールに焦点が当てられていた。続いて、更に下の紙にはロードナー家の兄弟や、見知らぬ美しい騎士たちが描かれている。



「こちらを見ると、レオール様の麗しさに圧倒されませんこと? 例えば、このデッサンを見て御覧なさい。男らしくて固そうな胸板じゃありませんか。この胸に強く抱きしめられたら、どんな気分になるのかとか思いませんの? きゃあっ。私ったら、破廉恥なことを!」




(マルクの胸板……! そういえば確かに、がっしりとしていて固かったかも。あの胸に何度も閉じ込められて、接吻を強要されたのよね。彼に抱擁された時のことをいつでも思い出せるように、抵抗しないで全てを堪能しておくべきだったわ。…………あっ! 私、とても恥ずかしいことを考えているみたい!)



「それから、この髪を風に流して馬を疾駆させている王の御姿! こっちの、滅多に笑われない陛下がご友人と楽しげにしていらっしゃる様子も良いですわよね。はあ~~、目を奪われますわ」


「ええ。目の保養ですわね」



(マルクったら、本当に素敵……。実物のほうが、もっと素敵だけど。

でもでも、この一枚がすごーく欲しいわ!! 他の紙は、どうでもいいから。どうしたらココ様は私に譲ってくれるお気持ちになるかしら!)



 この地上に来て初めて、ディーネは強烈に欲しい物と出会ったのだった。

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