表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された僕が何もしなくても、僕を愛する最強の家族が元婚約者と間男を完全復讐してくれました  作者: ledled


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/7

崩れ落ちた砂の城 ―ある経営者の独白―

西園寺剛さいおんじつよしの朝は、常に優越感と共に始まる。都心の一等地に聳え立つタワーマンションの最上階。窓一面に広がる都会の景色を眼下に、最高級の豆で淹れたコーヒーを嗜む。新聞の経済面に踊る『西園寺建設』の文字は、いつも景気の良いものばかりだ。

先代である父親が興した地方の小さな工務店を、俺は一代で準大手のゼネコンにまで押し上げた。そのためには、多少の汚れ仕事も厭わなかった。裏金、談合、グレーな節税。世間はそれを悪と呼ぶのかもしれないが、俺に言わせれば、それは会社を、社員を、そして家族を守るための「経営のテクニック」に過ぎない。この国では、清濁併せ呑む度量のある人間だけが、頂点に立てるのだ。


「親父、おはよう」


リビングに現れた息子の蓮は、昨夜もどこかで派手に遊んできたのだろう。高価なブランドのシャツを着崩し、微かに甘い香水の匂いを漂わせている。俺の築いた財産の上で、何不自由なく生きる愚息。だが、俺はそんな蓮を甘やかしている自覚があったし、それを悪いことだとは思っていなかった。男は甲斐性だ。自分の息子に、金の心配などさせずに自由に生きさせてやれる。それこそが、成功者の証だと信じていた。


「蓮か。大学はどうなんだ、ちゃんと行っているのか」

「まあ、そこそこね。それより親父、聞いてくれよ。最近、めちゃくちゃ可愛い子と付き合い始めたんだ」


蓮が自慢げにスマホの画面を見せてくる。そこに映っていたのは、確かに人目を引く華やかな少女だった。若さと自信に満ち溢れている。


「ほう、なかなかいい女じゃないか。どこのお嬢さんだ?」

「それがさ、まだ高校生なんだよ。しかも、幼馴染の婚約者がいるっていうおまけ付き」


蓮は悪びれもせず、むしろゲームのトロフィーでも見せびらかすかのように笑った。婚約者がいる、という言葉に一瞬眉をひそめたが、すぐに俺も口の端を上げた。


「はっ、お前も隅に置けないな。だが、面倒なことになる前に手を引けよ。後始末は高くつくぞ」

「大丈夫だって。相手の男、なんか優しすぎるだけのつまんない奴らしいから。俺に夢中だよ」


その時は、それで会話は終わった。まさか、この息子の些細な火遊びが、俺が三十年かけて築き上げてきた砂の城を、根こそぎ崩壊させる引き金になろうとは。その「つまんない奴」というのが、決して触れてはならない聖域の住人であったことなど、知る由もなかった。


異変は、ある日突然やってきた。何の前触れもなく、国税庁の査察官が十数人で会社になだれ込んできたのだ。いわゆるマルサだ。これまでも何度か税務調査は経験してきたが、今回は様子が全く違った。彼らは、まるで会社の内部構造を全て知り尽くしているかのように、ピンポイントで隠し金庫の場所や、裏帳簿のありかを突き止めていく。俺が最も信頼していた経理部長の顔は、紙のように真っ白になっていた。


「どういうことだ…?」


最初は、まだ余裕があった。いつものように、懇意にしている大物政治家に電話を入れる。しかし、いつもなら「西園寺社長、任せてください」と快く応じてくれるはずの男は、気まずそうに言葉を濁した。

「いや、それが…今回は少し根が深いようでして。私の一存ではどうにも…」

他のルートも全て駄目だった。誰もが、まるで疫病神を避けるかのように俺から距離を取る。何かがおかしい。これは、ただの査察ではない。


追い打ちをかけるように、大手週刊誌が西園寺建設のスキャンダルを大々的に報じた。公にされていないはずの脱税疑惑、談合の証拠音声。ごく一部の人間しか知り得ない情報が、なぜか白日の下に晒されている。株価は暴落し、会社の電話は抗議と契約解除の連絡で鳴りやまなくなった。

さらに、長年のライバルであった大手ゼネコンが、この機を逃すまいと動き出した。まるでこちらの顧客リストが筒抜けになっているかのように、的確に、そして素早くこちらの主要取引先を次々と奪っていく。その手際の良さは、異常としか言いようがなかった。


「嵌められた…!」


俺は社長室で一人、叫んだ。これは事故ではない。明確な殺意を持った何者かが、俺たち西園寺家を社会的に抹殺しようとしているのだ。

一体誰だ?これまで、恨みを買うような相手は掃いて捨てるほどいた。だが、ここまで完璧に、静かに、そして致命的に俺を追い詰めることができる人間など、いるはずがない。法と、経済と、情報を、まるで手駒のように自在に操る、巨大な黒い影。その正体に、全く心当たりがなかった。

