第5章ー4
そのような悲劇が、琉球では起きた。
張娃を、実父の張敬修だけでは慰めようがなく、(秘密の)祖父の真徳も協力して慰めるしかなかった。
真徳にしても、自分が張敬修と話し合ったことを発端として、プリチャを松一が愛人にすることになり、更に今のような事態に陥ったことから、自責の念に駆られることになったのだ。
そして。
「張娃様は、本当に唄三線がお上手ですね。それも最愛の夫が愛人の下に奔ったのを嘆く曲が上手です」
「そうですか」
「ええ。本当に実感が込められているようで」
真徳は、張娃の唄三線の師匠と、そんな会話を交わすようになった。
ちなみにその師匠は、かつては張娃の祖母「波琉」の同僚であったが、とある商家の後妻になって尾類から引退し、今では唄三線の師匠を、ある意味、暇つぶしとしてやっている身である。
「本当に、今でこそ私は唄三線の師匠と呼ばれていますけど、張娃様の祖母の「波琉」様が師匠になっていたら、私等では師匠の声が掛からない程の腕前を、彼女は示されていました。張娃の唄三線の腕前は、本当に祖母を思わせます。必ずや将来は祖母に勝るとも劣らぬ腕を、張娃様は唄三線で示されるでしょう」
そう言った後、師匠は遠くを見やって言った。
「本当に、実感が込められています。10代半ばで空恐ろしい程に」
真徳は想わざるを得なかった。
本当にどこで間違えたのだろうか、張娃があの時にアユタヤに松一と共に赴けばよかったのだろうか。
張娃としても、内心が色々と複雑で、松一と別れるとも、別れないとも決めかねているのだろう。
それが、張娃の唄三線の響に現れているのかもしれない。
自身も張娃の唄三線の響を聞くたびに、祖母の「波琉」の唄三線の響を想い起こしてしまう。
そして、最愛の夫が愛人の下に奔ったのを嘆く曲が、張娃が極めて上手なのは、唄三線をする際に自分を重ね合わせているからだろう。
10代半ばで、そのような曲の上手と張娃が称賛されることについて、真徳は胸が痛んだ。
その一方で、アユタヤでは。
松一とプリチャは、タンサニーのこれ以上の暴走を迎えこむために、二人で色々と考えて頭を痛めた末に、あることをタンサニーに告げることにした。
「タンサニー、これからは日本名としては美子を名乗りなさい。それから、サクチャイは勝利と名乗りなさい。何れはですが、二人共に松一の養子になり、日本人になります」
「えっ、松一父さんの養子になるの」
その話をプリチャから聞いたタンサニーは驚くと同時に、歓びがこみ上げた。
これまでタンサニーは松一のことを、松一父さんと呼んではいたが、あくまでも松一はタンサニーの義父であり、正式に松一が父と言う訳ではなかった。
だが、養子になれば正式に父ということになる。
「ですが、それには条件があります。張娃さんを養母と、あなたはきちんと認めなさい。私は所詮は側室なのです。松一が養子にあなたを迎える場合、正室との間の子にせざるを得ません。だから、正室の張娃さんが、あなたの養母ということになります。いつもの暮らしは、私と行うのだから、特に違いがある訳ではありませんが、あなたと養母が同居しないわけには行きません。だから、張娃さんを追い出すようなことを考えてはいけません」
プリチャの続けての言葉を、歓びで舞い上がっていたタンサニーは、半分聞き流して言った。
「勿論よ。張娃さんと喜んで同居するわ」
プリチャは、タンサニーの言葉を聞いて、(内心で)溜息しか出なかった。
あれだけ張娃を追い出そうとしていたのに、松一の養女になれるのなら、構わないの。
これでは松一と私が別れたら、タンサニーは私を怒って捨てて、松一と同居するというのではないだろうか。
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