005 “嘘つき”
「生きていた……プリムラが……!」
プリムラの顔が見えた瞬間、アリウムは安堵し、体から力が抜けた。
だがすぐに、『安心している場合ではない』と気持ちを引き締める。
それは、絶対にありえないことだからだ。
百歩譲って、この三日間、外の世界でプリムラが生き延びていたとしよう。
しかし、急にこれだけのフォークロアを倒すだけの力を手に入れられるとは思わない。
真っ先に考えたのは――それが、プリムラの姿をしたフォークロアであるという可能性。
ドールを操縦するフォークロアなど今まで報告を受けたことはないが、人間が別のなにかに成り代わるとか、そういった都市伝説はいくつも存在する。
(……なにより、仮にあれがプリムラだったとしても、私に喜ぶ資格など無い)
いくらプリムラが殺人に加担した証拠が捏造だったとしても、彼女にアリウムが心無い言葉を浴びせたのは事実なのだから。
◇◇◇
一方で艦橋でプリムラの顔を見たボタンは、艦長に食いかかる。
「どういうことですかっ! どうしてプリムラさんが艦の外に!?」
「……」
「艦長さんっ!」
彼女はあくまで、学園に所属する教官として、生徒たちを指導するために艦に乗っただけである。
ちなみに操者ではないので、艦内における自由は制限されている。
つまり――プリムラが乗せられ、外に捨てられたという事実を、彼女は知らなかったのだ。
「着陸してからもう何日も経っています。まさか、プリムラさんを殺すつもりだったんですか……?」
「答える義務はない」
「人道に反する義務など存在しません、ちゃんと答えてください!」
「答える義務はないと言ったはずだ。おい、この女を艦橋からつまみだせ」
艦長の指示に従い、銃を持った兵士がボタンの両腕を掴む。
「そうやって、あなたがたはまたあの事件の責任をプリムラさんに押し付ける!」
「無価値なものを廃棄しただけだ」
「“都合が悪いもの”の間違いでしょう! 私は見たんです、あの日っ……離してください、離してぇっ!」
最後までボタンは抗い続けたが、無常にも扉は閉じる。
彼女の声が聞こえなくなると、艦長は大きく息を吐いて帽子を深くかぶり直した。
「……青いな」
オペレーターは視界の端でかっこつける艦長を見ながら、大きくため息をついた。
◇◇◇
プリムラの乗るガラテアがフォークロアの残骸を手放すと、ずしんと地面が揺れた。
「あれ、聞こえてないのかな。ただいまって言ったんだけど。ねえ、ザッシュ」
なかなか返事をしないザッシュにしびれを切らし、そう呼びかけるプリムラ。
「チッ……聞こえてるっつうの」
「あはは、よかった。にしてもどうしたの、そんな苦虫でも噛み潰したような顔して。そんなにわたしが戻ってきたの、意外だった?」
「まず聞かせろ、お前はプリムラ本人か?」
「ははっ」
プリムラは笑った。
単純に面白かったから。
だがその笑みに、ザッシュは薄ら寒いものを感じたのだろう。
ガラテアの操縦席内に映る彼の顔は、明らかに引きつっていた。
「フォークロアの反応は無いでしょ? ってことはわたし以外にありえないよ」
「プリムラがここにいること自体がありえねえことだろうが」
「ひどいなぁ。わたしは頑張ってドールを動かせるようになって、頑張って生き残って、それで頑張ってここまで来たんだから」
「それは頑張ってどうにかなるようなことじゃねえんだよっ!」
激昂し、語気を強めるザッシュ。
一方でプリムラは、彼の理不尽な怒りを受けて「うわあ、驚いた」と白々しくリアクションしてみせた。
「以前のてめえなら、今ので怯えて縮こまってたはずだろうが」
「うん、でも今のわたしはザッシュより強いから」
「あ?」
ザッシュは明らかに不機嫌そうに眉をひそめた。
「なにその反応。まるで『プリムラは俺より弱くなくちゃならない』と思ってるみたい。すっごいうぬぼれだね、そんなに他人を見下すのが楽しかった?」
「実際、てめえは弱かっただろうが!」
「そうだねえ、だけどあれは仕方ないよ、アニマがまだ目覚めてなかったんだから」
「目覚め……? なにハッタリかましてやがる!」
「あはは、弱かったわたしがザッシュより強くなっちゃったから、困惑してるんだよね? ごめんね、強くなっちゃって。もうザッシュ、わたしを見下せないね。小指ほどの大きさしか無いちっぽけな自尊心を満たせなくなって残念だね?」
プリムラらしからぬ煽るような言葉選び。
ザッシュの感情は徐々に困惑から激昂へと変わってゆく。
(あれは本当にプリムラなのか……?)
