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036 断罪砕牙キラーバイツ

 



 現実世界より一足先に、異空間の夜が明ける。

 仮眠を終え、少し前に目を覚ましたプリムラとアリウムは、最小限の荷物を持ってルビーローズ邸を出た。

 背負ったリュックの中には、食料と水、そして救急キットが入っている。

 万が一のときの備えである。


 扉を開き、隙間から様子を見る。

 外に例の“監視者”はいない。

 プリムラとアリウムは頷き合うと、外に出た。


 まだ早朝だからか、化物どもの気配も希薄だ。

 それでも警戒は怠らず。

 一体に見つかれば大量に群がってくるのだ。

 過剰なまでの慎重さこそが、最短で目的地にたどり着くための秘訣である。


 所々にある“赤”を避けながら、まずは一直線に廃工場へと向かう二人。

 ラスファたちの位置は、現実世界にいるヘスティアとハデスから聞いた。

 なぜ彼女たちがそれを知っていたのかは不明だが、今はそれを信じてそこを目指すしかない。


 目的地までは、このペースだと三十分といったところか。

 思っていたよりも遠い。

 おそらく、化物に発見され、逃げているうちにルビーローズ邸から離れてしまったのだろう。

 あちらには六十過ぎの、操者ですらない男女というハンデがある。

 プリムラたちほどすばやく動くことはできないに違いない。


「静かだな……」


 並走するアリウムが小声で言った。


「うん……まだ寝てるのかもね」


 二人にとっては幸いだが、音のない異形の世界には、昨日以上の不気味さが満ちている。

 かといって、足音が聞こえてきたら安心というわけでもなく――


「アリウムちゃんストップ」


 角で、二人は同時に止まる。

 どくんと心臓が高鳴る。

 やはりあのアンバランスな姿を見てしまうと、それはそれで精神的にクるものがある。

 肥大化した頭部を持つ化物は、プリムラたちには一切気づいていない。

 その場で立ち止まり、やり過ごす。

 通り過ぎたところで、その背後を素早く横切る二人。

 直後、化物が彼女たちのほうを振り返ったが、その頃にはすでに姿はなかった。


 コツさえ掴めば、移動自体は苦ではない。

 ここはコロニーを元にして作られた世界。

 だからある程度は、地図のイメージができている。

 とはいえ、それは自由にルートを選択して移動できているからだ。

 もしも目的地付近に化物たちが群がっていたら。

 全ての道が塞がれていたら。

 そのときは、倒せないこと、増えること、追われ続けることを承知の上で、戦うしか無い。

 そこが廃工場で、なおかつコロニーが再現されているというのなら、人通りは少ない場所であるはずなのだが――


 化物の姿がないことを祈りながら、進む。

 そして祈りは通じる。

 廃工場と思しき大きな建物の周囲に、気配はなかった。


「よしっ」


 プリムラが小さくガッツポーズをすると、アリウムが「ふっ」と微笑む。

 それに気づいて、プリムラの頬にさっと赤みがさした。


 工場に侵入する二人。

 中に広がっているのは、ただ広いだけの空間だった。

 例のごとく見た目は刺激色でマーブルなエキセントリックさだが、十分に四人の人間が身を潜め、寝泊まりするだけの余裕がある。

 しかし――どれだけ探しても、探していたラスファたちの姿は無かった。


「プリムラ、こっちに!」


 手分けして探していたアリウムが、プリムラを呼び寄せる。

 彼女の視線の先には、赤い液体が染み込み、変色した床があった。


