第3章ー3
こうして、上里松一(以下、「松一」と書く)と私達母子の4人の暮らしが始まった。
(厳密に言えば、使用人がいるので、4人の暮らしではないが、家族と言えるのは4人だった)
娘のタンサニーと松一が、上手く関係を築けるのか、と私、プリチャは心配していたのだが、結果的には全くの杞憂だった。
「あなたと同居するの」
「ああ。君やそのお母さんと同居する」
「ということは、新しいお父さんね。名前は」
「松一」
「じゃあ、松一父さんと呼ぶわ」
思い切り要約すれば、こんな感じで娘のタンサニーと松一は初対面から打ち解けてしまった。
私が連れてきた子どもは2人いたが。
下の息子のサクチャイは、まだ(数えの)3歳になったばかりといっていい幼児だった。
(更に言えば、下の息子は、当初はサーラートという名前だったのだが、夫のサクチャイが行方不明になったので、少しでも夫を偲ぶよすがになれば、とサクチャイに私が改名したのだ。
こんなことをしていては、松一の機嫌を損ねるのでは、と私は想ったが。
それを聞いた松一は、プリチャの気持ちはもっともだ、と却って私に同情し、逆に私が下の息子をサクチャイに改名したことを申し訳ないと想ってしまった)
だから、(数えの6歳になる)上の子のタンサニーが、松一と馴染めるのか、というのが私の最大の不安だったのだが、初対面からタンサニーと松一は打ち解け、その後も仲良し父子になっていった。
もっともタンサニーと上里松一が、いつも仲良しだった訳ではない。
少なくとも同居を開始してから半年近くの間はタンサニーは、何かと松一の怒りの限度を探ろうと試すような行動をしたからだ。
だから、時々、松一の怒りは爆発して、タンサニーを叱り飛ばす事態が発生した。
でも、その一方で、松一の怒りはきちんとした理由に基づくものだった。
そのために、却って私は、タンサニーへのこれまでの私達夫婦の怒りを自省する羽目になった。
タンサニーは、私が松一との間の初めての子を産んだばかりの頃に、私に直言した。
「お母さん。松一父さんは、私を怒るけど、それは理由があることで、きちんと私を叱ってくれる。でも、松一父さんと暮らす前のお母さんや、私の本当のお父さんは違った。私やサクチャイを怒った時に、理由をきちんと言わずに怒らせるお前が悪い、としか言わなかった」
私は、はっとさせられた。
本当は、それなりの理由があって、タンサニーらを叱っているのだが、そうタンサニーらが受け止めても仕方のないような怒り方を、私達はしていた。
それこそ、子どものサクチャイが赤子で夜泣きをすれば、夫のサクチャイは眠れない、と怒りだし、私も夫に迎合して、何で夜泣きをするの、と子どものサクチャイを怒るようなことさえしてしまっていた。
勿論、私達なりの理屈はあった。
それこそ、故郷を離れて夫婦でアユタヤに出稼ぎに来て、紹介によりいわゆる手代として、夫は働いてはいたが、通いの手代の俸給では一人暮らしは何とかなっても、家族を養うのには苦しかった。
だから、私も内職や臨時の手伝いで、家計を支えてはいたが、それこそ食費が足らず、私が月に何日かは1日絶食して過ごすようなことさえ、稀ではなかった。
夫にしても、よく腹を空かせていた。
子どもに八つ当たりをするな、と叱られても当然だが、そうは言われても、こういう生活をしていてはどうにもうっぷんが溜まり、些細なことでも怒ってしまう。
だから、タンサニーがそう想うのももっともだった。
そして、懸命に頑張って小銭を貯めて、故郷に夫がお金を持って行ったら、夫が行方不明になった。
私は絶望したくなったが、子どものタンサニーらにしてみればむしろいいことだったのだ。
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