旅行⑦
マルクがディーネを引っ張って本館に戻る途中で、彼らは見回りの兵に出会った。
「別館の庭に転がっている男に介抱と尋問を」
それでも慣れているようにマルクは命じてから、その兵とすれ違う。
「はっ」
用を言いつけられた兵も躊躇なく引き受ける。
ディーネは彼女自身の手を引いて歩く男の心が気にかかっていた。優しい彼だからこそ、深く負ってしまった心の傷を癒せればいいのに、とディーネは強く思う。
どんな理由があるにしろ武力で争うことを正当化しているような、今の世界の在り方がいけないという気がした。そういった間違った考え方を根本から正す為に、自分が出来ることはないのかと悩む。
その苦しいほどの思いを、彼女はマルクの背に向かって呟いた。
「私は嫌です、貴方が傷つくのも、貴方が誰かを傷つけるのも。そう口に出すのは簡単だとは分かっています。実際の事情はもっと複雑なのでしょう。人間同士の争いを厭い、貴方達も死力を尽くしていることも何となくですが理解しております。
今の無力な私には尋ねることしか出来ません。本当に、最終的に戦争をすることでしか全てを解決することは出来ないのですか、と。そして、自分で考えるべきことなのかもしれませんが、何か私に手伝えることはないのでしょうか、と……」
ディーネが口を噤むとマルクは急ぐ足を止めて振り返り、彼女の肩に優しく片手を置いて口を開く。
「ありがとう。そういった貴女の心遣いを聞かせてもらえただけで百人力です。
ですが、貴女を争いに巻き込みたくないのです。突き放すような言い方になってしまいますが、反乱軍などとの対立は我々の問題です。私達が責任持って解決すべきことなのです。たとえ、もし貴女が問題解決に有効な手段を持っていたとしても、貴女の手を借りるのはお門違いなのです。
それに、貴女が私に傷ついてほしくないと思ってくれたように、私も貴女に怪我などさせたくない。だから貴女は常に最も安全な場所にいて、私を安心させて下さい。そうすれば私は全力で不条理なことに対して抗い戦える。大丈夫、自分で言うのも難ですが私はこれでも強いのです。貴女も心配してくれているのに、怪我なんて負えるわけがないですしね。
どうか、貴女の身を案じる私の気持ちを理解して下さい。貴女は何もしなくていい。ただ笑って、幸福でいてくれさえすればいいのです。いいですね? この話はもうお終いです。さあ行きましょう」
彼の口調は、まるで目下の者に言い含めるかのようだった。彼女に対して、余計なことはするなと暗に告げているのだ。
(彼が、私が女神だと知っていたなら、そんなことは言わなかったのではないかしら)
自分に力があったなら、とディーネは悔しさに唇を噛みしめる。
そして——————、封じられている自分の神力を取り戻したいと、彼女は切に願った。
それから、先に気にすべきことに思い至る。
「あのっ、刺客を一人で追われたクリスさんは大丈夫なのでしょうか?」
「それは大丈夫です。保証しますよ」
「それならば良いのですが……」
ディーネがクリスの安否をマルクに慌てて聞けば、何でもないことのように言われるのであった。
**
マルクはディーネを客室の前まで連れて帰ってくれた。そこで別れて彼女が部屋に入れば、カミラが暖炉に火を燃やして待っていた。
「まあ、びしょ濡れじゃないですか! 早くお召替えをしなければっ」
メイドは荷ほどきをしていた手を止め、身体を拭く布を探すとディーネに駆け寄ってくる。
暖かい暖炉の前でカミラに手伝われドレスを脱ぐと、メイドは聞きにくそうにして問いかけてきた。
「…………お嬢様。何か辛いことでもございましたか?」
聡いカミラには何でもお見通しらしい。
「将軍が……刺客に反撃なさって。幸い将軍は怪我を負わなかったようだけれど」
「そんな危険な場所に居合わされてしまったのですか! ご無事で良かったですわ」
「ええ」
メイドは優しくディーネの身体や髪を拭ってくれる。暖炉の温かさもあり、だんだんとディーネの身体に体温が戻ってきた。
「ドレス……汚してしまって申し訳ないわ」
「気になさらないで下さいませ。他にも沢山ございますもの」
「でも将軍が心を込めて用意して下さったものだもの。とても価値があるに違いないわ。
そこに置いておいて。着替え終えたら私が汚れた部分を洗ってみるから」
話しながら、その間もカミラはてきぱきと新しいドレスを着つけてくれる。
「洗うなどということは私が致します。それより、お嬢様には風邪を召されないという使命がございますわ」
「……ありがとう」
カミラの言うことは一理あったので、ディーネは素直に従うことにした。
着替えが済むと、小さな卓につき、熱いお茶を淹れてもらう。その香りを嗅いでいると、気分が落ち着いていくようだった。
そこで扉が叩かれる音がして、カミラが応対に出た。メイドはすぐにディーネの前まで引き返してくる。
「お嬢様。旦那様は急用だということで、昼食はご一緒出来ないそうです。その代わり、夕食は是非にとの伝言でございます」
「そう。……もしかしたら、刺客のことで対応されているのかもしれないわね」
ディーネは自分の表情が曇るのを止めることが出来ない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、と思う。楽しみにしていたはずの旅行が、急に色あせてていく気がした。
(もう一人の刺客を追ったというクリスさんは大丈夫かしら)
気分を沈ませていきながら、彼女は心を痛めた。




