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4 ――対魔王①――

 全てを見越して用意されたと思われるサンドイッチ類をクラス委員長、アカツキ・シズクから受け取って胃の不満を満たし終えると、授業開始の五分前を知らせる予鈴が鳴った。


「今日は実技授業が無いから楽よね。サンドウィッチはどうだった?」


「うん、凄く美味しかったよ」


「俺は倭皇国仕様の”おにぎり”を期待してたんだが」


「貴方はいいのよ、嫌なら栄養貧弱ウェダーオンゼリーでも食べていれば」


 サンドイッチの入っていた弁当箱を片付け布で包み、それを滑らかな手つきでバッグに突っ込んで、彼女は紫がかった黒髪を翻して立ち上がる。


 少年は思わず胸を高鳴らせ、ロランはシズクの言い草に少しばかりむっとしながらその顔、あるいは髪を見つめて彼女の言葉を聴いた。


「もしよければ、帰りも一緒に帰りましょう?」


 疑問だけ投げつけて彼女は背を向け自分の席、三つ並ぶ列の真ん中の、一番前に腰を掛けた。


 ロランはわざとらしい溜息をついて、「いいなぁお前は」と嫌らしい目つきで口元をにやつかせる。少年は苦笑しながら首を振って、


「好意じゃなくて、好奇でしょ? アカツキさんの場合」


「今ん所はな」


「ナニその意味有り気な言い方」


「べつにー」


 そっぽを向いて頬杖をつき、彼は外の景色を眺め始めた。少年はやれやれと肩を弾ませて背を向けようとすると、彼はぴしっと背筋を伸ばす。


 直後に――――スライドドアは朝と同じように勢いよく開かれて、けたたましい音を鳴らした。


 その人物はこれから始まるのだと覚悟を決めていた数学の担当教師ではなく――――担任の先生であった。


 一体何事か。もしかして自習か? そんな呑気な淡い期待に包まれる室内に、彼女の焦りを隠せない声が空気を震わせた。


「あぁ――っと。この都市内にだな、凶悪な犯罪者が入り込んだらしい。だからお前等はこの学園、というか、校舎内から外に出てはいけないぞ。出たら明日から私の授業の単位を認めないから。以上。委員長、騒いだら宜しく頼むよ」


 彼女は忙しそうに歩きながら告げて教壇に立ち、また言い終えると直ぐに廊下へと戻って行く。


 早口にそれだけ言って――――彼女は右腕を、宙に不自然に開いた穴に突っ込みながらその場を後にした。スライドドアは中途半端に開いていたので彼女はそこに肩をぶつけ、騒がしい音を立ててドアを外し、ソレは床に倒れてまた五月蠅く音を上げた。


 彼女はそれに気を回す余裕も無く駆け足で廊下へ向かい――――生徒には見られていない事だけを確認して、正面の中庭が見下ろせる窓を開け放って、そこから飛び降りた。


 壁際の席に座る生徒は不思議に思い、彼女が廊下へと消えて、ドアが外れて音を鳴らしてから直ぐに席を立ってドアへと進み廊下を見ると、既に彼女の姿消えていたことに、また疑問を抱いた。


 ――――そうして、なんだか知らんが授業がつぶれたぞ、という風にわいやわいや教室の中は騒がしくなり……。


「ね、先生の慌てようは尋常じゃ無かったわ」


 教室内ではいち早く机の上でトランプを展開する者や、少しでも騒音の漏れを和らげようとドアを元に戻す者、黒板に落書きをしだす者や談笑する者などが様々に入り乱れたが――――それを抑制するはずの彼女、アカツキ・シズクはその役割を果たそうとせずに、逸早く少年等の下へとやってきていた。


「まぁ、凶悪な犯罪者らしいからね」


 彼女は早くも空いた少年の隣の席に、窓を向くように座り込む。少年はバッグから出したばかりの本を机の上において、身体を反転させて頷いた。


 ロランは伏せてそうそう声を掛けられたので眠そうな目を薄く開けながら、適当に口を開く。


 何か詰め物をしているように張り詰める胸を張りながら、彼女は自信有り気に言葉を続けた。何か確信を持つような、女の子の噂話独特な、妙な説得力を持って。


「きっと昔付き合っていた男性か何かだと私は睨むのよ」


「その手の話ならもっと適当な人材が居るんじゃないの?」


 例えば、先ほどからずっと彼女の背に視線を突き刺し、また周囲の少年やロランには悪意を持つ眼差しを投げつける、シズク周囲の席に座る女生徒らなど。少年はそこまでを口に出来ないが、勘の鋭い彼女のことだから勘付いてくれるだろう思った。が、シズクは聞こえぬ振りをして言葉を続けた。


「先生は実技授業担当じゃないわ。だからその知力を買われてこの学園に来たんだろうけど――――見た? 腕が半ばから消えうせていたわ。あるはずの無い穴に、腕を突っ込んでいたんだわ」


「あぁ、ありゃ――――亜空間だな」


「そう。なんらかの力でこの空間に似た空間を作り出し、無機質であれば何でも入れる事が出来る特異中の特異魔法。彼女がこれほどの力を持っているのに、ただ魔法技術の筆記授業を教えているのには理解が出来ないの」


