王城⑧
ココの第一印象は正直言って良くはない。だがコルーンで慣れているせいか、特に気にもならないし、逆に親しみを感じた。
(付き合えたら意外に良い娘かもしれないし、なるべく多くの人間と仲良く出来るのに越したことはないわよね)
そう思ったディーネは微笑み、自分の希望を伝えることにする。
「ココ様とお呼びしても宜しいでしょうか? 私のことは、どうぞディーネと呼んで下さい」
ココの反応はというと、彼女は呆気に取られた顔をした後、高慢な笑みを浮かべるというものだった。
「そう。他の者のように、そうやって最初から私に媚びへつらっていれば良いのよ。貴女も私の派閥に入って従順にしていれば、絶対に後悔させませんもの。これから宜しくね、ディーネさん。私達、お友達になりましょう」
「はあ……、そうですか…………。それは、どうもありがとうございます?」
ディーネはココと話すうちに、だんだんと自分の笑顔が引きつっていないかが気になってくる。
(何だか王の女性の好みが分からないわ……。彼は、こういう感じの方が好きなのね。…………まあ、私には王の伴侶選びなんて関係ないことよ。どんな女性を結婚相手に選ぼうと、それは王の自由でしょう。これで王に対して、彼女の性質を告げ口するのも失礼な話だし)
どこか気持ちがすっきり出来ないうちに、ココの提案で彼女とディーネとは再び会うことになった。
「では、近いうちに私からご連絡差し上げますわね、ディーネさん」
「はい。お待ちしております」
それから、ココを追ってきたらしい使用人の女性と共に去っていく美少女の後ろ姿をディーネが見送っていると、女性教師がおずおずと話しかけてくる。
「大変なことになってしまいましたね」
「え?」
「ルーン家のお嬢様の件は私のほうから女官長様に報告しておきますわ」
「あの……、私、何か取り返しのつかない失敗をしてしまいましたか?」
相手の深刻そうな顔付きに、ディーネは不安になった。すると教師は、はっとした表情になって取り繕う。
「そういうことではなく! ディーネ様と女官長様の間で何らかの行き違いがあるように見受けられますので」
「行き違いですか?」
「はい。……この件に関して、これ以上の発言はお許し下さいませ」
「…………分かりました。無理を言ってすいません」
「いいえ、そのようなことはございません。それよりも、早く御部屋へ参りましょうか」
「はい。そうですね……」
ディーネは釈然としないまま帰り道を辿ったが、途中の回廊で思わぬ人物に後ろから呼び止められる。
「お嬢様」
「あら、ザクタムさん!! お久しぶりですね!」
無意識に辺りを見回してしまうが、クリスがいるわけがなかった。それをザクタムが改めて説明するように口にする。
「今日はクリスが門番で我慢する日です。当然ですよ、閣下とお嬢様の旅行に付いていった上に、ずっとお嬢様の護衛だなんて。おかげで俺は休みなしで門番ばかりしていました」
「ごめんなさい、休日が無いだなんて……。私のほうからもクリスさんに護衛など必要ないと伝えます」
「その件なのですが……、少しお話がありまして。お嬢様の時間を頂きたいので、お連れの方に席を外してもらっても宜しいでしょうか?」
ザクタムは持ち前のにこにことした笑顔を振りまくが、女性教師は困ったようにディーネを見やりながら「しかし……」と渋る。どうやらザクタムの素情をよく知らないという不信感から、ディーネの身を案じてくれているらしい。
「この人はクリスさんと同じで、王都にあるフィラルリエット家の門番をしていらっしゃって、信用が置ける人なので大丈夫です。それに王の信頼も厚い方ですよ」
ディーネが教師を安心させるように言うと、微笑みを浮かべたままのザクタムも言葉を添えてくる。
「帰りは私が責任持って、男が入って許されるところまで送って、女官のどなたかの手にお嬢様をお任せする位は致しますから」
「まあ、フィラルリエット家の……! 失礼な態度を取ってしまいまして、申し訳ございません。では私は先に戻らせていただきます」
フィラルリエットの名前は、教師の説得に絶大な効力を発揮した。
(マルクの家の影響力って本当に大きいのね)
ディーネは改めて、そう思った。
「そこに立っていらっしゃると、日差しが暑くないですか? その白い肌が焼けてしまうと勿体ないので、こちらへどうぞ」
「あ、はい」
彼女は突っ立っていたところをザクタムに呼びかけられ、確かに日光が眩しかったので、彼のいる太い白柱の陰に一緒に入る。
「っ!!」
そのとき突然、ザクタムの藍色の瞳が翳りを見せた気がして、ディーネは半歩うしろに下がった。踵が柱に当たる。彼女は、まるでザクタムに追い詰められているような錯覚を抱いた。妙な違和感がある。先程までは以前の人懐っこいザクタムそのままであったのに、今は彼の瞳だけが氷のように冷たい。
「まだ俺は貴女に用件を言っていないのに、どうして逃げるんですか? 酷いなあ」
「あ……」
笑顔のザクタムがディーネに近付いてくる。彼女は限界まで後ろに下がろうとしたが、すぐに自分の背中が柱に押し付けられるのを感じた。本能的な恐怖が『逃げろ』と自身に命じてくるのに、足が竦んで動けない。その間に距離を詰められ、ザクタムはディーネの頭上で柱に片手を付いた。そうすると彼女は、もう少しで接吻でもしそうな恰好で彼に見下ろされることになる。
「この場所は、こうやって昼時になると人通りが無くなるんです。逢い引きには持って来いでしょう?」
からかう様な彼の言葉も、ザクタムの肩の向こう側にある庭の景色の——————強い日差しに浮き彫りにされた草木と、その影との鮮やかな対比も何もかも現実味が無い。
「こんな体勢を二人でしているのが分かったら、閣下に怒られてしまいますね。俺だけではなく貴女も。しかもクリスから聞きましたが、今は閣下だけじゃなくて陛下も貴女に思いを寄せるふしがあるんですってね。ということは二人の英傑から疎まれることになるんですかね、俺は?
どうせ同じように罰されるなら、この小さな瑞々しい果実のような唇の味を知っておいたほうが得だと思うのですが、どうでしょう」
「ザクタムさん、冗談は止めて下さい。こんなの、いつもの貴方らしくありません」
「貴女の綺麗な顔をこのように近くで眺めていると、冗談で済ますのが惜しくなってくる。
ははっ、それにしても…………『いつもの貴方』、ですか? お嬢様は私の何を分かっていると言うのですか。たった数回しか会ったことのない人間————もとい、男を信用するのは危険ですよ。私もクリスも、それから陛下もね」
最後の指摘はディーネの胸を抉った。確かにそうだ、ザクタムを信用した結果がこれだ。そう思うと、情けないような気になり、何も答えられない。
いつしかザクタムは真顔になっている。それはディーネが初めて見る彼の表情だった。
(私は彼が、こんな顔をすることも……知らなかった)
ザクタムに対して不信感を抱くようになってから、彼の言動は彼女を強く揺さぶり始める。
張り詰めた空気の中でザクタムは、
「——————俺は、ずっと次の戦争に行きたかったのですよ」
と、くぐもった声を漏らした。




