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031 美人薄命サクリファイス

 



 シャトルは言ってしまえば空飛ぶ車なわけだが、つまり車内がさほど広いわけではない。

 目立つことを避けてか、デルフィニアインダストリーのお嬢様らしからぬ庶民的なシャトルを使っているため、セイカまで乗ると車内はかなり狭く感じられた。


「あ、あの……私、後ろに行きましょうか?」

「このままで構いませんわ。あなたも操者なのでしょう? 久々の後輩とのスキンシップですもの、少しぐらいは堪能させてくださいませ」


 そう言って、フィエナは足の間に座るセイカの頭を撫でた。


(フィエナさんに関するそんな噂は聞いたことありましたが、まさか事実だったとは……)


 別にいかがわしい噂ではなく、その包容力で何人もの操者を手篭めにしてきたという話である。

 しかも本人にこれっぽっちも自覚が無いというのだから恐ろしい。

 だがそれだけに、そんな彼女が妹と仲良くできないことが不思議ではあった。


「さすがに空までは追ってこられないでしょうし、これで安心ですねお嬢様」


 運転手の黒服が言う。

 ラスファに対してはタメ口でしゃべる彼も、フィエナに対しては敬語になるらしい。


「いいえ、まだですわ。後ろのシャトル、おそらくわたくしたちを追跡しているかと」

「普通のシャトルにはセーフティがかかってるから、ぶつけたりはできませんよ」

「セーフティも所詮はネットワークに依存した機能にすぎませんわ。今回の黒幕がわたくしの思った通りの相手だとするのなら――ほら、来ますわよ」


 後方のシャトルが急にスピードをあげ、こちらに突っ込んでくる。

 黒服は慌ててハンドルを回し、ギリギリで回避した。


「うぉっと、マジかよ!」

「まだ油断してはいけませんわ、そのシャトルから距離を取るのです!」

「そうは言うがよぉ、あっちだって追ってくるんですよ!」

「アクセルを限界まで踏みなさい。加速でこのシャトルが負けることはありませんわ!」

「ちくしょう、マニュアル操作ははじめてなんだぞこっちは!」


 ペーパードライバーにとっては今の速度でも十分に恐怖に値するが、上司に言われたからには仕方ない。

 思い切りアクセルを踏み込む。

 ガクンッ、と車体が揺れ、自家用車で出しては行けない領域まで加速する。


「こ、こ、これ大丈夫なんですかぁっ!?」


 思わずフィエナにしがみつくセイカだが、彼女は余裕の笑みである。

 だがおかげで追跡者のシャトルは遠ざかっていった。


「撒けた、か……?」


 歯を食いしばり、声を絞り出す黒服。

 ちなみに後部座席に乗る二人は、ほぼ気絶したように目を剥いていた。


「あれは……」


 スピードが緩んだところで、セイカはカメラを構え、追ってきた相手の顔を捉える。

 レンズ越しに見えるその人物の額は、地上でセイカを囲んだ連中と同じようにグロテスクに蠢いていた。

 直後、その人物は爆ぜ、爆風がシャトルを揺らした。


「あれも操られてたってことかよ……胸糞悪いな」

「なんなんですか、あれ?」

「マリオネット・プロトコル、その応用ですわ」


 セイカは、プリムラから送られていた文書ファイルでその名前を聞いていた。

 五年前、アヤメが引き起こした事件も、それが原因だと思われる。


「私の予想が正しければ、それってネットワークを介して人間を操る仕組みですよね」


 大気中に飛散するナノマシンを一箇所に集めることで、ただのデータとなったアヤメは現実に顕現した。

 それはつまり、同じ仕組みを使い、ナノマシンの使用権限さえあれば、人以外のデータ上の存在も物質化できるということである。

 脳に干渉して人間を操ったり、肉体のリミッターを外すことも、あるいは脳内に爆弾を作り出すことも可能――なのかもしれない。


「ええ。知っているということは、デルフィニアインダストリーが開発したこともご存知なのでしょう」

「消去法ですけどね。でも、この事態を引き起こしたのがフィエナさんの父親だとは――」

「わたくしもそれは無いと思っておりますわ。父が教団に協力していることはわかっていますが、今回ばかりは父らしくありませんから」


 会社と教団のつながりをさらっと認めるフィエナ。

