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魔王の右腕は、拾った聖女を飼い殺す  作者: 海野宵人
番外編:花の子ら

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花の子

 翌日ニコルは酔っぱらいたちの賭け事の件を、魔王のシェムにチクっておいた。


 あの連中は軍紀違反をとがめられ、その日のうちにシェムからきつく叱責されたらしい。勤務中の飲酒なら論外だし、飲酒して職場でたむろするのだって軍紀違反だ。どちらにしても、軍紀違反で間違いない。しかも今回だけでなく、過去にも繰り返してきた常習犯だというところまで、調べ上げられてしまった。


 シェムは普段とても人当たりがよいけれども、必要とあらば容赦がない。叱責だけに留まらず、違反の程度に応じてきっちり処分が下されたようだ。いい気味である。


 ただしダリオンだけは、おとがめなしだった。飲酒もなく、違反に問えるような行動が何もなかったから。職場に花束を持ち込もうが、休み時間にプロポーズしようが、それだけでは何の違反にもならない。


 あんなことがあっても、ニコルはダリオンを嫌いにはなれなかった。だからもう、あの出来事については忘れることにした。


 もっともニコルは、あの酔っ払い連中のことだって別に嫌いになったわけではない。賭けのネタにされたことは腹が立ったし、職場であんなふうに大声で騒がれるのは迷惑だと心の底から思った。けれども、しらふのときの彼らは、気のいい先輩たちなのだ。


 そのうちのひとりは翌々日、気の毒なほど顔色を失ってニコルに頭を下げた。深く反省しているとシェムから聞いていたので、「直接の謝罪は不要」とシェム経由で伝えてあったにもかかわらず。どうしても謝らずにはいられなかったと見える。


「失礼なことをして、本当にごめん。俺、本当は──」

「はいはい。蒸し返すの禁止。本当に反省してるなら──わかるよね?」


 謝罪の言葉をさえぎって割って入ったのは、シェムだ。ちょうど彼女に用事があって来たところだったらしい。


 にこにこと人懐こいくせに、不思議な威圧感のあるシェムに笑顔ですごまれ、先輩はぐっと詰まる。そして「申し訳なかった」と、もう一度頭を下げてから立ち去った。だからニコルは、彼らの所業も忘れることにしたのだ。職場でギクシャクしたくはない。


 ダリオンが人間の赤ん坊を拾ったのは、それからほどなくしてのことだった。


 人間を拾って育てるだなんて、正気の沙汰ではない。最初に聞いたときには、何を考えているのかと目をむいたものだ。だが聖女だと聞いて、納得した。


 ところが拾って育てると言い出した割には、ダリオンは名前さえ付けようとしない。名付けるようせっつけば、「聖女」だとか「チビ」だとか、名前にならないような名前ばかり。犬や猫だって、もっとマシな名がついているというのに。


 挙げ句に、ニコルに丸投げしてきた。


(ダリオンの養い子の名前かあ……)


 ダリオンの子なら、花の名前がいいだろう。デイジー、アスター、ローズマリー。頭の中でいくつか候補を挙げるうち、赤ん坊のおくるみに付いた草の実が目に付いた。アニスシードだ。


 アニスは国境付近のような山間部ではなく、もっと温暖な地域の平地で育つ。ということは、この実はこの子が生まれた地方で付いたのではないか。


 アニスの花は、デイジーやアスターのような華やかさはないけれども、白くかわいらしい花だ。ふと友人ヘザーの顔が浮かんだ。うん、いいかもしれない。


「アニスはどう?」


 こうして聖女の名前はアニスに決まった。


 のちにニコルは、アニスに人間の国で付けられた名前がマーガレットだったと知る。やっぱり花の名前だったなんて。そう思うと、何だか笑ってしまいそうになった。でも、この子はアニスだ。マーガレットじゃない。


 ベビー用品は、すべて姉のところから調達した。子どもが二歳近くなり、使わなくなったベビー用品をそろそろ処分しようとしている頃合いだったのだ。ちょうどよかった。事情を話すと、快く譲ってくれた。


「いいわよー。どうぞどうぞ、全部持ってっちゃって」

「ありがとう、助かった」

「ニコちゃんの赤ちゃんかあ。かわいいでしょうねえ」

「いや、ダリオンの赤ちゃんであって、私の赤ちゃんでは──」

「そっかそっか。ダリオンくんとニコちゃんの赤ちゃんだね!」

「ちがっ……」

「あはは。真っ赤になっちゃって。ニコちゃんは、いくつになってもかわいいねえ」


 ニコルの姉は、相変わらずだ。この年になってまで、猫かわいがりしようとする。さすがに勘弁してほしいのだが、姉ばかがとまらない。ニコルは死んだ魚のような目をして、姉ばかがすぎる発言をやり過ごした。そしてベビー用品は、ありがたく根こそぎいただいてきたのだった。


 ダリオンは赤ん坊の世話どころか、そもそも赤ん坊を目にするのが初めてだと白状した。道理で気軽に赤ん坊を拾ってくるわけである。


 世話の仕方をかんで含めるように丁寧に説明してやれば、次第にしょんぼりと肩を落としていく。あからさまに気落ちした様子に、ニコルは吹き出しそうになった。きっとひとりでも、仕事の片手間にちょっと世話をするだけで育てられるとでも思っていたのだろう。


 いくらなんでも、それは甘い。そもそも赤ん坊の面倒なんて、ひとりで見るものじゃない。最低でも夫婦二人で協力して育てるものだ。たいていはそこに、親兄弟の協力も加わる。


 ところがあいにく、ダリオンはひとり暮らし。しかも親や兄弟は、ダンサーや舞台俳優ばかりだ。地方公演が多くて、協力など望めない。唯一可能性のあったヘザーも、ダンサーに転職してしまった。


 しかも人間は、魔族に比べて著しく成長が遅いと聞く。


 だけどこれは、個人の子育てではない。魔国の平和にかかわる、国家プロジェクトなのだ。ダリオンがひとりで背負い込む必要なんて、どこにもない。


 ニコルはもちろん、職場のゴブリンたちも巻き込んで、全員で協力して事に当たればよい。そう説明したら、やっとダリオンは笑顔を見せた。

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