「血痕だ……」

「夜が明ける寸前に襲撃を受けたんだね。だけど、外を見る限りそんなに騒がしくはなかった」

「あんなに静かだったのは、別の場所に化物たちが集まっていたから……とは考えられないか?」


 アリウムの言葉に、息を呑むプリムラ。

 だとすれば、ラスファたちを追っている化物の数はあまりに膨大だ。

 アトカーとフィーシャを背負ったラスファとフォルミィたちが、長時間逃げられるとは思えない。


「……! 追おう、アリウムちゃん!」

「場所がまだっ」

「ヘスティアから連絡が来たの。ラスファ先輩たちは東に向かっただってさ」




 ◇◇◇




「近寄らせませんわっ!」


 ラスファが金属の棒に、薄い板を取り付けた武器を振り回す。

 すると接近した化物の頭が真っ二つに割れた。


「まだまだいきますわよぉっ!」


 続けて、薙ぎ払って接近してきた化物を二体同時に断ち切る。

 しかし武器として使っているそれは、元は標識だったものだ。

 形が歪んでいることもあり、すぐに曲がってひしゃげて使えなくなってしまう。


「最後まで余すことなく使ってさしまげますわぁっ!」


 最後はジャイアントスイングの要領で相手に投げつけた。

 のけぞる化物。

 だが相手の数が多すぎる。

 脚が肥大化した化物は、まるでスプリンターのようなフォームでドスドスドスと地面を揺らしながら近づいてくるし、腕が肥大化した化物は、逆立ちしながら脚の化物と変わらぬ速度で肉薄する。


「フォルミィ、まだ行けますかしからっ!?」

「こっちは大丈夫だ。でも二人が――」


 フォルミィは、アトカーを背負い、フィーシャを腕に抱え、逃走に専念していた。

 彼女のアニマはヘルメスだ。

 だからなのか、はたまた幼い頃から運動神経が良かったおかげか、“走る”ことに関してはラスファよりも向いている。

 一方でラスファは、幼少期からデルフィニアインダストリーで訓練を受けてきた。

 戦闘に関しては一日の長があった。


 プリムラとアリウム同様、ラスファとフォルミィも二人ならば、問題なく逃げ切れただろう。

 だが問題は、アトカーとフィーシャである。

 二人は走っていない。

 とはいえ、抱えられたまま長時間移動というのは、それだけで負担になるものだ。

 フィーシャは心労もあってか顔面蒼白だし、常日頃からある程度は体を鍛えているアトカーも疲労の色が濃い。


「くっ、どこかに逃げ込みたいところなのですが……ふんッ!」


 伸ばされた手を避け、両手で掴み、化物を投げ飛ばすラスファ。

 飛んだ化物は他の化物と衝突し、絡み合い、そう広くない道に栓をする。

 だが背後から迫る大群は、それを乗り越えてラスファたちに迫った。

 さらに両側の塀や屋根の上からも、次々と飛びかかってくる。


「ラスファこそっ、大丈夫なのか!?」


 塀の上をネコのように駆け抜けながら、フォルミィは問う。


「あなたが折れていませんのに、わたくしが折れるわけにはいきませんわっ! はああぁぁぁっ!」


 走りながら標識を蹴り折って、それを振り回しながらラスファが吠える。

 本来彼女の得意とする武器は姉と同じく“弓”だが、そんなものがこの世界で用意できるはずもない。

 いや、今使っている標識の反り具合なら、あの化物の皮でも剥いで弦にしてしまえばできないわけでもないが――加工できる場所と時間があるのなら、額に汗を浮かべて焦ったりはしていない。


(昨日も思いましたが、数が多すぎますわ。フォルミィも昨日からずっと二人を担いだまま動いていて体力の消耗が激しい。このままでは、殺されるのは時間の問題ですわね)