 だが言い方からして、彼女自身は教団と繋がっていないようだ。

 あるいは、そう思わせているだけかもしれないが。


「カークス・デルフィニア――コロニー1の大企業の社長である彼は、大統領にも勝る権限を持っていると言われています。そんな人物でも制御できない何者かが存在すると?」

「イマジン教団(・・)と言うぐらいですから。教祖様がどこかにいるのではないかしら」

「その正体は?」

「わたくしは存じ上げませんわ。人格をデータ化して楽園のような世界で生きる――そんな話、興味ありませんもの」


 フィエナは吐き捨てるように言った。

 確かにコロニー内にも、楽園と呼ばれるデータ世界に否定的な者もいる。

 政府は『今の人格とデータ化された人格は同一のものだ』と主張するが、その仕組みは一般に公開されていない。

 悪用されないため、後ろめたい部分があるため――隠されている理由はいくつも考えられるが、政府はだんまりを貫き通しているため、どれも推測の域を出ない。

 だが政府に対して良くない感情を抱く者ならば、“人格をコピーするのと同時に命を奪っているだけ”と考えるのが自然だろう。


「あんなもの、複製人格が動き回っているだけではないですか。データになった以上、無意識のうちに改竄されていないとも限りませんわ。どうせ死ぬなら、わたくしははっきりとした“死”をこの世界に刻んで死にたい」


 まるで自らの死を受け入れたかのように語るフィエナ。

 そんな彼女の話を聞いて、セイカはとある噂話を思い出した。


「フィエナさん、最近は操者としての活動を行わず、表舞台にも姿を現していませんでしたよね。ネットでは不治の病説なんてものが流れてましたけど」

「噂通りですわ。わたくしは幼い頃から心臓の病を患っておりましたから」


 あっさりと認めるフィエナ。

 セイカは驚いたが、彼女が平然としているところを見るに、それを隠したがっているのは周囲の人間なのかもしれない。

 クラスS操者が病で命を落としたとあっては、人々に大きな不安を与えかねない。

 もっとも、表に出てこないだけで十分に不安を煽っているのだが。


「ですが心臓なら、培養心臓の移植なりで治療はできるのでは?」

「CASですわ」


 CAS――培養臓器アレルギー症候群は、現代の医学でも原因不明、対処不能な病である。

 クローン臓器をはじめとして、人工的に作られたあらゆる臓器を体が拒み、無理に移植するといずれ必ず死に至る。

 恐ろしい症状ではあるが、対処法がないわけではない。


「でしたら他人から移植を受ければいいはずですよね」


 そう、培養臓器ではなく、普通に他人から摘出された臓器を移植すればいいだけの話だ。

 デルフィニアインダストリーなら、それぐらい簡単に入手できるだろう。


「……そう、かもしれないですわね」


 フィエナは表情を曇らせた。

 しかしそれ以上、彼女から答えを聞き出すことはできそうになかった。


「まあいいですけど。そもそもどうしてそんな重病人であるあなたが、私を助けに来てくれたんです?」

「ラスファお嬢様が心配で飛び出してきたんだよ」


 フィエナの代わりに、運転席に座る黒服が答えた。

 追尾するシャトルがいなくなったからか、先ほどよりも顔色がよくなっている。


「不仲なのにどうして、と聞きたそうですわね」

「それは気になりますよ」

「確かに、わたくしは普段ラスファと距離を置いていますわ。ですが、あの子に命の危機が迫っているというのなら、姉として助けない理由はありません」

「理由になってなくないです?」

「理屈では説明できないのですよ。勝手に体が動いてしまったのですから」


 やはり理由になっていない。

 ラスファとの不和の原因――そこにフィエナが隠したがっているなにかが隠されているのか。


「ところで、あなたはどこを目指していたのですか?」


 話題を変えるフィエナ。


「そちらこそ、どこか目的地があったんじゃないんですか? ラスファさんを助けるっていう具体的な目標もあったんですし」

「目的地なんてねえよ。ラスファお嬢様は、俺らの目の前でアトカー議員の家ごと消えた」

「ええ、わたくしもその話を黒服から聞かされて慌てて出てきたのですが、手がかりは見つかりませんでした。ですのでひとまずコロニー上空を回ってどこかにラスファがいないかと探していたのですが――」