テミスの操縦席で二人の会話を聞くアリウムは、そのやり取りに違和感を覚える。
というより、違和感しか無い。
以前のプリムラならば、絶対にザッシュに対してここまで強く出られなかったはずだ。
(くっ、せめて会話に参加できれば……さっきからプリムラに通信要請を送っているが、弾かれてばかりだ。私と話すつもりはないと――いや、それも当たり前か)
別れる直前、あんなことを言ってしまったのだ。
好きの正反対は無関心。
もはやプリムラは、アリウムに対して憎しみどころか、何の感情も抱いていないのかもしれない。
「は……ははは……あっははははははははは! なんだそりゃ。まさかこんな残骸をばらまいただけで俺がビビると思ってんのか? ひゃはははぁっ! 傑作だなぁ、力も弱けりゃオツムも弱いってかぁ?」
「オツムが弱いのはザッシュのほうだよ。現実を認められてない時点でビビってんじゃん」
「プリムラの分際で、クソ生意気なんだよお前! これをマジでお前がやったって言うんならさぁ、見せてみろよ。口だけじゃなく、お前が手に入れた力とやらをさ!」
ザッシュがプリムラを挑発できるのは、全てをハッタリだと思いこんでいるからだ。
そもそも嘘だったとしても、この状況を作り上げられた時点で異常なのだが、“彼女の強さ”を認めるわけにはいかない。
プリムラの指摘どおり、それはザッシュのプライドゆえに。
彼女は見下すべき対象なのだ。
それが自分より強い現実など、存在することは許されない――
「いいよ、わかった」
対するプリムラは、簡潔にそう言うと、一度は置いたフォークロアの残骸を握り、そのまま鞭のように振るった。
中身が空っぽの抜け殻でも持ち上げたかのような、重さを感じさせない挙動。
「へ……?」
通信越しに聞こえる間の抜けた声に、にたりと笑うプリムラ。
そのまま遠慮などせずに、ヘスティアの頭上めがけてそれを叩きつける。
ゴオォォオオッ――大気を切り裂き堕ちてくるオリハルコン塊を前に、ザッシュはギリギリで我を取り戻す。
「う……うわあぁぁぁああっ!」
横に飛び込み、受け身すら取れずにザッシュのドールは荒野を転がる。
直後、先程まで彼が立っていた場所を、フォークロアの残骸が押しつぶした。
ドールが立っていられないほど揺れる地面。
空を覆っていた灰色の雲は裂け、大地も割れる。
どうにか巻き込まれずに済んだヘスティアだったが、もはや虚勢すら張れないのだろうか――地面にうつ伏せになったまま、しばらく動こうとはしなかった。
「どう、これでわかったでしょ? ザッシュは、今のわたしの前では、ウジ虫みたいに地面を這いずるしか無い雑魚なんだってこと」
「て……てめえは……っ!」
ザッシュの声は震えている。
それは恐怖と、プリムラに見下されているという屈辱から来るものだった。
そして、恐れおののいているのは彼だけではない。
状況を見守ることしかできないアリウムも、そして空に浮かびながら観察していた艦長たちも同じだ。
ブランクドールが五十メートルのオリハルコン塊を振り回すという、非現実的な光景を前に、動揺しない人間はいないだろう。
「……艦長、ボタンちゃんはそこにいるか?」
通信を艦橋につなげ、ザッシュは呼びかけた。
「いや、ここにはいないが、どうした?」
「呼んでくれよ。任せたい大事な役目がある」
「……わかった」
艦長はザッシュの意図を理解したのだろう、すぐに兵士にボタンを呼びに行かせた。
「なに、どうしたのザッシュ。先生に助けてもらうの? クラスCのエリートなのに、操者ですらない先生に助けを求めるんだ? かっこ悪いねぇ、なによりも面子ばっかり気にするザッシュとは思えないよ」
「言ってろよ……そうやって余裕をかませてるのも今のうちだからなァ」
「なにその小物じみたセリフ。でもちょうどよかった、わたしも先生に話があったんだ。学園に戻るんだったら、やっぱり先生の許可がないと」
