王城⑩
ザクタムに脅された後の明朝。ディーネが重い気分で窓部に近付く。ゆっくりカーテンを開けると、いつもの場所にクリスの姿があった。やはり彼は油断なく周囲に鋭い視線を投げているのが分かる。
昨日ザクタムに「人を簡単に信用するのは愚かだ」と言われたことを思い出し、部屋の中心まで後ずさりしそうになったが踏み止まる。そしてクリスがすぐ気付くように、彼女は窓を開ける音を出した。
するとディーネの期待通りにクリスは顔を上げ、彼女の立つ窓を見てくる。その時に彼は『ディーネが無事そこにいて安心した』というような表情を見せた。
「……っ!」
(彼があんな顔をするのは、私の身を案じてくれているからではないの?)
王以外の男子禁制ということで、クリスにはディーネの部屋の周囲に来てもらうことすら出来ず、近くに行って話すことすらままならない。それでもクリスは心からディーネを守ろうとしてくれている気がした。ただ立って、ディーネの元気な姿を窓から見られるまで、気を張り詰めて待っているらしい献身的なクリスをどうして疑うことなど出来るだろうと思う。
(誰に何と言われても私は信じるわ、クリスさんを)
決心すれば、自分が今日すべきことにも素直に向き合える。
「頑張って後で時間を作って、そちらに行きますね」
この距離では彼女の言うことなど聞こえないだろうが、ディーネは呟いた。クリスは不思議そうな顔で彼女を見上げている。その様子が何だか面白くて、ディーネは微笑んだ。
朝の清涼で穏やかな風が、気まぐれに彼女の長い髪を横へ流す。また太陽も風に負けずに自分の子らを遊ばせ、きらきらした微細な光がディーネの髪の上を自由に跳ねて喜んでいるかのようである。片耳に髪を掛けながら彼女は辺りの眩しさに少し目を細めた後で、下にいるクリスの頬が少し赤くなっているのに気付き、首を傾げたのだった。
それから午後になって、ディーネは詩の教師から望む言葉を引き出すのに成功する。
「『——————優しく強い貴方の剣は真を問い、愛の力で振られる。私は初めて恋を知った』」
「素敵です。本当に最初よりも、ずっと上手におなりですわ、お嬢様。これは何かご褒美を差し上げたいところですわね。貴女様は、ずっと頑張っていらっしゃいますし……、ご褒美に関して希望はございますか?」
詩を詠むのに苦戦すること数日にして、ようやくディーネは詩を最低限の形にする術を身に付けたようであった。
(それにしても、この先生が作れと言うのは恋に関する詩ばかり。他のは当面必要ないでしょうって、どういうことかしら)
尋ねたいと思ったが、我慢していた気持ちが先行する。
「それでは、私を護衛してくれている騎士様と話す時間を頂きたいです。いつものお礼を言いたいので……」
「クリス様ですわね、フィラルリエット家の門番の。そうですか、あの御方に会うのなら恐らく女官長様もお許しになるでしょう」
「でも、以前は断られてしまって……」
「そうなのですか? 私は女官長様とは親しいので、少し強く進言出来ますから、試してみましょう。失礼」
教師は立ち上がると、どうやら女官長が控える隣室に確認しに行ってくれた。彼女は割と直ぐに帰ってきて、
「今回だけ短時間ならば特別に、ということです。クリス様を呼び出す手筈を女官長様が整えて、お二人が会う部屋も用意して下さるそうなので、準備が整ったら参りましょう」
と、言った。
「先生、お見事です。ありがとうございます!!」
久しぶりにクリスと話せると思うと、心が弾むようだった。——————彼と至急話さなければならない用件の一つはザクタムのことだったが。
**
アメイラ達が用意してくれた部屋は、どうやら王城にある応接室の一つのようだった。背の低い横長の卓に、向かい合わせに柔らかい長椅子がしつらえてある。
「私は隣室に控えておりますので、御用の際は呼び鈴を鳴らして下さい。————まさかとは思いますが、くれぐれも間違いのございませんよう」
対面で座ったディーネとクリスにお茶を出してくれた女官長はクリスに謎の一睨みを残して、扉を閉めた。どうやら内緒話することを許してくれるつもりらしい。
「あの、クリスさん——————」
「ザクタムのことでございますね。昨日、私は本人から言い分を聞いて拒否しましたが、これ以上何かございますか?」
話し始めで、ばっさり斬られるようにされて出鼻をくじかれる。
「……その件もありますが、お呼び出しした理由はそれだけではありませんよ」
「では、どうぞ全てお話し下さい」
(クリスさん……、機嫌が悪い!)
態度も口調も丁寧なのに、冷ややかな紫の瞳は「何と言われようとも、考えを変える気は無い」と強い意志を伝えてくる。
(責任感の強い方だからだわ。どうやって護衛の任を解くことを説得すればいいのかしら)
そうディーネは悩みながらも、口を開いた。