「そしたらいきなり爆発事件が起きて、あんたが怪しい連中に囲まれてたってわけだ」


 辻褄はあっている……が、それだけでプリムラのアニマについて話してしまっていいものか。

 しかし、少なくともラスファは正体不明の、おそらく教団と思われる敵に狙われる側。

 そして、追われていたセイカが乗っているとはいえ、相手はフィエナごと殺そうとした。

 つまりデルフィニアインダストリーは、今回の一件に関しては無関係――ならば。


「教えてくださいませんか? おそらくあなたに手を貸すことは、ラスファを救うことにも繋がると思うのです」

「……プリムラ・シフォーディってご存知、ですよね。彼女も一緒に行方不明になったんですが、その、アニマだけが動き回ってるんです」

「アニマが歩くだぁ?」

「適性指数が200を越えるとそういうことも起きますわ。ですがそれは……ふふっ、良い話を聞けましたわ」


 なぜかホッとした様子のフィエナ。


「アニマがいるということは、本人も生きているということ。少なくとも、屋敷ごと消えた人々はどこかで生きているといういことですもの」

「なるほど、確かにそう考えることもできますね」

「それで、そのアニマは今どこに?」

「追われてて、ずっと移動しています。SNSでは二人が爆発事件の犯人だって扇動してる奴らがいて、反論のための動画や画像を上げてもすぐに消される状況です。デルフィニアインダストリーのほうで止められませんか?」

「そんなことが……わかりました、責任者に連絡を取ってみましょう」


 さすが社長令嬢、こういう行動は早い。

 すぐさまフィエナはメッセージを送り、シャトルはセイカの指示にしたがって進み出す。

 だがその直後、新たなシャトルがセイカたちに迫った。


「ちくしょう、また来たのかよ!」

「しかも今度は運搬用の大型シャトルじゃないですか! あんなのがぶつかったらひとたまりもありませんよ!」

「ですが小回りはききません。落ち着いて運転すれば問題なくいなせるはずです」

「簡単に言い過ぎじゃないですか、フィエナお嬢様は!」


 愚痴っぽく言いながら、黒服は必死でアクセルを踏み込み、ハンドルを回す。

 ジェットコースターのように上下左右に揺れる車内。

 体の固定すらされていないセイカの体を、フィエナが両腕で抱きしめるように守っている。


(そっちの気はないですが、さすがにドキドキしますねこれ……)


