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王城⑪

「クリスさん。この通り、私は守りの強い王城におりますから、貴方はマルク様のお屋敷を守られたほうが宜しいのではないでしょうか。あちらにはマルク様の大事なお母様もいらっしゃることですし」



 ディーネが話を切り出すと、


「フィラルリエット家には戦地に行かなかったザクタムや兵士がおりますし、門には番犬たちがいるのでご心配には及びません」



 と、取りつくしまもなくクリスに言われたが、ディーネも負けまいと言い返す。



「ですが、私の護衛で貴方が取られてしまうと、ザクタムさんも休めません」


「ザクタムは手を抜いて仕事をするのが上手な男なので平気ですよ。それに最近、番犬たちを使って何かを企んでいる感じがあるので退屈はしていないでしょう」



「企み、ですか?」


「ええ。昨日、見たところ犬達が以前より少しですが大人しくなっておりました。犬達の牙を完全に抜いてしまうと、番犬としての役割を果たさなくなるので、今朝ザクタムに注意したのですが。

 しかし閣下とお嬢様のフィラル旅行の時から、犬の訓練をさぼっているだけなのかもしれません。まったく仕方のない奴です」



 クリスの話を聞きながらディーネは、ザクタムの太陽のように明るい笑顔と、昨日の(やいば)のような姿との両方を思い浮かべた。そして、静かに呟く。



「ザクタムさんは今からでも戦地に行きたいと言っていました」


「……知っております。閣下も、あいつの気持ちは当然ご存知でした。でも戦地に連れて行かなかった。それが全てです。大体、もし本気で戦争に参加したいなら、昨日私が門番をしている時にでも勝手に行くという方法もあったのですよ。でもザクタムは、そうはしなかった。そうやって戦地に着いたところで、閣下の怒りを買うだけだと、あいつも分かっていたからでしょう」



「そうですか…………」


 ザクタムを王都に残すことがマルクの決断だというならば、それをディーネが安易に覆すわけにはいかない。単にクリスを彼女の護衛の任から解放するだけでいいというわけではなく、難しい話であった。



「お嬢様がザクタムの我儘のことで悩まれる必要はございませんよ。あいつのことは放っておけば宜しいのです。ただ…………」


「何でしょう?」


 クリスが言い淀んだので、ディーネは先を促した。



「ザクタムに門番ばかりさせるというのも確かに酷なので、お嬢様さえ良ければ時々あいつにも貴女様の護衛をしてもらおうかと考えております。ザクタムの腕は確かですし、お嬢様の護衛なら甘んじてやるでしょう」



「でも私は彼に疎まれている気がしますが……。それに、それでは貴方もザクタムさんも休む暇が無いでしょう。私のことはいいので、貴方がたは――――――」



「『私のことはいい』? ご冗談を。何より一番優先すべきなのは御身の安全です、女神」



 

 最後は声を低くしたクリスは言う。『女神』と久しぶりに呼ばれてディーネは驚いた。



「貴女は、ご自分が女神であるということをもっと強く自覚すべきです。御身の持つ力を利用しようと思ったら、どこまでも人間は残酷になれるのですよ。もし貴女が誰かに捕えられるようなことがあれば……」


 そこでクリスは、何か恐ろしいことを思い出したかのように青ざめた。



「クリスさん? 大丈夫ですか?」



「問題ございません。見苦しいところをお見せしました。……とにかく貴女はご正体を隠して、誰よりも守られていて下さい。本来であれば、強い護衛の数をどんなに増やしても足りない位です。ですが今は戦時で男の数も足りませんし、仰々しい護衛は逆に周囲の目を引いてしまいます。今は、この状態で我慢致しましょう。

 しかし、ここは王の目が近くにあって、優秀な近衛もいるので、どこよりも安全と言いたいところですが、ご自身でも常に警戒することを忘れないで下さい」



「分かりました」



 クリスの真剣な様子を見て、ディーネは彼の警告に従おうと思う。


「あと、クリスさん……」

「何でしょうか」



 彼女には、他にもクリスと話したいことがあった。



「私の神力についてなのですが、貴方は私の肌に直接触れたから分かったと言っていましたよね。では、もし貴方のように神力を感じられる人が他にいても、肌の接触さえ防げば私の神力は隠せるということでしょうか?」



 ディーネは「そうですね」というクリスの肯定を期待していたが、彼の返答は僅かだが違うものだった。



「そうであれば良いと思います。惑いの術が掛けられている貴女の神力をまさか触れずに察知するだなんて…………、そんなことが人間に出来るとは思いたくありません」



 クリスは感情を隠すように、紫の瞳を伏せる。



(やっぱり。クリスさんは何かを恐れているみたい)



 先程から彼の様子がおかしいので、そうディーネは確信した。



「クリスさん。何か不安などがあったら、私で良ければ言って下さい」

「……申し訳ございません。今は、まだお伝え出来ません」



 どこかで見たことのある、彼の暗い顔にディーネは驚く。それはフィラルリエット家の図書室で見た、

辛く悲しげな表情であった。どうやら今クリスの心にあるのは、いつか教えてくれると話していた彼の過去に関係するのかもしれないと思う。であるとすれば、無理に聞き出すことははばかられた。

 すると逆に、向こうから問われる。


 



「お嬢様。私も貴女に一つ、お聞きしたいことがございます」

「何ですか?」


「陛下の件です。貴女は……閣下という御方がいらっしゃるというのに、陛下へ心変わりをされた、ということはありませんか?」



 クリスの辛辣な視線と口調に、ディーネはたじろく。けれど、この質問に対しては彼女には何の迷いも無かった。



「ありえません。私は心からマルク様を愛しております」


 はっきりと答えれば、クリスは、



「それならば結構です。大変失礼なことを口に致しまして、申し訳ございません」


 と、安心したように言った。



 そこで、部屋の扉が軽く叩かれる。

「ディーネ様。そろそろ、お切り上げ下さいませ」


 女官長の声に、ディーネとクリスは腰を上げた。



「最後に一つだけ。ザクタムには貴女に不敬な態度を取ることがないように注意しておきますが、もし何かされたら遠慮なく私にお知らせ願えますか。そんなことが二度と出来ないように懲らしめますので。あいつは今、荒れているみたいなので、あまり近付かないほうが宜しいですよ」



「はい。何かあれば言いますね……」


 せっかくクリスが忠告してくれたものの、まさか「もう接吻されそうになった」と言うことは出来なかった。

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