銀行は手のひらを返し、すべての融資を停止した。資金繰りは完全にショートし、会社は為す術なく倒産へと突き進んでいった。


砂の城は、かくもあっけなく崩れ落ちた。

会社は破産し、タワーマンションも、高級外車も、俺が成功の証としてきた全ての財産は差し押さえられた。妻は泣き崩れるばかりで、蓮は「どうしてくれるんだ!」と俺を罵り、安アパートの一室に引きこもっている。俺は、日雇いの仕事をしながら、惨めな残骸の中でただ呆然とするしかなかった。


しかし、このままでは終われない。なぜだ。誰が、俺の人生をここまでめちゃくちゃにしたのか。それだけはどうしても知りたかった。俺は、なけなしの金と、かつての人脈の最後の残滓をかき集め、古くからの付き合いがある興信所の所長に調査を依頼した。


「西園寺さん…まだそんな金があったのか」

「これが最後だ。頼む。誰が俺を嵌めたのか、それだけを調べてくれ。金なら、後で何とかする」


所長は俺のただならぬ様子に何かを察したのか、黙って頷いた。


数日後、一本の電話が鳴った。公衆電話からかけた、所長からの連絡だった。


「…西園寺さん。悪いことは言わん。もう、この件からは手を引け。あんたが勝てる相手じゃない。いや、そもそも土俵が違いすぎる」

「どういうことだ。誰なんだ、相手は」

「あんた、とんでもない相手の子供に手を出させたな…」


翌日、俺の元に届けられた調査報告書の薄いファイル。震える手でそれを開いた俺は、そこに書かれていた名前に、全身の血が凍りつくのを感じた。


『天野法律事務所 所長 天野誠司』

『大手総合商社 資源エネルギー部門部長 天野慧』


そして、今回の復讐劇の引き金となった人物。

『大学一年生 天野陽向』


天野…? どこかで聞いたことがある。そうだ、法曹界の重鎮、政財界にも太いパイプを持つと言われる、あの天野家。その一族か。

報告書は淡々と事実を綴っていた。息子・蓮が遊び半分で手を出した少女、月島咲良。彼女の婚約者が、天野誠司の次男、天野陽向だったこと。

そして、陽向が咲良の不貞行為を目撃し、深く傷ついたこと。その日を境に、天野家が一斉に動き出したこと。


父・誠司は法を武器に。兄・慧は経済と情報を武器に。妹はSNSを武器に。母は…報告書には母の行動は書かれていなかったが、きっと彼女もまた、見えない場所で静かに剣を振るっていたのだろう。

彼らは、自分たちの愛する家族を傷つけた者たちを、それぞれのフィールドで、静かに、合法的に、そして徹底的に叩き潰した。俺たちが築き上げてきたものが、彼らにとっては、子供が作った砂の城を足で蹴り飛ばす程度の、簡単な作業でしかなかったのだ。


「…そういう、ことか…」


乾いた笑いが漏れた。目の前が真っ暗になる。

そうだ。思い出した。蓮が手を出した少女の誕生日、蓮は高級ホテルのスイートを予約していた。その費用は俺が与えたクレジットカードで支払われていた。つまり、俺もまた、息子の罪の共犯者だったのだ。

俺たちが遊び半分で踏み荒らしたのは、ただの野原ではなかった。決して触れてはならない、神々の住まう聖域だったのだ。


「親父! いつまでぼさっとしてんだよ! 金はどうなったんだよ! 俺の人生、どうしてくれるんだ!」


部屋のドアが乱暴に開き、荒んだ顔の蓮が俺に掴みかかってきた。その愚かで、傲慢で、どうしようもなく浅はかな息子の顔を見て、俺は全てを悟った。

こいつをこんな化け物に育て上げたのは、誰でもない。この俺自身だ。金さえあれば何でも手に入ると、人を傷つけても金で解決できると、そう教えてきたのは俺自身だった。


因果応報。自業自得。全ての言葉が、ずしりと重く心にのしかかる。

俺は、息子の胸ぐらを掴む手を力なく振り払った。もう、怒りも湧いてこない。ただ、底なしの絶望と虚しさだけが、俺の心を支配していた。


崩れ落ちた砂の城の瓦礫の中で、俺は天を仰ぐ。そこには、どこまでも高く、どこまでも青い空が広がっているだけだった。あの家族にとっては、きっと今日の空も、昨日と同じように美しいのだろう。

俺たちの世界だけが、終わったのだ。たった一人の、心優しい青年を泣かせたという、それだけの罪で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