 まず顔が近い。

 また、フィエナの顔はラスファそっくりなのだが、妹と違い自信や頼もしさ、そして包容力があった。


「うおおぉおっ、あっぶねえ!」


 大型シャトルが真横をかすめる。

 小回りがきかないと言っても、相手は自分の命などいとわない暴走車だ。

 こちらに比べてはるかに無茶な動きができてしまうため、その突進を避け続けるのも容易ではない。


「いつまで逃げ続けてりゃいいんだよ。つうか軍警察はなにをやってんだ!」


 本来、暴走車を取り締まるのは警察の役目。

 目立つ上空でこれだけのカーチェイスを繰り広げているのだから、とうに通報されているはずである。


「警察も信用できないってことでしょうね」

「クソッタレ、こっちにはフィエナお嬢様が乗ってんだぞ!?」

「大型シャトルであのような動きをしていては、車体がもちませんわ。そろそろ限界を迎えるはずです」


 落ち着いて状況を分析するフィエナ。

 彼女の言葉通り、大型シャトルの動きは少しずつ狂いつつある。

 カーブは大回りになり、加速も鈍化し、まっすぐ進んでいるはずが上下左右に蛇行をはじめる。

 ついには制御不能に陥り――


「おい、あのままじゃ突っ込むぞ!?」


 高層ビルに衝突し、盛大に爆発した。

 フィエナは苦虫を噛み潰したような表情で、窓ごしにその光景を睨みつける。

 セイカは驚きつつも、しっかりと事件現場をカメラに収めていた。


「大惨事じゃないですか。さすがに笑えないですよあれ……」

「黒服、目的地変更ですわ。デルフィニアタワーに向かってくださいませ!」

「了解――だがなんでそんな場所に?」

「まだ終わっていないからですわ」


 大型シャトルが運搬していたコンテナを、灰色の巨大な腕が内側から突き破った。

 そして黒煙と炎の中から這い出てくる巨人。


「ドール……」


 セイカはそう呟いた。

 だがその姿は、彼女の知るあらゆるドールと一致しない。

 表面は焼け爛れたような有様で、異様に大きな右腕に対して左腕がやけに小さい。

 頭部だって内側から膨れたようにいびつに肥大化しているし、背中にはボコボコと脈打つ瘤がある。


「なんなんですかあれ、随分と不気味な見た目をしてますけど!?」


 操者は特別な存在だ。

 全員のパーソナルデータはある程度公開されているし、搭乗しているドールだって一般人ならその姿と名前ぐらいは知ることができる。

 だがその姿は、セイカの知っているどれとも一致しなかった。

 つまり――未登録の、全く未知なドールということである。


「……あんなものまで動いているだなんて」

「フィエナさん、知っているなら説明してくださいっ」

「それは後回しにさせていただきます。そろそろタワーに到着しますから」

「到着って――」


 確かにデルフィニアタワー上空ではあるが、ここから高度を落として着陸しなければならない。

 しかし大型シャトルから現れたドールはすでに手のひらをこちらに向け、狙いを定めている。

 このままただ高度を落としたって、撃ち落ちされるのは目に見えていた。


「黒服、セイカさんのことよろしく頼みましたわよ」

「フィエナさん、私の名前――」


 その理由を聞く前に、フィエナはベルトによる固定を解除すると、扉を開きそこから飛び降りた。


「ちょっ、ええぇえええっ!?」


 慌てるセイカをよそに、フィエナは微笑んだまま落下していく。


「ラスファと同じクラスですもの、名前ぐらいは知っていますわ」


 そうつぶやき、空中でバランスを整え両足を下へ。

 地表を見据え、地面に足が付くと同時に膝を曲げて完全に勢いを殺す。

 そして彼女は、音もなく、怪我もなく、静かに着地した。


「さすがクラスS……」


 その様子を見下ろしていたセイカは、畏怖せずにはいられなかった。

 直後、シャトルが急激に右へと向きを変え、彼女の体が激しく揺れる。

 そしてドールの放った火弾が車体の左をかすめていった。


「見惚れてる場合じゃねえぞ、ドールはこっちを追ってきてる!」

「運転、代わりましょうか?」

「できるのか?」

「これでも操者ですよ。たぶんあなたよりはうまく運転できるかと」

「じゃあ頼んだ。俺はただのサラリーマンなんだ、人の命を背負うのはちと重荷が過ぎる」

「そう言いながらも、黒服さんって肝は据わってるほうだと思いますけどね」


 ラスファに対してタメ口で話すことも含めて、名も知らぬ彼はなかなかの逸材である。

