023 そして次なる深淵へ
プリムラは目を覚まし、『またここに戻ってきたのか』と呆れながらため息をついた。
だけど無駄ではなかった。
カズキを自らの手で倒し、アヤメにまつわる騒動が一段落した今は、そう思う。
体を起こすと、両太もものあたりに重い感触があることに気付く。
深夜なのか、部屋が暗くてよく見えないが――どうやら両側に突っ伏して寝ている二人の少女のもののようだ。
一方はヘスティア。
そしてもう一方は、アリウムである。
二人の姿を見て思わず頬がゆるむプリムラだが、すぐに表情を引き締めた。
まだそんなに笑えるほど、割り切れていない。
次にプリムラは自らの腕を確認する。
切断されたはずの左腕は、継ぎ目がわからないほど綺麗に縫合され、動かしてみても一切の違和感はなかった。
生体義手によるものだ。
培養に半日はかかるはずなので、あれから少なくとも一日以上経過していることになる。
「ちょっと寝すぎかなぁ……」
アヤメとの戦いの後といい、最近はどうにも睡眠時間が過剰だ。
そのせいか体は重く、頭もまだぼーっとしている。
まだ眠気の残る曖昧な意識の中で、なにげなく黒い髪先を弄っていたプリムラだったが――部屋の隅に人影を見つけて、その手を止めた。
「あ、気付いたんだー」
「ハデス……さっきからずっとそこにいたの?」
「黒かったから気づかなかったのかな。おはようマスター、移籍早々にくたばらなくてほっとした」
「いくらわたしでも、そんな無責任なことはしないよ。命は大事だって知ってるから」
「新鮮だ。前のマスターは命なんてどうでもいいって感じだったからねー」
そう言って、ハデスは腰掛けていた棚の上から降りて、プリムラの近くにある椅子に腰掛けた。
「それにしても、愛されてるんだねー。この二人、ずっと心配そうにマスターのこと見てたよぉ」
「……うん、らしいね」
ヘスティアはともかく、アリウムを見るプリムラは微妙な心境だった。
素直に喜んでいいのか。
しかし脳裏をちらつく、過去の悲劇。
「わけありなんだ。まあ、どうでもいいけどー」
変に追求してこないのは、プリムラとしても助かる。
ヘスティアも決して空気を読まずにずけずけ踏み込んでくるタイプではないが、ハデスとの間にはそれ以上の距離を感じた。
「……」
「……ふぁーあ」
会話が途切れると、ハデスは大きなあくびをした。
オリハルコンの体でも眠くなるものなのだろうか。
ヘスティアが寝ているということは、睡眠機能はあるのだろうが。
ぼんやりそんなことを考えていたプリムラだが、思考も滞ると、自然とカズキの言葉が浮かんでくる。
“そういえば”なんて軽々しくとりあつかえる話題ではないが、寝起きの頭が今の今まで思い出そうとしなかったのは、一種の現実逃避だったのだろうか。
アヤメ・シフォーディは、プリムラ・シフォーディの実の母親ではない。
信じがたい事実だ。
だがカズキが嘘をついたとも思えない。
だからあれが真実だったとして――自分がアリウムと姉妹で、なおかつアヤメの娘ではないとすれば、果たして誰の子供になるというのか。
まず間違いないことは、アリウムの両親であるティプロゥとアフラーショ、どちらかの血が流れているということ。
どちらかははっきりしていない。
だがプリムラは漠然と、ティプロゥである可能性が高いと考えていた。
なぜなら、彼女はこれまで母親似と言われてきたからだ。
アヤメはプリムラの母ではない。
だがその兄であるティプロゥが父ならば――アヤメと似ることもあるだろう。
つまり、父親はティプロゥ。
そして教団員であるカズキがその事実を示したということは、試験管で生まれたプリムラの肉体に、アヤメとラートゥス以外の遺伝子が使われてしまったのは、事故ではなく、故意であるということではないだろうか。
教団の何らかの目的を果たすために、プリムラは出自を偽って生み出されたのだ。
しかしそこで問題となるのは、“呪われた子”という言葉だ。
今のところ、カズキとプリムラの間にある共通点は、“試験管で生まれた子供”、“適性値が異常な数値を示している”という二点のみ。
最も高い可能性は、遺伝子に細工を施されて生まれた子供だという可能性。
だがそれだけでは、カズキの抱いていたコンプレックスの説明がつかない。