 説明は理解できるが――――先生の腕は消えていたか? 穴とやらに飲み込まれていたか? 一体、何を見て話しているのだろうか。もしかしてからかっているのか。


 いや、もしかしたらレベルの低い僕には見えないのかもしれない――――少年はそう結論付けて、彼等の会話に要らぬ言葉を投げ入れぬよう細心の注意をした。


「そしてドアにぶつかった瞬間。その手には剣の柄が引き抜かれていたのが見えた――――。アレほどまで焦っていて、また今すぐにでも武器を出さなければいけない状況ってことはつまり……」


 彼女は小声に、指を立てて集中させるように視線を集めて背中を丸めた。しなやかな指は一本立って、テレビの怪談番組がする演出のように、不思議と辺りが暗くなった気がした。


 息を呑む。乗り気でなかったロランですら唾を飲み込み喉を鳴らし、そしてシズクは二人に待たれ期待される言葉を続行する。


「相手を殺して自分一人だけを愛させるっていう、アブない人かもしれないわ」


「わかった。お前知力じゃなくって戦闘技術のお陰でこの学園に入れたんだな?」


 この学園は知力か戦闘技術、どちらかが圧倒的に高ければ、どちらかが圧倒的に足りなくとも入園することが出来る。それは少年のレベルの低さによって発見されたものなのだが――――シズクは心外だと、背筋を伸ばしてロランを睨んだ。


「失礼ね。ローラン・ヴァーネスト。貴方は――――」


「ハーヴェストだよ」


 むすっとロランは返して――――シズクは口を開けたまま硬直した。


 なんでこれほど仲が悪いのだろうか。元々はロランの歯に衣着せない発言が、似たような気質の彼女になぜだかあわないらしい事が原因だろうが……早すぎではないだろうか。


 出会ってからまだ一時間と経過していないのだが――――。


 そんな時に、ふと現状打開の行動を、少年は思いついた。


「き、気になるんだったら後を付けてみない?」




「馬鹿か貴様、その発想自体が最低すぎる」


 学園都市を囲む壁に背を預け、失った両腕の痛みに唸りながらレイドは口を開いた。


 彼の意識の殆どは右腕の切断面に向いていると思って口を開いた女教師は「冗談だ」と真剣な表情で返しながら、大剣で地面を鳴らした。


「くっ……うおおっ……ッ!」


 その切断面から伸びる魔力は腕の太さに圧縮されて、鈍く光を放っていた。半透明の中にはおざなりに在る半透明無色の血管や筋肉が見えて、全てを魔力で構成される右腕は、また剣を具現化した時のように光り輝き――――。


「はぁっ……」


 本物と見間違うその腕は、外見の面では問題が無く。レイドは力を込めると痙攣する手で拳を握り始める。指は思うように動かず、だが徐々にそれは内側へと閉じ始めていた。


 純白のスーツの上着は紅く染まりあがり、袖が肩で終えるという珍妙な格好になっている。彼女はそれを見ながら辺りを注意深く詮索するように、長い耳をぴくりと弾ませた。


「居るか? やっこさんはよ……」


「周囲数百メートルは無いな。違和感もないからその付近も無いだろう……しかし、まさか”魔王”がアンタをそこまでするとは、驚きさね」


「私が油断していただけだ。奴が特別強いと言うわけではないが――――何か、依然とは違う力を持っている。近づくと持っていかれるのだ。この腕のようにな……」


「私が受け持つクラスに、将来有望すぎる少年がいるんだけどね。ホラあの……エンブリオの子孫。それでも敵わない程?」


「あぁ、アイツか。無駄だ。魔法も飲み込まれるし、接近戦なぞ問題外だ……が。倭皇国の人間は、魔力自体が聖なる加護を受けている……。それを使えば、今、パワーが圧倒的に足りずに全てを喰らおうとする暴食の習性を利用すれば、あるいは……」


 左腕がまた輝いて、復活する。魔力で構成されるが本物の腕のように動くそれは、だがしかし一時凌ぎの物である。


 だが魔王に、失った腕をも治せると誤解させ、驚かせることは十分に出来るそれである。

それは今の彼等にとっては大きな事だった。僅かな隙は、歴戦の勇士にとっては永久に近いチャンスに変わる。


 呼吸を乱しながら額の汗を拭い、そうして大きく深呼吸するとレイドは彼女――――シャロンの目を見て答えに期待した。


 だが彼女は首を振って、


「勿論居るが――――誰であっても、実戦経験が無い奴を、しかも学生を、魔王相手に出せるワケがないだろう」


「分かっているさ。もう勇者も居ないし、この時代の人間が相手すべき存在じゃない。これは私たちの問題だ。そうだろう? シャロン」


「分かっているなら話が早い――――」


 彼女は表情を僅かに穏やかにしてみせると、その瞬間、面倒そうに振り向いて――――校舎を見上げた。


「どうした」


「今話題に出た二人とプラスアルファが校舎から抜け出したのよ。あれほど出るなと言ったのに……」


「どうする」


「注意してやるさね。傭兵せんせいとして」


 そして同時に――――彼女等の前方ではなく、少年らが抜け出した校舎の裏側の遥か遠くで、感じた。


 魔王の魔力を。


 故に、先ほどまで冷静にあった彼女の心は一瞬にして消え去って、全ての記憶が、四○○年前の後悔が脳裏を過ぎり、力に変換される。


「来たな……魔王!」


 シャロンはレイドに伝えることも、少年達に注意することも全て忘れて――――真っ直ぐ魔王へと向かった。

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