 操者とは無敵のヒーローではない。

 確かに身体能力は一般人よりも高いが、“高い”止まりだ。

 プリムラのように魔法が使えるならともかく、ただの呪われた子でしかないラスファが、アニマも使えない状態でできることは限られている。


「うわあぁっ!?」

「フォルミィっ!」


 一心不乱に標識を振り回していると、塀の上を走っていたフォルミィが()からの襲撃を受ける。

 壁を突き抜けて化物が突っ込んできたのだ。

 ラスファはとっさに手に持った武器を放り投げ、そいつの頭に突き刺した。

 だが彼女は素手になる。

 迫りくる巨大な口を防ぐ術がない――


「とぉおりゃああぁぁぁあっ!」


 と、そこに塀から飛び降りたフォルミィが飛び蹴りを放った。


「ぐうぅっ!」

「う、ううぅ……っ!」


 もちろんアトカーとフィーシャは抱えたままで。

 強い衝撃に、二人がうめき声をあげる。

 だがこうしなければ、ラスファが死んでいた。

 もっとも最大の問題は、一度足を止めてしまい、周囲を完全に囲まれたこの状況から、どう抜け出すかだが。


「はぁ……はあぁ……」


 自分たちが追い詰められている自覚がある。

 だから年長者二人はどれだけ雑な扱いをされても、文句も泣き言も言わない。

 とはいえ、フィーシャの体力は限界が近かった。


 今から一時間ほど前、廃工場は化物の襲撃を受けた。

 たまたま一匹の化物が、廃工場の隅に空いていた穴から侵入し、フィーシャに襲いかかったのだ。

 もちろんすぐにラスファとフォルミィが撃破したが、化物は分裂し再生、さらに仲間を呼び出した。

 加えて、フィーシャはそのときに腕に傷を負っていた。

 廃工場に残っていた血痕は彼女のものである。

 血が滴り床に染み込むほどだ、出血量もそれなりで、本来ならすぐにでも治療が必要だった。


「万事休すですわね……」


 しかし現実はそれ以前に、フィーシャどころか、誰一人として生き残ることすら難しそうである。


「弟たちが待ってるんだ、あたしは死ぬわけにはいかない」

「わたくしだってこんな場所で死ぬのは御免こうむりますわ。わたくしは生きて、自分の人生を謳歌すると決めていますの」


 泣きわめいて崩れ落ちてしまいたい気分だ。

 二人のメンタルは、まだまだ十代の女子のそれなのだから。

 だが化物に命乞いなど無意味だし、なにより最後の最後の瞬間まで生き残るのを諦めたくないから、強がる。

 強がって、生への渇望をさらに強いものにする。


「それは面白そうだな。隣で見届けてもいいか?」

「嫌がっても勝手についてくるのがフォルミィではないですか」


 生きても死んでも、あの世までラスファに付いてきそうである。

 まあそれも悪くないかもしれない――なんてらしくないことを考えてしまうほど、ラスファは追い詰められていた。

 じりじりと、舌なめずりするように迫りくる異形の“壁”。

 それを間近で見ているのだから、仕方のないことではあるが。


(ここで私たちも終わりか。アフラーショ……アリウム……なにもできなくて、すまない……)


 アトカーも死を悟り、瞳を閉じる。

 不安げな表情で夫を見るフィーシャも、それを見てふっと表情から力が抜けた。

 諦めたのだろう。


「いいや、あたしは本当に嫌がってる相手とは距離を取るぞ」

「なんですの、そのわたくしが本心では嫌がってないみたいな言い方」


 そして二人が最後ぐらいは“らしく”幕を下ろそうとしたその時――


「せぇやあぁぁぁあああああッ!」


 岩のハルバードを手にしたアリウムが、敵の群れを切り裂いた。


「アリウムちゃん、突っ込み過ぎだって!」


 遅れてやってきたプリムラが、氷の槍で化物たちを頭上から刺し貫いていく。

 だがトドメは刺さない。

 殺したって分裂するだけなのだ、だから串刺しにして、足元を氷漬けにして、その場で身動きが取れないように固める。


 対するアリウムは、とにかく修羅の如き表情で敵を斬りまくっていた。

 祖父母の姿を見て、落ち着いてはいられなかったのだろう。


(……あんなのでも、アリウムちゃんにとっては親代わり、なんだよね)


 少し物憂げにそんなアリウムを見ながら、魔法を乱射するプリムラ。

 別にそこを否定するわけじゃない。

 プリムラが戦う理由だって、元を正せば家族を殺されたことだ。

 彼女にとってアトカーとフィーシャは、自分から大事なものを奪った張本人だが、アリウムにとっては“大事なもの”そのもの……一晩を経て理解しあえた気もしたが、そこに隔たりを感じずにはいられない。

