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026 互いに正しき憎しみを抱き

 



 鎌の刃を突きつけられても、アトカーは落ち着いている。

 彼は冷めた表情でため息をつき、目を細める。


「意外だったよ、アリウムのことで君がそこまで逆上するとはな」

「別に関係が修復したわけじゃねえ。だが命に関わるとなりゃ話は別だろうが! いいからとっとと吐きやがれよ、アリウムちゃんはどこにいる!」

「私があの子を殺すわけがないだろう。安心しろ、生きている。だからその武器を下ろしたまえ」

「だったらその死体の臭いは誰のものなんだよ」

「教団から私宛に送られてきた、死体のものだろう」


 アトカーは包み隠さず真実を語る。

 状況からして、アリウムの身に起きた異変に彼が関わっていると疑われるのは当然のことだ。

 その自覚がある。

 ゆえにプリムラが――シフォーディの血を引く人間がどれだけ憎くとも、今は正直であるしかないのである。


「誰の死体だ? なんのために教団はお前に送りつけた?」

「秘書に教団のことを調べさせていた。脅しのつもりなのだろうな」

「アトカー・ルビーローズ、あんたは教団と敵対してるのか?」

「一人娘を殺されて、その犯人を憎まない親など存在しない」


 プリムラは一旦問いかけを止め、アトカーの返答を咀嚼する。

 しばしの沈黙。

 彼は真実を話したことで鎌を降ろしてくれることを期待していたようだが――プリムラは再度、柄を握る手に力を込めた。


「疑り深い女だ」

「てめえの言葉を信じるとか信じないとか、この際どっちでもいいんだよ。確かに死体はアリウムちゃんじゃなかったかもしれねえ、だが連絡が取れない理由にはなってねえ!」

「互いに教団について調べているのだ、冷静に情報を共有しようとは思わんのか?」

「教団と敵対してたとしても、お前はわたしの敵だ。五年前、わたしから唯一残された“味方”を奪った時点からずっとな!」

「アリウムから聞いたのか」

「ああ聞かされたよ。悩んで、苦しんだそうだ。なにが悲しいって、原因があんたにあるって知ってもよォ、アリウムちゃんがわたしにやったことは、その記憶は消えねえんだよ! 取り返しがつかないんだ、お互いに!」


 アトカーが悪い。

 だから彼だけを憎もう……なんて、そんな単純な話ではない。

 アリウムがプリムラを見捨てたのは事実で、そのときに付いた心の傷は今も開いたまま、血を垂れ流し、彼女に苦痛を与え続けているのだから。


「それは幸いだ。そのために私はそうしたのだ。アリウムをシフォーディの人間に近づけないために」

「まるでアリウムちゃんを守るためにやったとでも言いたげだな?」

「まさにその通りだからな」


 アリウムを呪われた子に近づけてはならない。

 それこそが彼女の未来のためだと、アトカーは信じてやまない。

 そんな彼の様子を眺めていたラスファは、「ふぅ」と軽くため息をついた。

 どこか物憂げな友人を見て、隣に立つフォルミィは首をかしげる。

 その間もなお、プリムラとアトカーのやり取りは続いていた。


「で、その結果はどうなった? 誰が幸せになったんだ?」

「アリウムが不幸にならずに済んだ、それだけで十分だろう」

「誰にとっての“十分”なんだよそれはぁッ! あんたがやったことはアリウムを守ることじゃねえ、子供を失って傷ついた自分の心を守りたかっただけだ! 自己保身に、自分の孫を巻き込んでるだけなんだよッ!」

「お前になにがわかるというのだ」

「わかんねえよ。わけわかんねえからこんだけぐちゃぐちゃになってんだろうが!」


 プリムラの人生も、彼女とアリウムの関係も――アトカーの言葉さえなければ、今とはまったく違う形になっていただろう。

 仮にその結果、今より裕福でない未来が待っていたとしても、しかしプリムラがたどってきた道よりも不幸なルートにはならなかったはずだ。


「今だってそうじゃねえのか。アリウムちゃんは死んでないんだろ? でも連絡は取れねえ。つまり意識を失ってるか、ネットワークの繋がらないような場所に閉じ込められてるってこった。タイミングからしてそれが可能なのはアトカー・ルビーローズ、てめえしかいねえ!」

「……ただの妄想だな」

「言い淀んでんじゃねえよ。罪悪感を覚えたら許されると思ってんのか? 『私は孫を傷つけました』って反省すりゃ正当化できると思ってんのか? あぁ!?」

「野蛮な物言いだ。これ以上話したとしても意図が伝わるとは思えん。引き取ってもらえるか」

「殺してほしいって言ってんのか?」

「殺せばお前の道が途絶えるだけだ」

「時と場合によっちゃ、そういう判断が必要になることだってある」

「ならばやってみろ。老い先短い私を殺して、積み上げてきたすべてを投げ捨てる覚悟があるのなら――」


 互いに意地になっている。

 それは誰の目から見ても明らかだった。

 だがプリムラの怒りが間違っているかと言われれば、答えはノーだろう。

 確かにまだ仲直りをしたわけではないが、しかし大切な人に危機が迫っているのだ。

 その焦りは当然のことである。


 ならば対するアトカーはどうか。

 彼は図星を突かれたのではないか。

 確かにこれまでの行動はすべて、娘の置き土産であるアリウムを守るためのものだった。

 しかし、そのためにアリウムを傷つけてしまった以上、プリムラの言う通りアトカーの想いは――“孫を守る”ことから、“孫を失って自分が傷つきたくない”という願望へと変わってしまったのではないだろうか。