「学園に……戻る? んなことできるわけねえだろうが、お前は殺人幇助の罪で追放されたんだぞ?」
「でもそれ、嘘でしょ」
「嘘じゃねえ、証拠だってある」
「嘘だよ、だってわたしやってないもん」
最大の証拠は、プリムラ自身の記憶だ。
それを他人に見せることはできないが、彼女は自分が関与していないことを、誰よりも確実に知っている。
「ありもしない証拠なんてすっごく脆いと思うし、穴を付けばそれが嘘だってすぐにわかる。たぶん、エリート様であるザッシュに媚びを売る誰かさんが捏造したんだろうけど……そんなのバレたら自分の立場が危ういよね。そこまでしてザッシュに尽くす価値は無いから、たぶんさっさと取り下げてくれると思う」
さらっとけなされたザッシュは、歯ぎしりしながらも荒々しく言い放つ。
「チッ……んなもんは、バレなきゃいいんだよ!」
「あはははっ、開き直っちゃった」
「プリムラ、お前さ、自分がそれを暴ける立場だと思ってんのか?」
「思ってるよ」
またもや言い切るプリムラに、「ぐ……」と言葉に詰まるザッシュ。
「ザッシュこそ、ちょっと自分を過大評価しすぎじゃない? ボタン先生を呼んだってことは、今からわたしと“決闘”しようとしてるんだよね」
「どうしてそれを……」
コロニーには、“決闘”と呼ばれる制度がある。
これは操者のみに許された権限で、対戦者双方の同意があった場合のみ、十分に広く被害の出ない空間でドール同士による戦いを許可する――という仕組みだった。
コロニー内が二分され、操者が対立していた頃、“戦いに秩序”をもたらすために作られた古い制度だが、闘技場で行われる決闘が住民に非常に人気の高い娯楽となっているため、今でも変わらず残されていた。
「ランクにも関わる正式な決闘なら、不正はできないから、わたしは今みたいな力を使えない……そう思ってるんだよね? あははっ、なんていうか……必死だよね。そこまでして、わたしより弱いってことを認めたくないの? そんなにプライドが大事? 他に自分が誇れるようなものはない?」
「うるせえぇぇっ! さっきからいちいち不愉快なんだよ、てめえの言葉は!」
「当たり前じゃん、ザッシュを嫌な気分にさせようと思って言ってるんだし」
「ッ……プリムラアァァァァッ!」
「あはははっ、吠えてる吠えてる。そんなにイライラするならわたしを攻撃したら良いんじゃない? 大事なのがプライドだけなら、別に決闘にこだわる必要もないんだし」
「それは……せ、正々堂々とお前を倒さねえと意味がねえんだよ!」
「ダサい強がりばっか。今のわたしには勝てないって素直に認めたらいいのに」
「黙れぇッ!」
どれだけ喚こうが、ヘスティアはガラテアに襲いかかってはこない。
プリムラはそれをわかった上でザッシュを煽っている。
(だとしても――ここまで執拗にやるものだろうか)
完全に傍観者になってしまったアリウムは、会話を聞きながら考える。
割って入って真意を聞き出すという方法もあったが、今の彼女にはその必要性も、勇気も無かった。
(……罵倒されるザッシュよりみじめだな、私は)
自己嫌悪に陥る。
そんな沈むアリウムの耳に、ボタンの声が聞こえてくる。
「プリムラさん……無事でなによりです」
艦橋に戻ってきた彼女は、まっさきにそう声をかけた。
クラスCを担当する教官の一人であるボタンと、最底辺のクラスEであるプリムラの間に、接点はほとんどない。
もっとも、ロクス・アモエヌスとガラテアの間に通信は繋がっていないので、その声はプリムラに届いていないのだが。
今、ボタンやアリウムの前に表示されている映像は、ヘスティアから転送されたものである。
「さて、決闘許可だけなら艦長だけでも行けるが、こういうときは引率してる教官の承諾も必要だ」
「そこまで規律を正しく守るなんて、優等生だねザッシュ」
「く……聞こえてるかボタンちゃん。俺は今から、このプリムラと“決闘”を行う」
「け、決闘!?」
いきなり呼び出され、いきなりそう告げられたボタンは、素っ頓狂な声を出した。