 だからと言って、プリムラにとってのあの二人が憎悪の対象であることは変わらないが。


「お祖父様、お祖母様ぁっ!」


 ほぼプリムラのおかげだが、動きを止められた化物たちが壁となり、ほんの少しだけ攻め手が緩む。

 その間にアリウムは目に涙を浮かべながら、フォルミィからフィーシャの体を受け取った。


「アリウム……よかったわ、無事、で……」

「お祖母様こそ、ご無事でなによりですっ」


 抱きとめたその体は不自然に熱い。

 傷のせいで熱が出ているのだろうか。


「アリウムに……プリムラ君、か。今回は助かった、礼を言う」

「どうでもいいんで早く逃げましょう、すぐにまた囲まれますから」

「ですわね」

「一人になったおかげであたしも体が軽いからな、ガンガン逃げるぞぉっ!」


 六人は飛び出すように駆け出す。

 すぐさま上下左右非対称のアンバランスなクリーチャーたちが追ってくるが、じわじわと距離は開いていく。

 合流したおかげで気分が楽になったのか、体も軽い。

 その速度は明らかに上昇していた。


「この傷は……」


 移動しながら、アリウムの視線はフィーシャの腕に向けられる。


「あの化物にやられたのだ」

「治療道具は持ってきています、すぐに安全な場所に移動しましょう!」


 そう言って、張り切るアリウム。

 その後、プリムラの尽力もあって、六人は化物の群れから身を隠すことに成功。

 気配のない手頃な民家に身を潜め、治療を行うことにした。




 ◇◇◇




 民家と言っても、ベッドは“赤”が混ざっているので使い物にならない。

 フィーシャは凸凹とした硬い床に寝かせるしかないが、それでも抱えているときよりは楽になったようだ。

 先程よりも穏やかな表情で、横になった彼女は寝息を立てている。

 アリウムは、そんな祖母の治療を精力的に行う。

 その隣では、体力の消耗が激しかったアトカーも寝そべり、ゆっくりとした呼吸を繰り返していた。


 プリムラ、ラスファ、フォルミィの三人は、スペースの問題もあったので別室で待機している。

 昨日一日、なにも口にしていないラスファとフォルミィは、プリムラが持ってきた食料を貪るように食らった。


「デルフィニア家のお嬢様とは思えない食いっぷり……」

「むぐっ、はむっ! うるさいですわね、わたくしだってお腹ぐらいは減りますわっ」

「ひょうだぞ、プリムラ。ラスファはなぁ、こう見えても……んぐっ、かなり食い意地が張っててだな。うちでご飯を食べたときはあたしの弟から肉を奪って――」

「フォルミィ、余計なことは言わないでいいんですのよっ!」

「相変わらず仲がよろしいことで」


 呆れたように言うプリムラ。

 するとラスファは一時的に食事の手を止め、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。


「あなただって、アリウムとうまくやってるようではありませんか」

「どこを見てそう思ったんです?」

「雰囲気だな。前と全然違ったぞ?」

「……まあ、否定はしないけど」

「認めればよろしいですのに」

「ラスファみたいな往生際の悪さだな」


 余計なことを言って、またラスファに睨まれるフォルミィ。

 しかしプリムラは浮かない表情だった。


「アリウムのことは気になる。でもルビーローズ夫妻が気に食わない……そんな顔ですわね」

「顔に出ちゃってた?」

「ラスファぐらいわかりやすいな」

「フォルミィ、あなたはいちいち……」


 睨まれて、なぜか嬉しそうに笑うフォルミィ。

 ラスファは諦めたように「はぁ」とため息をついた。


「まあ、気持ちはわからないでもないですわ。あの人、どこか独善的なところがありますから」


 独善的――その言葉はプリムラの中でしっくりと来た。

 アトカーを表すのにぴったりはまる単語だと感じられたのだ。


「教団のことだって、一人でこそこそと調べずに、賛同者を増やすべきだったんですわ。政治家だと言うのならなおさら」

「ああ、やっぱ教団について調べてたんだ。ってことは、本当に全部アリウムちゃんのためだったんだね」


 感心する――というより呆れてしまう。

 よくもまあ、そこまで最悪の手を選べたものだ、と。

 言ってしまえば、全ての原因は“家族愛”にあったわけだ。

 好きだからこそ引き離し、好きだからこそ歪んで。