 そして“憎きシフォーディの血を引く子”に自らの過ちを指摘されたため、意固地になって認めることができず、今に至ってしまったのではないか、と――一番近くで彼を見ていたフィーシャは感じた。


 フィーシャは夫であるアトカーを尊敬し、妻として出来る限りのサポートをしてきた。

 だからこそ、政治家として権力を持った今でも、彼には欠点があることも知っている。

 アトカーは、昔から頑固なのだ。

 年をとるにつれて、それは顕著になりつつあった。

 教団に参加する議員が比較的若い人間ばかりだったことも相まって、“若い人間より自分は正しい判断ができる”と少なからず驕っている部分もある。

 フィーシャとしても、娘の死に関わったシフォーディの子――プリムラにいい印象を抱いているわけではない。

 だが、間違いは間違いと認めなければ、その過ちはさらに傷口を広げ、手遅れになってしまうだけだ。


「あなた、もうやめましょう」


 震える声で、フィーシャは言った。


「止めてくれるなフィーシャ」

「いいえやめません。いくらアリウムが自分の思い通りに動かないからと言って、シェルターに監禁するなんて間違っています! あの子は、一人の人間なんです。私たちの思うがままに動く人形ではないのです!」

「やめろと言っているのがわからないのか!? この女は汚らわしいシフォーディの血を引いているのだぞ? それだけでなく、呪われた子でもあるというのに!」

「だからといって、あなたの取った行動が間違っていないわけではありません!」


 彼女が大声をあげることは滅多にない。

 これにはさすがにアトカーも驚き、目を見開いて妻を見る。


「プリムラさんの言う通りです。あなたはちっともアリウムのことを考えていない。自分の都合で、あの子の意思を捻じ曲げようとしているだけではないですか……」

「そんな、はずは……」


 彼は彼なりに、アリウムのことを考えているつもり(・・・)だったのだろう。

 だがそれは、『アリウムより自分のほうが正しい』という思い込みが生み出した錯覚。

 いや――錯覚ですらない、アトカーは心のどこかで、そう自覚をしていたのだから。


「私は……」


 彼の表情が不安に陰る。

 プリムラはそれを見て、鎌を降ろした。


「アリウムちゃんはどこ?」

「……地下シェルターだ。右の廊下の突き当りにある部屋に、入り口がある」


 それを聞くと、彼女は無言でそちらに駆けていく。

 フォルミィとラスファがその場に残され、フォルミィは気まずい空気に耐えかねて、わざとらしく咳払いをした。

 一方でラスファは、唇を噛み黙り込むアトカーに近づくと、無表情に彼を見据える。


「アトカー議員、あなたは大きな勘違いしていますわ」

「君は……カークス社長の次女だったな。なにが間違っているというのだ?」

「“呪われた子”について。あなた方は五年前に起きた事件の責任を教団だけでなく、プリムラ・シフォーディに向けることで、娘を失った悲しさを憎しみで埋めることに成功した。それは理解しますが、彼女を恨むのはとんだお門違いですもの」


 まるで“呪われた子”の正体を知っているかのように語るラスファ。


「呪われた子は、自分で望んで呪われたわけでもなければ、呪詛は他人に伝染するものでもない。“生まれが呪われている”、ただそれだけの話ですもの。個人的に嫌いな話題ではありますが、しかし一方的に憎まれる立場ではないということは言っておきますわ」

「知っているのか……いや、デルフィニアインダストリーの令嬢ならば当然のことか。ああ、君の言葉が事実ならば、つまり私の予想は当たっていたわけだ」


 フォルミィにもフィーシャにも、二人がなにを話しているのかさっぱりだ。

 だが彼らの会話は成立しているらしく、ラスファの言葉を聞いてアトカーは「ははっ」と鼻で笑った。


「だとすればやはり、私がプリムラ・シフォーディを憎むのは間違ってはいない」


 懲りない彼を、ラスファは見下すように睨みつける。


「わからない人ですわね」

「わかっていないのは君のほうだよ。肝心なのは呪われた子だということではない。ああ、確かにそれ自体は哀れむべきことなのだろう。プリムラは間違いなく被害者だ。しかしな、私にとって一番重要なのは、彼女の親が誰なのか(・・・・)という話だ」

「それはつまり、遺伝子の提供者(・・・・・・・)という話ですの?」

「いいや違う、両親の話だ。私も確信には至っていないし、絶対と言い切れるわけではない。だが状況を裏付ける証拠はいくつもある」

「さすがにそれはわたくしの管轄外ですわね……ですが誰が親だったとしても、少なくともあなたがたの家とシフォーディ家に直接のつながりは無いはずですわ。なぜそこまで彼女に責任を負わせますの?」

「なぜ、か。ふ……ふふふっ……ははっ、くははははっ……!」


 なにがおかしいのか、アトカーは肩を震わせ笑いだした。

 突然のことに、ラスファは頬を引きつらせながら一歩後ずさる。

 様子を見ていたフォルミィも、おろおろと戸惑う。

 だが唯一、フィーシャだけは悲しげな表情で彼のことを見つめていた。

 そして笑い声がぴたりと止まると、アトカーは冷たい怒りに満ちた表情で告げる。


「……あの娘の両親はな、ティプロゥと(・・・・・・)ラートゥス(・・・・・)なのだ」

「なにを言っていますの? その二人はどちらも――」

「だから試験管で生まれるしかなかった。そしてその歪みが五年前の事件を引き起こしたのだ。結果、私の娘は命を落とした。憎むしかないだろう、こんな事実は!」


 怒号がエントランスに響き渡る。

 ラスファたちが絶句する中、しかしその声は、シェルターに向かうプリムラには届いていなかった。




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