確かに決闘は、元々つぶしあいに使われていたものだ。
しかし現在では、私闘に利用されることはほぼ無いといえる。
なにせ、ドールはコロニーにとって、フォークロアに対抗しうる貴重な戦力だ。
酔っ払った勢いで喧嘩して全壊――なんてことになったら損害は計り知れない。
なのでほとんどの場合、学園内で行われる大会だとか、コロニー内のショーなどで、“ドール同士の戦闘を禁ずる”という法律の抜け穴として活用されるだけである。
しかし今は違う。
ザッシュはガラテアを完膚なきまでに破壊するつもりだ。
そしてその不必要性を証明し、今度こそ完全に、プリムラをコロニーから消し去るつもりなのだろう。
「そんなのダメに決まってるじゃないですか! プリムラさんは生きて戻ってきましたが、疲弊しているはずです。まずは保護して、しかるべき治療を受けさせるべきでしょう! 艦長、今すぐ着陸して彼女を回収してください」
「それはできん」
「どうしてですか!?」
「彼女はコロニーから追放された人間だ。無断で回収するなど――」
「そんな詭弁がいつまでも通用すると思わないでくださいっ!」
ボタンは艦長の胸ぐらを掴んで喰いかかった。
これにはさすがに、周囲の人間も驚いている。
「彼女はまだ、コロニーからの追放処分はおろか、学園からの退学処分だって受けていないはずです!」
「……む、それは」
「さっきから考えていたんですが、コロニーからの追放なんて重罰、議会を通さずに決まるはずがないんですよ。ましてやそれが貴重な操者ならなおさらに。あと、学園からの退学処分だって、少なくとも他の教官に全く話が無いなんてことありえません。おそらくこの件に関連している人たちは、“事後処理”で全てを片付けようとしていたんじゃないですか?」
「……」
「そして艦長さん、あなたが従っているということは、おそらく軍の幹部が関連しているんでしょうね」
艦長は答えないし、目も合わそうとしない。
どれだけ睨まれようとも、無言を貫き通す。
「ボタンちゃん、んなことあとでいいだろ」
膠着した艦内にしびれを切らせ、ザッシュが声をあげた。
「早く許可出してくれよ。俺、早くプリムラのあの余裕を引っ剥がして、泣き叫んで許しを乞う姿を見るのを楽しみにしてんだ」
「逆になると思うけど」
「黙れつってんだろ」
「余裕ないなあ。ボタン先生、わたしにあなたの声は聞こえないですけど、いいですよ許可して。というか、わたしも決闘したいんですよ。クラスCのザッシュに勝てばそれなりに序列も上がるはずですし、なによりわたしが役立たずじゃないって証明になりますよね」
「プリムラさん、あなた……」
ボタンもプリムラの様子が違うことに気づく。
だがおかまいなしに、プリムラは言葉を続けた。
「クラスEの最下位なんて、どのみち退学になるのは時間の問題ですから。そういう学則があるんですよね。だったらここで、この相手を見下すしか能のない品性下劣なゴミを踏み台にしてのし上がるのが一番効率がいいじゃないですか」
「……だ、そうだぜボタンちゃん。俺も賛成だ、こういう調子に乗ったメスをしつけて跪かせて命乞いさせるのはさぞ気持ちいいだろうからな。できるだけ、正々堂々と叩き潰してやりたいんだわ」
「あっは、メスとか気持ちわる」
互いに、闘志は十分だ。
あとはボタンさえうなずけば、すぐにでも戦いは始まるだろう。
彼女はそれでもためらっていたが、しかし――着陸しようとしない艦長を見て、気持ちを固める。
どのみち、この男を納得させなければ、プリムラを回収することはできない。
軍人でないボタンには、彼に命令することもできないのだから。
唯一意見できそうなアリウムも、変貌したプリムラを前にショックを受けているのか、黙り込んだままだ。
「わかり……ました。決闘を許可します」
「私も許可をしよう」
ボタンに続けて、艦長からも許可が出る。
彼の場合、最初から出すと決めていたので、決断の必要すらなかったわけだが。