「うぅん……」
「悩んでるねー、青少女」
「いきなり母親が母親じゃないって言われて悩まない人はいないよ」
「明かされた事実の割には、驚いてないように見えるけどー」
「まあ、その前にアリウムちゃんと姉妹って聞かされたし、そっちのインパクトが……って、ああそっか。その辺もアリウムちゃんと……話しておいたほうがいいのかな」
胃がキリキリと痛む。
今までいとこと思っていた相手に、実は姉妹でしたと話す――しかも自分は事情を知らないと来たもんだ。
プリムラが頭を悩ませるのも当然である。
そんな彼女を見て、ハデスはのんきに言った。
「戦いのときとは別人みたいだねー」
「最近はずっと張り詰めてたから、糸が切れたんだと思う」
「そっかぁー。でもなんか、そういうの見てると、普通の女の子って感じで安心するねー。前のマスターは、よくわかんない人だったから」
「カズキ先輩……そういえば、教団のこととかなにも聞かされてないの?」
「直接会ってはいなかったからねー、基本はネットを介しての連絡だったんじゃない? ひょっとすると、お店に行ってる間に接触してたのかもしれないけどー、そういうのは見ないようにしてたから、痛々しくて」
ハデスはのんびりした口調で、棘のある言葉を吐き出した。
だがプリムラにも、少しだけその気持ちはわかる。
結局、本当は“自分が誰なのか”を見つけられないままだったのに、“これが自分だ”と思い込んで、女性の格好をしていたのだから。
「本当の自分、か……」
プリムラも、今はそれを見失っている。
自分の親が誰かわからない状況というものは、存外に不安なものである。
そしてその気持ちは、当事者になってみないとわかるものではない。
「でも……お母さんはお母さんだし、お父さんはお父さんだよ」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、プリムラは膝を抱えた。
どんなに言葉にしても不安は消えない。
一緒に過ごした時間は事実でも、体に流れる血には嘘がある。
それが一滴の毒となって、記憶すらも汚していくのだ。
そんなプリムラの様子を、ハデスはじーっと眺めていた。
睨むわけでも、微笑むわけでもなく、とにかく無表情に。
だが決して、嫌な感情を抱いているわけではない。
むしろ逆で、人間的に苦悩するプリムラに、好意寄りの興味を示しているのだ。
もっとも、それは友人であり、人を見る目もあるヘスティアが守ろうとした人物だから、という理由が大きいのだが。
そのまま静かに時間は流れ――暗い部屋の中、眠れないまま時間を過ごしていると、外から足音が近づいてきた。
看護師に比べると大柄で、粗雑な音。
その人物は部屋の前で止まると、静かにゆっくりと扉を開く。
そして、そーっと中を覗き込んだ。
プリムラとハデスは同時にそちらを見る。
ルプスと目があった。
「……なんだ、起きてんのかよ」
ちょっとふてくされたように彼は言う。
その手には、プリンの入った袋が下げられていた。
◇◇◇
ルプスとは腰を据えて話したいこともある。
いつまでも電気の消えた部屋でこそこそと会話するわけにもいかず、プリムラはやむなくアリウムとヘスティアを起こすことにした。
明かりが灯ると、それに反応して二人は目を覚まし、プリムラの顔を見たままとまる。
プリムラが「おはよ」と声を出すとヘスティアはがばっと同時に抱きついてきた。
アリウムも同じように動こうとしたが、さすがに馴れ馴れしいと思ったのか、直前で踏みとどまった。
「もおぉーっ! いきなり意識を失うから心配したんだからねぇーっ!」
「ごめんごめん。わたしも、まさかガラテアの意識があそこまでめちゃくちゃやるとは思ってなかったから」
「あいつはヤバいやつなの。二度とあんなのに身を委ねたりしたらダメよ!? めっ!」
ヘスティアは姉が妹にそうするように、額を指で小突いた。
だがすぐに笑い、抱きついたプリムラの腕にぐりぐりと顔を押し付ける。
「よかった。カズキ先輩が変死したって聞いて、プリムラもなにかされたんじゃないかと心配していたんだ」
遅れて、アリウムが声をかける。
「……ああ、うん。やっぱりあれ、変死扱いされたんだ」
少し戸惑いつつも、どうにか受け答えするプリムラ。