 とはいえ“ただのサラリーマン”という言葉も本音なのだろう。

 彼の顔は青ざめているし、服は冷や汗でじっとりと濡れていた。


 セイカは黒服と入れ替わり運転席に座ると、バックモニターで追跡してくるドールの姿を確認した。

 ドールは背中から生えてきたバーニアをふかしながら、空を飛びシャトルに迫っている。


「空も飛べるんですか……背中のバーニア、まるでプリムラさんのドールみたいですね」


 あれと仕組みが同じなら、そう長時間飛ぶことはできないはずだ。

 だが短期間でも、その出力はシャトルとは大違いである。

 すぐに距離を詰められ、異形のドールはセイカたちの真横に並ぶ。


「もっとスピードは出ねえのか!?」


 窓越しとはいえ、目の前にドールがいるのだ、黒服だって焦りもする。

 しかもドールは並走しながら、右の手のひらをこちらに向けた。

 至近距離で火弾を放つつもりだ。


「出せないことはあなたも知ってるでしょう! 急降下します、舌を噛まないでくださいよっ!」


 発射と同時に、シャトルはガクンと高度を下げる。

 火の塊は天板をかすめ、表面を焦がした。

 ひとまず距離を取れたことでセイカは「ふぅー」と息を吐き出す。

 しかし速度で劣っているという絶対的なディスアドバンテージがある以上、再び接近されるのは時間の問題だった。


「ドール操縦と同じ感覚だと思えば……行けるはずです」

「お、おい、まさかあそこに突っ込むつもりなのか!?」

「そうでもしないと撒けないですからねぇ」


 シャトルが向かっているのは、乱立するビル群であった。

 セイカだって、できるだけ被害を拡大させたくない。

 かといって自分が犠牲になるつもりだってない。

 おそらくこのドールは、セイカたちを殺すまで追いかけ続けるだろう。

 その途中で、どれだけの人間が犠牲になっても気にしないはずだ。

 どのみち、どんなルートで、どんな方法を使って逃げたところで、それは避けられないのだ。


「行きますよ!」


 真後ろに近づいてきたドールが、三度火弾を放ったのが合図だ。

 シャトルは急激に右に曲がり、狭いビルとビルの間を横に傾いた状態で駆け抜ける。

 ドールは同じルートを使って追跡をしようとするが、両肩がビルの外壁に接触する。

 これで動きを止めてくれればよかったのだが、相手はさらにバーニアの出力をあげ、壁を破壊しながら追跡を続けた。


「どれだけ俺らのこと殺したいんだよ、あいつ」

「そんなに恨みを買った覚えはないんですけどね」


 細い道を抜けた先、真正面には別のビルがある。

 その表面をなでるようにギリギリで曲がると、その先でもビルとビルの間を縫うように巧みな操縦技術で突破していくセイカ。

 対するドールは、相変わらず機体をビルにぶつけながら、ボロボロになって追いかけている。

 かなりの執念だ。

 しかしもちろん速度は落ちる。

 シャトルとの距離は、徐々に離れていく。


「ひとまずこれで安心か……もうちょい逃げ切れば、フィエナお嬢様がどうにかしてくれるだろ」

「早いところ、ヘスティアさんとハデスさんの保護もしたいですね」


 本道から逸れてしまったが、セイカの最大の目的はそれだ。

 SNSのチェックをする余裕すらないので、すでにあの二人はさらに別の場所へと移動しているだろう。

 情報を集めて、一刻も早く合流する必要がある。


 そしてシャトルは最後のビルの間を抜け、高層建築物のジャングルから脱出する。

 その出口の先で待っていたのは――似たような姿をした、五体のドールだった。


「……は?」


 コロニー内で一体のドールが暴れまわるだけでも大事件である。

 それが、五体。

 こんな自家用のシャトルで逃げ切れるはずもなく、五つのいびつな手のひらが、呆然とするセイカに向けられた。




 ◇◇◇




「邪魔ですわ、退きなさい!」


 デルフィニアタワー地下に来たフィエナは、止めようとする従業員を引きずりながら前に進む。


「しかしフィエナ様、政府からコロニー内でのドール使用の許可は出ていません!」

「クラスSの特権でどうとでもなります。それに、人命が最優先ですわ。すでにドールが暴れているというのに、許可など待っている場合ではありませんもの!」


 外から聞こえてくる衝撃音と、悲鳴と怒号。

 現在進行系で、なにもしらない罪なき人々の命が失われている。

