淡い期待と雨
競馬場にはすぐにでも行きたいと思っていたのだけど。
珍しく雨の日が続いた。
雨でも競馬は行われているという。
雨だからこそ、気合が入る騎手や馬もいるそうで、それはそれで賭けが盛り上がるという。だが私達の目的は賭けではなく、颯爽と風を切り走る馬の姿を見ることだ。よって雨の日は観戦を諦め――。
ソアールを離れに招待し、一緒に刺繍に挑戦することにした。
ラエル皇国でも刺繍は存在するが、それは私が知る刺繍とは少し違う。もっぱら金糸による刺繍が多い。様々な色味の刺繍糸を使い、まるで絵を描くように刺繍をするのを、ソアールはとても珍しがり、喜んで雨の日の刺繍レッスンを受けていた。
その日の私は、淡い紫、クロッカス色のドレスを着ていた。襟元にベルベットの黒いリボン、身頃にはくるみボタンが飾られている。ソアールは三段ティアードになったリーフグリーンのドレスを着ていた。カシウスはゆったりとした白の貫頭衣で、今日のベルトは黄金製でゴージャス。
私とソアールは、並んでソファに座り、刺繍を行っていた。
ソファの前のローテーブルには、刺繍の道具の他にケーキやマカロンなどのお菓子と紅茶が用意されている。そのローテーブルを挟み、対面のソファにはカシウスが座り、この国の風習を紹介する本を読んでいた。
カシウスは毎回、ソアールに同行するわけではなかった。後の皇太子という身分もあり、王族からお茶のお誘いを受けることも多い。よって私とソアールと護衛の騎士で、演奏会へ足を運ぶこともあった。でもこの日はゆったりくつろぎ、読書を楽しんでいる。
外の雨は意外と本降りで、窓ガラスに雨が時折打ち付けていた。つまりそれだけ風も強かった。
この雨の中、ウォードは外出を余儀なくされていた。
というのもウォードが経営を任されている商会が所有する倉庫で、盗難が起きたのだ。
その商会はいわゆる貿易業が主軸で、港にいくつもの倉庫を所有していた。その一つで起きた盗難。通常は部下に任せるが、今回盗難にあったのは、スパイスだ。
スパイスは収穫される国が限定され、陸路で運搬すると、通過する国々で高い関税をかけられてしまう。海路では関税はないが、リスクも高い。いずれであれ、輸送コストはかかるし、どうしたってスパイスは高価になる。
その貴重なスパイスが盗まれた。しかも盗まれた量も多い。
どのような犯行手口だったのか、また再度、盗難に遭わないための対策を吟味するため、ウォードは現場に足を運ぶことになったのだ。
ちなみにこの頃の私とウォードは、完全に没交渉……かというと、そんなことはない。三日に一回、抜き打ち検査のように、ウォードが朝食の席に顔を出すようになったのだ。昼食と夕食は、私も外食の機会が増えていた。ソアールとカシウスが、食事に誘ってくれるからだ。だが朝食は毎日、ダイニングルームで摂っていた。
このウォードがいる朝食の席で、何か会話をするのか?
朝の挨拶だけはする。でもそれ以外の会話はない。
ウォードは黙々とスクランブルエッグを口に運び、ハムステーキを食べ、パンを咀嚼している。そして八時十分前になると、紅茶を飲みながら、ニュースペーパーに目を通していた。
ただ、私がハムステーキにナイフを入れている時。パンにジャムを塗っている時。視線を一瞬、感じる時がある。ウォードがこちらを見ているのかと思ったが……。視線をウォードの方へ向けると、彼は黙々と朝食を摂っている。
気のせい……?
ともかくこれまでは、全く相手にされていなかった。よってこれは、かなり大きな変化。今は「おはようございます」の挨拶しかないけれど、もしかすると会話が増えるかもしれない。
淡い期待。期待するとそれが叶わなかった時に、裏切りと感じてしまう。だから期待はしないと思っても……。人間、その気質を簡単に変えることはできない。
「シャルロンお姉さま、最後の目が上手くいくか心配! このステッチ、失敗してもほどけないでしょう?」
「そうね。まさに一発勝負になるわ。代わりにやってあげたくなるけど、そうするとソアールは、私がいないと何もできない人間になってしまう。それでは困るから、失敗してもいいからやってみましょうよ。お兄様はきっと、失敗しても喜んで使ってくださるから」
私のアドバイスにソアールは瞳をウルウルさせ「頑張ります!」と宣言し、カシウスは「!?」と驚きながらも見守ってくれている。
ソアールがまさに布に糸を通したその時だった。
激しく扉がノックされ、返事と同時でヘッドバトラーが飛び込んできた。落ち着いたロマンスグレーの髪が乱れ、顔面が蒼白になっている。只事ではないと思い、刺繍道具をテーブルに置き、何が起きたのかと尋ねると……。
「わ、若旦那様が……若旦那様が乗った馬車が、事故に遭われました」
お読みいただき、ありがとうございます!
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