彼女の脳裏には、カズキが死んだ瞬間の光景が鮮明に浮かんでいた。
頭が弾け、血を撒き散らしながら、花を咲かすその姿が――
「でもよ、なんであんな死に方したんだ? カズキってやつは教団員じゃなかったのかよ。つうか……その、こいつは大丈夫なのか? 聞いたところによると、カズキのアニマだったらしいが」
ルプスはハデスを警戒しながら言った。
しかしとうのハデスはまったく気にしていない様子で、だらーんと椅子に身を預けている。
「それを言い出したら私もザッシュのアニマよ。アニマと操者の“相性”はあくまで能力的な話で、性格が近いというわけではないわ」
「そうなのか?」
「そうだよー」
本人が答えたところでルプスが信用するはずもない。
フォローするようにプリムラが言う。
「ええ、それにわたしの許可が無いと実体化はできないので、怯える必要もないですよ」
「別に怯えてるわけじゃねえが……」
そう言いながらも、ルプスは遠回りしながら、ハデスから離れた場所に座る。
「あと、カズキ先輩が教団員なのにどうして殺されたかって話ですけど――例の爆発事故や、わたしのお母さんが殺人を起こした件。あれは、たぶん先輩の暴走だったんだと思います」
「独断だったと。なら死んだのは教団の粛清ってわけか……」
「でも、カズキ先輩はどうしてそんなことをしたんだ? ターゲットはプリムラだったけど、二人の間に関係は無いんだろう?」
アリウムの疑問はもっともだ。
そしてその答えを、プリムラははっきりと知っているわけではない。
「カズキ先輩はわたしと同じ呪われた子で、だから呪われてるくせに五年前まで普通に生きていたわたしが憎いって言ってた」
「身勝手な話だわ」
「まったくだねー」
「結局、呪われた子がなんだったのかってのはわかんねえのか?」
「いずれわかると言って、カズキ先輩は答えてくれませんでしたから」
「ああいう連中は無駄に意味深なこと言いたがるよなぁ……じゃあ、他になにか話したりはしなかったのか?」
「いえ、話しましたけど……」
プリムラは言いよどみ、アリウムのほうを見た。
「私がどうかした?」
首をかしげるアリウム。
しかし黙っていたって同じことだ。
どうせいずれ言うことになるのなら、情報交換の意味合いも込めて、ルプスがいる今、話してしまった手間が省ける。
「……カズキ先輩は、二つの事実をわたしに話しました。ひとつは、お母さんがわたしの本当の母親ではないということ」
「アヤメさんがっ!? そんな……っ」
「もうひとつはなんだ?」
「あとひとつは……」
瞳を閉じるプリムラ。
その状態で一度深呼吸を挟むと、布団の下で拳を握り、告げる。
「わたしとアリウムちゃんが、いとこではなく姉妹だということです」
「な……」
アリウムは絶句する。
ルプスも目を見開き、ヘスティアは不安げにプリムラを見つめ、ハデスは無表情に窓の外の夜を眺めていた。
「どういうことだ? 私と、プリムラが、姉妹……? そんなはずはないっ、確かにプリムラはアヤメさんのお腹から生まれたわけではないが、生まれた瞬間に誰の子供かなんてはっきりわかるはずじゃないか!」
「でもカズキ先輩は、わたしとアリウムちゃんが姉妹であることを示す検査結果を送りつけてきた」
プリムラの手の上に画像が浮かび上がると、アリウムは食い入るようにそれを凝視した。
「そんな……本当に、私とプリムラが……じゃあ、アヤメさんが母親でないということは……」
「プリムラは、アリウムの母親――アフラーショ・ルビーローズと、ラートゥス・シフォーディの子供ってことか?」
「でもわたし、お母さんによく似てるって言われてて。髪の色だってそうです、アフラーショさんとお父さんの子供なら、わたしは今の髪の色になるはずじゃない。だから父親がティプロゥさんなんじゃないかって思ってます」
「待ってくれプリムラ、だったら母親は誰なんだ?」
「……カズキ先輩は、お母さんとわたしの血が繋がってないって言っただけだし、ひょっとしたら――」
「ラートゥス・シフォーディとも血が繋がってない可能性もある、ってことか」
プリムラは頷いた。
アヤメは母親ではない。
だがラートゥスが父親であるという確証もない。
プリムラが両親だと思っていた二人は、そもそも赤の他人である可能性も浮上したということだ。