 きっとほんの少しだけ歯車のタイミングが違えば、うまく噛み合っていたかもしれないのに。


「プリムラは、あの二人のことが嫌いなんだよな?」

「もちろん」

「じゃあどうするんだ? 傷つければ、アリウムも一緒に傷つくぞ」

「かと言って、なにもせずに放置するわけにはいかない……そんな雰囲気ですわね」

「別にどうもしないよ。諦めるとかじゃなくて、その必要がないから」


 そう言い切るプリムラは、どこか上機嫌だ。


「……ああ、そういうことですの」


 ラスファは彼女の考えに気づいたのか、一人納得している。

 だがフォルミィは首を傾げていた。


「どういうことだ?」

「どうせわたしがなにもしなくても、勝手に自滅するってこと。まあ、ひょっとするとその前に、本人たちが動くかもしれないけどね」

「動く? なんのために?」

「残り少ない命を、できるだけ大きく燃やすために――かな」


 そう言って、プリムラはアリウムたちのいる部屋の方を見て、目を細めた。




 ◇◇◇




 丁寧に丁寧に包帯を巻くアリウム。

 その下では塗布されたナノマシンが、現在進行系で傷を塞いでいる。

 一晩眠れば、フィーシャの傷は癒えるはずだった。


「はい、これで完璧です」

「ありがとうねぇ、アリウム」


 フィーシャは愛おしそうにアリウムの手を撫でた。

 はにかむアリウム。

 祖母はいつだって優しく彼女を包み込み、支えてきてくれた。

 アトカーの厳しさだけでは、今のアリウムは存在していなかっただろう。


「ごめんなさい、お祖母様。本当ならお祖母様はこんなことに巻き込まれるはずじゃなかったのに……」

「あの人の妻になった時点で、避けようのないことだったのですよ」

「お祖母様……」

「覚悟をしていた、というと嘘になるかもしれません。あなたやあの人と違って、私は強くないから。けれど……予感はあったのです。いつか、こういうことになるのではないか、と」


 “こういうこと”――その言葉が意味するところを、アリウムは理解できなかった。

 今のような状況。

 自分が怪我をすること。

 そのどちらでもないように感じられたからだ。


「もうこんな年ですものね……」


 手を握っているのに、遠い。

 アリウムは以前からたまに、そんな寂寞感を覚えることがあった。

 祖父母だから、だろうか。

 両親だったら、こんなにも距離を感じずにいられたのだろうか。

 深く考えれば考えるほど、悲しくなってくる。


「ねえ、アリウム」

「はい、お祖母様」

「プリムラさんとは……仲直り、できたのかしら?」

「え……?」

「ああ、いいのよ、私は別に気にしていないから。あの事件の原因を全て彼女に押し付けるのは、あまりに乱暴ですもの」


 フィーシャはアトカーほど、強く呪いの存在をなどを信じているわけではないし、どこかで五年前の事件のことを“諦めている”節があった。

 起きてしまった悲劇は変えられない。

 だからせめて、生き残ったプリムラに幸せになってほしい――そう思うのだ。


「少し前よりは、距離は縮まったと思います。ですがやはり、まだまだですね。元には、戻れていません」

「そう。だけどその“少し”が、アリウムにこんなに良い影響を与えるのなら、私たちは……」

「いい影響……ですか。見てわかるほど、ですか?」

「わかりますよ。あなたがこんなに穏やかな顔をしているのを、久しぶりに見ましたから。あるべき場所に収まった、そんな顔をしています」


 嬉しそうに、しかし少しだけ寂しそうに、フィーシャはアリウムの頬を撫でた。

 しばし、その感覚に身を委ねるアリウム。


 目をつぶったアトカーは、そんな二人のやり取りをずっと聞いていた。

 プリムラとの距離を縮めたという事実は、受け入れがたいことだ。

 あれは呪われている。

 あれは悪魔の子だ。

 絶対にアリウムを幸せにはできない。

 そう信じてきた……信じ込んできた相手なのだから。

 だが――事実として、アリウムはかつての穏やかさを取り戻しつつある。

 そして気づく。

 アトカーの考える“幸せ”とアリウムの考える“幸せ”は、違うのではないかと。

 正しく生きて、優秀な人間になって、出世して、いい相手と結婚して、子供を生んで――そんな、あまりに定型的な幸せ。

 当たり前のように、あらゆる人間がそれを望んでいると思っていた。


(私は……この歳になって、そんなことに気づくのか)