 妹を救いたいのはもちろんのこと、彼女は平和を守る操者としての義憤に駆られていた。

 自らの体のことなど全く気にする様子もなく、強引に道を切り開き、ついには格納庫にまでたどり着いた。


「ぐ……う、ふぅ……はぁ……はぁ……」


 無理をしすぎたせいか、フィエナの胸に強い痛みが走る。

 彼女は苦痛を誤魔化すように服を握りしめ、額に汗を浮かべながら、自らの相棒である純白のドールの前に立った。


「久しぶりね、アルテミス」


 機体は全体的に丸みを帯びており、顔つきも、胸の膨らみも、足のラインも、全体的に女性的である。

 また、下半身を防護するアーマーがスカートのような形をしており、上半身の形状を含めてドレスのように見えることも、その印象を強めていた。


「いえ、あなたはずっとわたくしのそばにいたのですよね」


 冷たい機体の表面に触れ、ドールに語りかけるフィエナ。

 彼女の適性指数は185。

 かなり優秀な部類だが、“呪われた子”と異なりアニマと言葉を交わすことはできない。

 それでも自分を見守ってくれる暖かな存在を感じることはあった。

 だが、病状の悪化し、ドールから離れる期間が長引くほどに、その感覚も薄くなっていく。

 寂しさを感じると同時に、自分が死へと近づいている実感があって、怖かった。

 だから、こうしてドールに触れていると安心する。


「こんなに弱くて、あなたと会話すらできないくせに、わたくしが“オリジナル”などと――そんな愚かさを受け入れることは、わたくしにはできませんわ」


 瞼を閉じて、思い浮かべるのは妹の姿。

 そういう道を選んだのだから仕方のないことだが、記憶の中の彼女はいつだって不機嫌な表情をしている。

 それでも、妹は妹だった。

 父がラスファに対してどう思おうが、フィエナにとってはそうだったのだ。


「ですから、わたくしは、命を削ってでもあの子を助けたい――」


 その葛藤を知るものは、この世界でフィエナだけだ。

 だが言葉すら発せないアニマも、その覚悟は理解しているのだろう。

 特に命じてもいないのに、コクピットハッチが開く。

 まるでフィエナを招き入れるようだ。


「ありがとう、アルテミス」


 フィエナは跳躍し、シートに腰掛ける。

 するとハッチは自動的に閉じて、内側に外の景色が映し出される。

 操縦用のイメージデバイスに手のひらが置かれる。

 流し込まれた魔力に反応して、アルテミスの立つ床がせり上がった。


 デルフィニアタワーに隣接する公園にアラートが鳴り響く。

 その警告にしたがって全ての人々が退避すると、地面が割れ、その下からアルテミスが現れた。

 地表に出た純白のドールは、背負った弓を虚空に向けて構える。

 その視界には、セイカたちを追跡しているドールは写っていない。

 彼女が見ているものは、もっと別のなにかだ。


優しき死よ、来たれ(アガナ・ベレア)


 そして放たれた矢は、アルテミスの手を離れた瞬間に光の粒となって消えた。

 その瞬間、“未来の死”が確定する。

 発動までのインターバルは任意。

 ただし最低でも一秒は必要となるので、今回の設定は一秒後。

 実戦においては致命的なタイムラグかもしれない。

 だがそれをカバーして余りあるほど、アガナ・ベレアという矢は絶対的な力を有していた。

 その破壊力の高さはもちろんのこと、それは放たれた瞬間に勝利(めいちゅう)が確定するのだ。

 いかなる防壁、いかなる回避方法を使おうと絶対に覆すことはできない。

 フィエナをクラスSたらしめる、圧倒的な力――




 ◇◇◇




 矢が放たれてから、一秒が経過した。

 セイカの目の前で、五体のドールが同時に弾けた。

 後方から追ってきていたドールも同様に、まずは手足を刺し貫かれ、最後に胴体を貫通して炸裂する。


「どうやらフィエナお嬢様が間に合ったようだな」


 フィエナは敵を視認すらしていない。

 放った矢は一本だけなのに、全てのドールが撃墜された。


「これが、クラスS……」


 セイカはこれまで、他のドールが有するインチキ能力をいくつも見てきたが、動画で見るのと間近で目撃するのとではまるで違う。

 戦慄しながらも、彼女は気を取り直して、ヘスティアとハデスの探索へ向かった。




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