「姉妹って言い方からして、母親がアフラーショである可能性も十分にあるわけか。そのあたりは鑑定書に書いてないのか?」
「異母姉妹かどうかを判別する情報はなにも」
「意図的に切り取ってありそうだな。こりゃお前を悩ませるために押し付けられた罠かもしれねえぞ」
「そうですね。でも、少しは真実に近づけた気がします」
「プリムラは……それでいいのか?」
「良くないけど、受け入れるしかないよ。わたしの家がまともじゃないことは、調べてるうちになんとなくわかってたことではあるから」
「だが……」
「アリウムちゃんが落ち込んでどうするの。まあ、いきなり姉妹って言われて困る気持ちはわかるけど」
しかしアリウムが苦悩しているのは、そこにではない。
あくまでプリムラの身を案じて、自分のことを棚に上げる彼女の姿は、ほんのちょっぴりだが嬉しかった。
「そういう複雑な問題は、考えても答えなんて出ないものよ。また新しい情報が入ったときに考え直す、でいいんじゃないかしら」
「だな」
ヘスティアの言葉に、ルプスもうなずき同意する。
プリムラもアリウムもまだ納得はしていなかったが、二人の言葉に従うことにした。
考えれば考えるほど、深みにはまってしまいそうだったから。
「ところでプリムラ、起きてからネットは見たか?」
「いえ、どうかしたんですか? わたしがカズキ先輩を殺した犯人だとか書いてあるんですかね」
あの状況からして、一番疑わしいのはプリムラだ。
そういう噂を立てられるのも覚悟していた。
しかしルプスは首を横にふる。
「最初はそういう話もあったが、自然に消えていった。まあ、決闘が行われた状況が異常だからな、あんなもん政治家が絡んでないと無理だ。しかもタイミングよく、オーガス夫妻が首吊り自殺して発見されたと来たもんだ」
「カズキ先輩の両親が……」
二人はもはやカズキの操り人形だった。
死んだときに自動的に命を落とすよう、プログラミングされていたのかもしれない。
「加えて、家からはカズキ・オーガスの遺書も見つかった。中には、今回の爆発事件やアヤメ・シフォーディによる殺傷事件を自白する内容が書かれていてな」
「それで丸く収まったっていうんですか? いくらなんでも無茶ですよ!」
「ああ、無茶だな。アヤメ・シフォーディを具現化した謎の技術もなにもかも、全てあいつが作り出したらしいが、少なくともコロニーの住民はその説明に納得してねえ」
「当然だよねー」
「教団は、それでごまかせると思ったのかしら」
「思ってなくても、そうするしかなかったってことかな……」
「プリムラの言う通り、あれがカズキ先輩の暴走だというのなら、教団にとっても想定外の出来事だったはずだ。だから強引にごまかす方法しか取れなかった」
「だがそれでも、教団の尻尾は掴めねえ。ネットでも組織的犯行を疑ってるが、カズキ以外に教団員が見つかったわけでもねえからな。セイカの嬢ちゃんも動き回ってるが、今んとこ収穫ナシだ。はっきりしてるのは、今回の決闘開催や、カズキの遺書の公表に、オーガス夫妻以外の権力者が絡んでるってことぐらいか」
「確証があるんですか?」
「いくら大物政治家っつっても限界はある。一人の力であんな爆発事故の直後に許可なんて取れるもんかよ。その繋がりがわかれば、芋づる式に教団員が見つかるかもしれねえが――そう甘くはねえな。ま、俺自身、今回の後始末があってまともに動けちゃいねえんだが」
つまり実質セイカ頼み。
しかし彼女も有力な情報を得られていないということは――教団はまんまと逃げおおせたというわけである。
「これって、また振り出しってことよね」
「違うよヘスティア、指針ははっきりしてる。わたしの生まれについて調べれば、教団の手がかりが見つかるかもしれないんだから」
「現状は、そこに望みを賭けるしかねえな」
「政治家に、プリムラの生まれ、呪われた子……」
そうつぶやいたアリウムは、ふいに立ち上がった。
「アリウムちゃん?」
「私、お祖父様に聞いてみる。話してくれるかわからないけど、絶対になにか知ってるはずだから」
そしてそそくさと部屋を出ていってしまう。
「あ……」
「お祖父さんってお年寄りだよねー? こんな時間じゃ寝てるんじゃない?」
「それだけ、プリムラのためになにかしたかったんでしょう」
