王城②
人間の国を治める者を王といい、王の伴侶を妃という。――それ位の知識ならディーネにもある。
そもそも王や将軍、側近という言葉は神界でも度々使われていた。『知恵の王』として名高いファン、『孤独な破壊王』と呼ばれて恐れられたデューゼロン、戦時に活躍して『火炎の将軍』と称えられたレス、それから最高神の側近としてホセを陰から支える側近のクルベ……。その他にも多数の王や将軍がいる。だからディーネが初めて人間の地に来た時も、彼女は王だの将軍だの側近だのと言われても戸惑わなかった。
だが、『そくしつ』という存在。それは神界にはおらず、彼女にとって初めて聞く言葉であった。
いきなり意味の分からないものになれ、と言われても困る。だから、この場で恥を忍んで説明を乞うほうが、後々に聞くより良いだろうとディーネは判断し、レオールに声を掛けた。
「陛下」
「何だ? 側室候補の件だったら黙って受け入れろ。それ以外の話なら聞く」
話しかけた途端にレオールは、どことなく赤い顔をして言う。
(え……。もしかして『そくしつ』って、気軽に質問してはいけない特殊なものなの?)
困ったディーネは次に口から出そうとした言葉を止めた。
そして、
「どうした。別に何も無いのか?」
と、レオールが不思議そうに彼女を見返した時、遠慮がちに扉を叩く音が室内に響き、ディーネは尋ねる機会を失う。
「女官長だな、入れ」
王の許可を得て、年配の女性を筆頭にして計三名の女性達が部屋に入ってくる。
するとレオールはディーネに、
「お前の世話を任せる者達だ。何か入用なら、この者達に言え。今日は長時間の移動で付かれただろうから、ゆっくりしているといい。俺は執務が滞っているから、もう行く」
と言って、さっさと出て行ってしまう。
そんな彼の後ろ姿を呆然として見送ると、ディーネは冷や汗をかき始めた。
(ちょっと待ってよ、そくしつって何なの? それが分からないまま置いていかれて、私はどう振舞えばいいの!?)
彼女は早速、粗相をして非難の眼差しを浴びそうで怖かった。どうしようと困っていると、
「ディーネ様、でしたね。私は女官長のアメイラと申します。そして左がティーユ、右がエルでございます」
と、アメイラは自分や若い二人の女官達を紹介してくれる。
「さて、ディーネ様。旅でお疲れのところ申し訳ございませんが、幾つかお話しさせていただきたいことがございます。宜しいでしょうか?」
さすが女官長というだけはあって、アメイラは貫禄のある物言いをした。
気圧されてしまったディーネは頷き、彼女の許諾を得るや否やアメイラは矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。
「まずディーネ様は元々、町娘だったというお話を陛下よりお聞きしたのですが……、特別な事情がおありで貴族に嫁ぐ教育を受けていた……、などということはございますか?」
「? いいえ」
「では、ダンスや音楽で得意なものはございますか?」
「無いです……」
「でも刺繍は、お上手でいらっしゃるのでしょう?」
「そんなことはありません」
「…………」
最後に女官長は言葉を失ったかのように口を引き結んだ。そして何かを決意したかのように、ディーネを強く見やって言う。
「明日よりディーネ様の為に様々な教師を手配し、基礎中の基礎から始めて、あらゆる学習をこなしていただきます。これは陛下のご側室というご身分に釣り合う存在になっていただく為の必要条件でございます。ご了承いただけますね?」
「! はい」
有無を言わせない調子のアメイラに、ディーネは反射的に頷く。だから決意は後から来た。
(そくしつって、大変なものなのね。でも王城に置いてもらうからには多少の努力はしないといけないし、頑張りましょう! マルクの屋敷にいた時は楽してばかりだったから、ここでも人の好意に甘えていられるはずがないわ)
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王城に到着した翌日もディーネは与えられた部屋で一人、昨夜と同じように運ばれてきた朝食を摂った。
昨日は柔らかな寝台に入った時は緊張で目が冴えてしまっていたものの、お日様と花の香りのする寝床に気持ちが解されて眠りにつくことが出来ていたので、疲れは取れている。
そして彼女が起床した時点で、洗顔や着替えの準備を女官達がしてくれたので、身支度は既に万全だ。
食後に、淹れてもらったばかりのお茶をディーネが飲んでいると、女官長が厳めしい顔をして目の前に立った。
「ディーネ様。早速でございますが、本日のご予定を申し上げても宜しいでしょうか?」
「っはい!」
「この後、午前には各種教養の学習と音楽の教授、昼食を挟んで午後いっぱいは刺繍とダンス————それから礼儀作法に—————そして最後に——————」
アメイラは、まくし立てるように言い終えた。まるで何かに追われているかのようである。
(きゅ、休憩時間なんて今日もこれからも当分無さそうね)
「クゥン」
と、タウロスだけが暢気に構ってくれと、ディーネの足元で鳴いた。




