ひそやかな談話
「失礼ですがお嬢様は、この国の内情についてどれほどご存知ですか?」
「貴女も気付いているだろうけれど、全然と言っていいほど知らないの。前にカミラが言っていたように、最近この国に来たから」
メイドは、そう告げるディーネに対して頷く。
「私は執政者ではありませんし、女なので兵士として徴集もされませんでしたから、勿論あの戦争にも行きませんでした。ですから、巷で広まっている噂をお話しするしか出来ません。戦地でのことを詳しく知りたいようでしたら、国王陛下からお聞きするほうが正確でしょう」
そこでカミラは一口、淹れたての紅茶を飲んで喉を潤した。
「……私がこのお屋敷で働き始めて数年経った頃のことです。あの時は今より皆がよく笑っていました、この屋敷の中の者も外の者も。
ですが、突然の反乱に対する進軍が決まって、慌ただしく男達の出陣の日が来て、彼らは家を去りました。それからは国中の家庭と同様に、この家でも戦争に行った先代様と今の旦那様、使用人の男達の無事を祈って、皆でご帰還を心待ちにしたのです。
…………ところが、五体満足で帰っていらしたのは旦那様と若い男達だけで、先代様は戦地にて亡くなられてしまいました。突然の不吉な強風に吹き飛ばされた、ということでした。幸い旦那様達は若者だけで構成された他の部隊だったので、運よく難を免れられたそうでございます」
マルクの父が戦争で亡くなったという話は既にヨシュアから聞かされていたことだが、何度耳にしても胸が痛む話だった。
父が傷つき倒れたと知った時、マルクは一体どのような心持ちになったのだろうと考えると、ディーネは何だかやりきれなくなる。
「強風ですって?」
「はい。先代様の世代で構成された主力軍は、当時最強を誇った軍人様がとても多くおられました。それでも、いきなり発生した自然災害には手も足も出なかったのです。風によって巻き上げられた砂と岩が凶器と化し、物凄い速さで王軍に打ち付けてきて、彼らの身体をさらっていった……というお話です。
あの時に自分の夫や父、叔父などを失った者達の嘆きは、今も続いています」
「……先代様の世代が多く……」
呟いたディーネは、はっとした。
「カミラ。私、見たことがないの、この国で中年男性を……。皆、男性は若いか、お年寄りばかり。まさか、その強風のせいで年代の方々はほとんど…………亡くなられてしまったの?」
「そうです。強風が吹き付けた時点で、皆ほぼ即死だったそうです。生き残られた数少ない方々も深い傷を負われ、もはや普通の生活を送れるような御身体ではなくなりました」
「そんなに凄まじい強風だったのに、反乱軍には当たらなかったのかしら」
「それが当たらなかったのです、不思議なことに。まるで反乱軍が放出したかのように、王軍だけに命中して。一説には、その強風は敵軍の魔術によるものだという話もあります。でも、そんな強力な魔術は誰も見たことがないので、その説には無理がありますよね」
「では、その戦で大打撃を受けた王軍は……負けたの?」
「兵が負った傷は王軍のほうが大きかったようですが、敗走の判断が早かったので敗戦とまではいきませんでした。彼らが逃げ込んだ泥地に敵軍も深くは追ってこられず、敗走が成功したのです。その後、両車の間で和睦や停戦の話し合いすら持たれず、今に至っております」
「話し合いもしたくないほど、相当仲が悪いのかしら。……なんて、当たり前よね。そもそも戦争を勃発させるくらいだもの」
「最初、王軍は休戦を持ちかけようとしていたのですが、反乱軍の頂点…………、ラーゼミン・ルアルが冷酷非道な男で、……王軍の使者は帰ってきませんでした。そのような態度を取られれば、王軍側も激怒するというものです」
その話が本当なら、到底許せないことだった。使者にだって家族がいたかもしれないのに、とディーネは唇を噛み締める。彼女が今感じていることは全て同情からかもしれないが、怒りと悲しみで目の前が赤くチカチカした。
「……戦になった、事の発端は何だったの? 話を聞いている分だと、ラーゼミンが怪しいけれど」
「ご明察の通りです。三年前の戦争はラーゼミンと、その取り巻き連中が王に反旗を翻す意思を示すものでした。王権が今の王族の手にあるのは納得出来ないという、王に従うこれまでの慣習を無視した身勝手な言い分です」
「ひどい……、それだけで戦争を始めたのね」
「所詮戦争に、文句の付けようもない大義名分なんて必要ないのですよ。自分達が豊かな暮らしをしたい為に、他の土地や国の資源を力で奪おうとする。他国だけではなくグリシナも、そうやって息を繋いできた面は否定出来ません。戦をするのは、悲しい人間の性です」
カミラは口を閉じ、目を伏せた。
「ねえ、ラーゼミンって、どういう人物なの? 男性よね」
「噂ですが、見目はとても良いみたいですよ。そして、ここだけのお話、旦那様よりも大貴族です。ルアル家は代々切れ者が多く、しばしば王家と婚姻を結び、その領地の広さは王に次ぐ位置にあります。
ラーゼミンの人柄は冷酷非道の一言に尽き、領民は重税に喘いでいるけれど、表立って彼を批判したり逃亡して捕まったりすれば酷い罰を受けるので、皆黙って苦しみ続けているそうです。それはラーゼミンの父が当主の時からだとか」
「そんな奴に、臣下は心から忠誠を誓うの?」
「それについては私も大いに疑問を抱いております。おそらく彼の民と同じように、臣下も怖くて主人に逆らえないのではないでしょうか」
「どうして王達は、そんな奴を野放しにするのかしら。信じられない」
「あまりに彼の勢力が強すぎるからでしょう。先代の王から常に征伐の機会を狙ってはいるようですが、ルアル家はそんな隙を見せるような小物ではありません。それに三年前の戦争の影響で民は疲弊してしまって、王軍も簡単に徴兵するわけにもいかなくなりましたし」
「……話してくれて、ありがとうカミラ。貴女は本当に頭の回転が速くて、賢い人ね。私のメイドなんかをさせていることが勿体ないわ」
「お褒めに預かり光栄です、お嬢様。こちらのお屋敷には使用人専用の図書室がございまして、休憩時間にそこを出入りして書物で勉強するのが私の趣味なのです。読み書きが出来ることは、この家の採用基準でもあって、私にも出来ますし。
とにかく私は常に貴女の一番の味方ですから、お望みの情報があればいつでも仰って下さい。私が知っていることならば、お伝えしますので」
「何から何までありがとう。貴女には感謝してもしきれない」
メイドのおかげで、真実がその姿を見せてきた。——————そこにあるのは、きっと人間の欲だ。そんなものに振り回される人々には、たまったものではないだろうが。
『人間は強欲が過ぎ、残酷だ』
父神の言葉が、ディーネの脳裏をかすめる。
(ラーゼミン・ルアル、か)
ディーネは彼の名を心の中で呟いてみて、何故だかとてつもなく嫌な予感がした。自分は今、彼から遠いところにいて安全なのに、いつか出会ってしまうのではないか……という、途方もない不安だ。そんなことは有り得ないだろうと、急いで心の中からその考えを打ち消してもなお、彼女の気持ちは不安定だった。