上司からプリムラを消すよう頼まれた彼にしてみれば、ここでザッシュにプリムラを潰してもらうほうが都合がいいわけである。
もっとも、五十メートル級を振り回す姿を見た今、果たしてヘスティアでガラテアを倒せるのか――そこが一番の問題なのだが、興奮したザッシュを今さら止めることはできない。
「さて、と。そういうこった。まずはお前のドールのデータをロクス・アモエヌスに送りな。機体がスキャンされれば、まともな状態かどうかはっきりするはずだ」
「言われなくてももう送ったよ」
言葉通り、艦橋にはすでにヘスティアと並んで、ガラテアのデータが表示されている。
ザッシュは、艦長からプリムラに“不正警告”が言い渡されるのを待っていたが、いつまでも聞こえてはこない。
「おい、艦長。あのドールには……」
「問題は、ないようだ。両者の準備が整い次第、決闘をはじめる」
「待てよ! んなわけねえだろ!? プリムラごときが、なんの細工もなしにあんな力を出せるはずがねえッ!」
「ふふっ……必死」
プリムラが噴き出して笑うと、ザッシュの顔は真っ赤になった。
「そうは言われてもな、違法パーツの類も確認できなければ、フォークロアの影響もない。わかったのは、パイロットの体力が低下していることぐらいだ」
「ぐ……ぅ……!」
艦橋より聞かされる現実に、ザッシュは歯を食いしばり、イメージデバイスに置いた手にも力が入る。
条件は、言うまでもなくイーブン。
いや、むしろザッシュのほうが有利なぐらいだ。
アリウムが妨害するはずもないので、邪魔だって入らない。
「これで、正々堂々と決闘できるね」
プリムラには最初からわかりきっていたことだった。
あの事件への関与と同様に、自分が不正などしていないことは、他でもない彼女自身が一番よく知っているのだから。
「ああ……わかったよ。やりゃあいいんだろ」
ここまで来て決闘を中断するとも言えないザッシュは、覚悟を決める。
「アニマが目覚めただかなんだか知らねえが、一年でCクラスまで上り詰めたんだぞ? アリウムには届かなくても、間違いなく俺は天才だ! 才能に恵まれている! その俺が、あんな女に負けるわけねえッ!」
自己暗示のような宣言。
再び噴き出しそうになるのをプリムラは堪え、「ふぅ」と息を吐き出すと、両手をイメージデバイスの上に置きなおした。
ドールのデータを送ったことで、ガラテアも艦橋と通信が繋がるようになる。
決闘開始の合図に、特に決まりはない。
大会なら審判が宣言するし、ショーならゴングが鳴ったりもする。
とにかく公平に、同時に二人に聞こえる音なら何でもよかった。
その役目を任されたのは艦長だ。
彼は緊張した面持ちで軽く深呼吸を済ませると、大きめの声で言い放つ。
「試合、始めッ!」
操縦席内に言葉が響くと同時に、二体のドールが地面を蹴った。
「おぉおおおおおおおおッ!」
「――ッ!」
気合の入った雄叫びをあげるザッシュ。
反対に、プリムラは静かに、力のこもった息を吐き出し駆け出した。
そして互いの距離が縮まったところで――フッ、とガラテアの姿がザッシュの視界から消える。
いや、そう見えただけだ。
ガラテアは腰を低く落とし、脚部に魔力を集中させ一瞬でヘスティアの懐まで入り込んだのだ。
「なっ!?」
見えたときにはもう遅かった。
「遅ぇんだよ」
驚くほど冷たいプリムラの声が聞こえた。
口調も荒々しく、口元はニィ、と悪意に歪む。
そして突き出される手刀。
それはヘスティアの腹部装甲に触れると、そのままなんの抵抗もなく、まるで紙でも突き破るように貫通する。
フォークロアの残骸から作り上げた武器すら必要はない。
「ぐ、おぉおお……っ!」
コクピットを破壊しないのはプリムラの優しさか。
しかしその衝撃は激しく、操縦席全体がガクンと揺れ、ザッシュは意識を持っていかれそうになる。
どうにか気絶は免れたが、胃の内容物が逆流するような気持ち悪さを感じていた。