「青いねェ。しかし困った、人数分のプリンを買ってきたんだが……いや、違うな。そこのアニマがいるからこれでちょうどか」
袋から取り出したプリンが棚の上に置かれていく。
数は四つ。
ルプスはちゃっかり自分の分も用意していたらしい。
真っ先に動いたのは、本来数に含まれていないハデスだった。
「じゃあもらっちゃうねー」
「相変わらずこういうときは動きが早いのね、ハデス」
「食は命の源だよぉ。生死を研究してた私としては、食事と睡眠は人生において一番大事なことなのー」
「……俺は別に構わねえが、緊張感の無いやつだな」
「騒がしくなりそうです」
「ま、暗いのよりはマシだろ」
太い指で蓋を剥がしたルプスは、スプーンで大きめにプリンをすくうと、かぶりつくように口を開いた。
ヒゲの生えたおじさんと、ファンシーなデザインのプリンのギャップに、プリムラはくすりと笑った。
◇◇◇
あれやこれやと話しているうちに、夜は明けた。
カズキと戦ってから二度目の朝だ。
プリムラにはまだ考えるべきことが沢山あるが、明るい空を見ていると、少しだけ気が楽になった。
操っていた人物が死んだことにより、しばらくはアヤメがあんな風に操られることもない――そんな安堵もあるのかもしれない。
「プリムラ、どこにいくの?」
「ちょっとトイレ」
ベッドから抜け、プリムラは一人で部屋から出た。
まだ朝早いからか、長い廊下に人の姿は無い。
歩きだすと、建物の構造のせいか、やけに足音が響いた。
トイレはすぐそこにある。
「なんであそこ、部屋にトイレがついてないんだろ……」
そう愚痴っていると、冷たい風がプリムラの頬を撫でた。
同時に廊下を照らしていた灯りが点滅しはじめ、やがて消える。
「ん……?」
急な異変に訝しむプリムラは足を止めた。
そして風の流れてきたほうに振り向く。
「あ……」
――そこには、アヤメが立っていた。
だが今の彼女は血にもまみれていないし、手には包丁も握っていない。
それになにより――表情がまともだった。
「お母、さん?」
「プリムラっ!」
アヤメははっきりとした声でプリムラを呼ぶと、その体を強く抱きしめる。
体温がある。
優しさがある。
感情がある。
それは紛れもなく本物の、母からの抱擁だった。
「ああ、プリムラ……ごめんなさいね、私とてもひどいことをしてしまったわ」
「本当に、お母さんなの?」
「ええ私よ。間違いなく、誰にも操られていない。でもこうして体を得てしまえば、じきに誰かに見つかってしまうでしょうね」
「お母さん……お母さん、お母さんっ!」
プリムラは母の背中に腕を回し、強くその体を抱きしめた。
胸に顔を埋めるだけで、圧倒的な安心感が得られる。
それがアヤメなのだ。
五年前から、なにも変わっていない――
そして確信する。
たとえ血が繋がっていなかったとしても、プリムラにとっては彼女こそが母なのだと。
「やっぱり操られてたんだね。そうだよね、お母さんが誰かを傷つけたりするはずないもんね!」
「信じてくれるの?」
「信じるよ! だって今のお母さんだもん。わかるよ、わたしは娘なんだから」
胸に顔をうずめ、思い切り息を吸い込む。
お母さんの匂いがする。
そこまで再現していることへの戦慄よりも、懐かしさが母と自分を繋いでくれることのほうが今は大事だった。
しかし、そんな夢のような時間も長くは続かない。
アヤメの姿が、ノイズが走るようにザザッとぶれる。
「ごめんなさいプリムラ、もう時間みたい」
「待ってお母さん! わたしまだ話したいことがあるのっ!」
「プリムラ、あなたにすがるしかない私を許して……でも、あなたしか……」
「お母さんっ!?」
ノイズはさらに激しくなり、人の姿を保つことすら難しくなる。
それでもアヤメは、悲しげな声でプリムラに語りかけた。
「解放……して。私たちを……」
「解放? なにから!?」
「マリオネット……プロト……コル……」
「お母さんっ!」
そう言い残して、アヤメは姿を消した。
明かりが復活し、廊下には静寂が戻ってくる。
プリムラがへたりこむと、異変に気づいたヘスティアたちが部屋から飛び出してきた。
「マリオネット・プロトコル……それが、あの事件の元凶……?」
半ば放心状態で、プリムラは呟いた。