 あまりに遅い。

 だが、遅いからこそなのかもしれない。

 頭が柔らかくなったのではない。

 一種の諦観――フィーシャが抱いている、アリウムの感じる“遠さ”と同種の、心に生じた弱みが、それを許容したのだ。


 時折、化物が家の外を通り過ぎていく。

 その動きは忙しなく、まだプリムラたちを探していると思われた。

 極限状況の中で、人々の心に少しずつ変化が訪れる。

 死の恐怖を突きつけられて、自分の人生を見つめ直す。

 命を賭けて、この壁を超えて、もしも無事に元の世界に戻れたのなら――彼女たちの関係は、また一歩、前に進めるのかもしれない。


 もっとも――ここが、そんなにヌルい世界なわけがないのだが。


「……お祖母様?」


 それは一瞬の出来事だった。

 傷口が蠢いた。

 しっかりと巻いたはずの包帯が突き破られた。

 血が噴水のように吹き出して、アリウムの顔や体を汚した。

 化物の“口”だけがずるりと這い出てきた。

 最後に見えたのは、フィーシャが腕の痛みに苦しむ歪んだ表情だった。

 大きな口は、フィーシャの頭部を加え込んだ。

 白く輝く歯に噛み砕かれて、祖母の頭蓋からバキッと砕ける音がした。


「あ……あっ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁあああああああああッ!」


 フィーシャの、しゃがれた叫び声が轟く。


「お……お祖母様、お祖母様あぁぁっ!」


 アリウムも叫んだ。

 アトカーは飛び起き、プリムラたちも隣の部屋から走って来る。

 その間にも、口は万力のようにフィーシャの頭を押しつぶしていく。


 メキメキ、ゴリュッ、バキィッ。


 鳴ってはならない音が、鳴ってはならない場所から鳴っている。


「あがああぁっ、がっ、ひゅひっ、ひっぎいいっぃいいいいいっ!」


 フィーシャは苦しみもがき、肌色の人間の口だけを切り取ったような化物を引き剥がそうと必死だ。


「やめろっ、離せえぇぇぇつ!」

「フィーシャあぁぁっ!」


 同様にアリウムとアトカーも力ずくで離そうとしたが、びくともしない。


 ミシミシッ――ブチュゥッ!


 さらに、鳴ってはならない音が鳴る。


「かひゅっ……ひ……う……」


 フィーシャの体がびくんと震え、だらんと力が抜け、失禁し脱糞する。


「うわああぁぁぁあああああああっ!」


 一際大きな叫びをあげて、アリウムが力いっぱい化物を引っ張ると――ようやく、ずるり(・・・)と引き剥がすことに成功した。


「おばあさ……ま」


 固まるアリウム。


「あぁ、フィーシャ……フィーシャぁ……!」


 絶望に瞳を見開くアトカー。

 引き剥がしたのは、化物じゃない。

 かろうじてくっついていた、彼女の頭の上半分だ。


「オイシイヨッ、ハブッ、グチュッ、ングッ……オイシイネッ、ミソッ、アジガツイテテッ、トッテモッ」


 投げ出された化物は、なにかを言いながらフィーシャの脳を咀嚼し、嚥下する。

 糞尿と脳漿の臭いが部屋に漂う。


「う、うえぇ……」

「これは……っ」


 遅れて部屋に到着したフォルミィとラスファは、あまりの惨状に口を抑えた。

 だからそれに気づけたのは、死体を見慣れており、なおかつルビーローズ夫妻の死を予見していたプリムラだけだったのだ。

 もっとも、こんな死に方をするとは露ほども思っていなかったが。


「うっへへへへひゃはひひひひいぃぃいいいっ!」


 ガゴォンッ! と家の壁が破壊され、化物がなだれ込んでくる。

 先程の叫び声で外の連中が気づいたのである。

 プリムラはすぐさま、下からせり出す岩の壁でその穴を塞いだ。

 だがそれも時間稼ぎにしかならない。


「アリウムちゃん、アトカーさんっ!」


 逃げるために呼びかけるプリムラだが、茫然自失の二人は反応しない。


「くっ――」


 プリムラは唇を噛み、二人の体を抱え上げると、ラスファたちとともに家を出た。




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