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旅行⑤

「食堂に夕食の準備が整ったようですが、支度は終わりましたか?」

「はいっ。終わったので、行きましょう! お腹も空きましたよね!!」

 甘く蕩けそうな顔で尋ねてくるマルクの横をすり抜けると、後ろで笑い声が響いた。


「くくっ……、そんなふうにして私から逃げなくても」

「っ、別に逃げていませんが?」

「そうですか。ああ、食堂は一階です」



(……はあ。どうやら、抱き上げられて運ばれることは回避出来たみたい!)



 妙な達成感を得つつ、彼と連れ立って食堂に着くと、用意されていた席はやっぱり隣り合わせであった。それを見て取ったディーネは椅子に座らずに立ち尽くしてしまう。


「…………私達だけで頂くのですよね?」

「勿論。我々だけで過ごせるこの大切な時間を、誰にも邪魔させるわけがない」


 きっぱり言われると、彼女の反抗心が頭をもたげてきた。

「この席では、貴方も私も落ち着いて食べることが出来ません。せめて真向いにして下さい」

「何ですって?」


 こちらは冷静に言ったのに、彼は憤慨し始める。

「まさか貴女がそんなことを言い出すとは! 先程から私に対して冷たくないですか? せっかく部屋まで迎えに行っても貴女はまるで逃げるようにして、せっかくの旅行なのに…………、聞いているのですか?」

「そちらの方。私の席を直してもらってもよろしいでしょうか?」



 ディーネはマルクの言い分は無視して、使用人の男に銀食器などの位置を改めさせた。途中、マルクに怒られるかと冷や冷やしたが、彼は何も言わない。結局、向かい合わせの席にお互い腰を落ち着けた。

 そこで一皿目の料理が出てくる。青菜と生魚の白く薄い刺身をさっぱりしたソースで和えた物だ。双方、食べ始めたが、ディーネは彼の無言が気になって仕方なかった。


「あの。怒っています?」

「いや、……だが残念だとは思っていますよ。隣の席でないから貴女の手も握らせてもらえない」

 そう答えたマルクに目の前でため息を吐かれ、彼女は反論する。


「でも旅の道中、よく繋いでましたよね。あれで充分だと思います」

「恋する男には全然足りません。でも、この席は貴女の綺麗な顔を正面から眺めることが出来るので、その点では満足しています」



(……………………もう放っておこう)

 時折向けられるマルクのうっとりとした視線は気にしないようにして、ディーネは食事を続けるのだった。



 食後のお茶を飲んでゆっくりした後、就寝の為に彼と別れた。彼女を部屋まで送りたいとマルクは言うのだが、そうすると道中で何をされるかと思い、断る。彼にまた傷ついた表情をされたが、「私は悪くないはず」と、ディーネは自分の判断を信じることにした。




**


 翌朝ディーネが起きた時、カミラ達はまだ城に到着していないようだった。マーリ曰く、

「馬車は夜間移動すると賊に狙われやすいので、どこかで一泊しているのでしょう。こちらには昼にでも着くと思われます」

 と、いうことであった。


 そういうわけで、朝の支度も昨日と同じくマーリがやってくれる。

 今日は天気が崩れて、生憎の激しい雨だった。これでは、どこにも出掛けられないだろうとディーネは窓の外を何度も確認しては落胆する。


(今朝は体調も良いし、出来るなら……将軍様にどこかへ連れていってほしかったのに)



 例えば、昨日見られなかった方面の森を徒歩で行けば、鳥達のさえずりや美味しい澄んだ空気を楽しむことが出来たかもしれない。もう一度、馬に乗って彼と速さを競って笑い合うのでもいい。城から近いところなら比較的安全で、襲撃者の心配も少ないだろう。

 ……などと、せんないことをディーネは考えた。



(でも旅行はまだ二日あるし! 雨なら雨で、城内散策とか図書室で調べ物とか出来ないかしら)

 持ち直したところで、「食堂にご朝食の準備が整いました」と言って、別の若いメイドが部屋に顔を見せた。マルクが来るより先に、食事の知らせを持ってきてもらえるよう、昨晩のうちにマーリに頼んであったからだ。


「ありがとう。今行きます」

 返答したディーネが扉に向かおうとすると、マーリの声に引き留められる。


「お嬢様……。本当によろしいのですか、旦那様をお待ちしなくても? 昨晩、旦那様は『食事の際は、いつも部屋までお迎えに上がります』と仰っておりましたのに」



「大丈夫よ。あの方は心配性なの。彼から貴女達が何か責められることがあれば、全て私のせいにして」

(毎回、彼に食堂まで運ばれたら身がもたないわ!)



 ディーネは、やや不安顔のマーリを引き連れて食堂まで行くのだった。






 案の定、彼女より後に来たマルクはまた不満そうだった。

「貴女のところに行こうとしたらメイドが来て、『お嬢様は既に食堂へ向かわれました』と言うじゃないですか。今朝の席も真向いだし、城に着いた途端に私の楽しみをことごとく奪って貴女は満足ですか?」


「貴方の楽しみを奪うですとか、そんなつもりはありません。それより座られたらいかがですか。せっかくの美味しいお料理が冷めてしまいますよ」



 調子に乗るなと(ののし)られるかな、と心の中では心配しつつ、ディーネは言う。けれど彼はディーネを恨めし気に睨みながらも、大人しく用意された席に着いてくれた。

 でも、食事の合間に言いたいことは言うらしい。


「私の心を奪った女性は、どうしてこんなに非情な真似が出来るのだろう! ところが、冷たい仕打ちばかり受けても、私は貴女を嫌うことは出来そうにない……」


「それは良かったです」

 嘘ではなくて、ほっとした。


 まだマルクは面白くなさそうにしていたが、ふいに気持ちを切り替えたように、にこりとした。

「ところで、ディーネ嬢。貴女は本に興味がおありのようですから、本日は雨ですし、城の図書室でも見てみませんか?」

「よろしいのですか!?」


 早速、求める情報を得る機会が来たと思ってディーネは喜ぶ。

「はい。しっかりご案内しますよ、私が」

「……」

 語尾に力を込められて、いささか怯む。


「…………あの、わざわざお手を(わずら)わさなくても誰か他の…………」

「とんでもない。せっかく時間があるというのに、誰に最愛の貴女を任せるというのですか」


 言い切ってマルクは、かつてないほどに艶然として微笑んだ。



(あら? ……私、失敗したみたい?)

 彼を数度拒絶した結果、何かに火を付けてしまったようだと、ようやくディーネは悟ったのだった。

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