手刀で相手を串刺しにしたガラテアは、そのまま放り投げるように抜き取る。
地面に叩きつけられたヘスティア。
その様は、左腕を潰されうずくまったプリムラの姿によく似ていた。
「哀れだなァ、ザッシュ」
彼女は目を細め、それを見下ろす。
そして物憂げにため息をつくと、すぐに表情にいびつな笑顔を張り付け、心に悪意を満たした。
「すぅ……ふぅ。ねえザッシュ、この程度で終わり? わたし、まだ今日までやられたことの1%だってお返しできてないんだけど」
「う……ぐ……」
「別に降参してもいいんだけどね。ちなみにわたし、今のザッシュより痛くて苦しい目に、何度も遭わされてきたよ。それでも暴力を振るうのを止めたりはしなかったよね。その点、わたしはこうやってザッシュに話しかけて、平和的に戦いが終わらせられないか模索している。優しいと思わない? うん、すっごく優しいと思うな」
「……俺は、やられてねえ」
「え、なに?」
「俺はぁ、やられてねえ!」
ヘスティアは震える手で立ち上がる。
ザッシュのイメージをそのままトレースしているせいか、その動きは傷ついた人間そっくりだ。
実際のところ、彼さえ“普通に立ちたい”と思えば、ドールはそれに応えてくれるはずなのだが――
(たぶん、かっこつけたいんだろうな)
プリムラはそう考える。
実際それは正解だ。
ザッシュは、自分が主人公のつもりになって、ヒロイックな台詞回しをしようと必死なのだ。
「全然ダメージなんてねぇし、お前の姿を見失って不意を突かれたことも、いきなり腹をぶち抜かれたなんてこともねえ。全部、嘘だ。いや、むしろ俺のほうがダメージを与えた。俺のヘスティアの手刀が、お前のドールを貫いたんだ」
「……なに言ってんの?」
いきなり負けたのがショックで頭がおかしくなったのだろうか。
煩わしいのでとどめを刺そうと近づくガラテア。
だが接近すると、キイィィィ――と耳鳴りのような音が聞こえてきた。
(魔力の放出……)
よく見ると、ヘスティアは全身に魔力を纏い、淡く光っていた。
その光は、機体全体に魔法陣らしきものを描いている。
ドールは、宿るアニマが持つ逸話――すなわち“神話”に沿った外見と能力を得る。
アニマの記憶を継承できない一般的な操者は、魔力を得ても魔術を使うことはできないのだが、魔術に似た力を使うことはできた。
それはいわば、“ドール自身が持つ特殊能力”のようなもの。
魔術と異なり、状況に合わせて異なる効果を発動させることはできないが、たとえ操者が魔術を使用できなくとも、その陣はドールそのものに刻まれているため、魔力さえ注げば発動は可能だ。
「奥の手だった。もっと上のクラスに上がるまで……秘密兵器として、取っておくつもりだったんだがな……」
奥の手、出すの早くない? と突っ込みたくなるプリムラだったが、ここは黙って聞いておく。
おそらく彼にとって、一世一代の“かっこつけ”だろうから。
「虚勢こそが真なり!」
魔術が発動する。
魔力により、景色が、現実が捻じ曲げられる――
「……これは」
気づけば、ヘスティアは無傷で前に立っていた。
一方で、ガラテアの様子がおかしい。
腹部を見る。
無傷だったはずのそこには、手刀で貫かれたと思われる穴が空いていた。
「他の神と違い、ヘスティア自体にさほど伝わっている伝承はない。だからこれは、由来を同じとするウェスタの処女の伝承を“それっぽく”解釈した能力だ」
ザッシュは得意げに語る。
ようやくいつもの調子が戻ってきた、と言わんばかりに。
そして次の言葉は、決めゼリフにようにさらにかっこつけ、画面の向こうのプリムラを指さしながら言った。
「発動中、俺の言葉は全て真実になる」
それは冗談めいた――あまりに馬鹿げた能力であった。
神の力なのだから妥当と言えば妥当かもしれないが、それにしたってインチキが過ぎる。
そんな“チート”を目の当たりにしてプリムラは、
「ふーん」
と興味なさげに相槌を打つだけだった。




