3 ――平穏の外界――
「ふゥむ、しかし一国の王だと言うのに――――見事なまでに誰も護衛に着いて来ないとは……。私が皇帝でなければ国は廃れているぞ……」
透き通る金色の髪をオールバックでキめ、白いスーツを着る男はブツブツと呟きながら、『学園都市』の前で一人、大きく伸びをした。
彼が呟く皇帝だの王だのは自身のことであり――――またそれは事実であった。
『帝国ズブレイド』。それが彼の国であり、かつて魔物と魔族の大群を、援助を受けつつも殲滅した強靭な騎士や兵を有する国家である。
実力主義のそこであるが、ここ数百年、王の座は彼以外になった事は無い。
彼は魔法を自在に扱う魔術師であるが、その存在は特異な『大賢者』の称号を持つ男である。
大賢者は世間一般に魔法かそれに関する何かで大きく貢献したものか、評価に値する新しい魔法を生み出したか、あるいは魔術師としての実力が一定以上か等の条件を満たすことによって与えられる称号であり、それを受け取ることが出来る者は非常に稀である。
彼はその称号をその数百年前に受け取っていているが、だからといって数百歳と言うわけでもない。
彼は事実、見た目の通り若い二十歳である。これまで数百年の記憶を持ち合わせるのは――――自身の身体の時を自在に操ることが出来るからであった。
いわゆる輪廻転生の転生だけを自在に繰り返し、この数百年を繰り返してきている彼は、存在自体が大賢者の称号に値するものである。
そんな皇帝であり、世界的な実力を持つ彼がこの学園都市に、何用で訪れたかと言うと、それは簡単な話で――――彼がこの都市の創設者であり、自由学園の学園長であるから、という理由である。
最も、通常は代理に全てを任せているのだが、今日の午後は、騎士を目指す学科で演説をしてもらいたいという、例年通りの行事があるために、仕方なく足を運んでいた。
そんな気だるさに辺りに視線を散漫させていると不意に――――門の傍に倒れる小さな人影を見つけた。彼は颯爽と歩み寄り、そして屈むと頬をぺちぺちと叩いてみた。
「おい小僧、こんな所で野垂れ死ぬな。評判が悪くなるだろうが」
褐色の、上等そうなマントに包まれる少年の耳は鋭く尖っていた。だがそれは、エルフというよりも、もっと別の、見覚えのある生き物に近く、
「くっ……、私ともあろう者が……こんな、所で……」
それに思考を巡らすと、途端に少年はうめき声を上げた。まだ五か六に見えるその子どもはその外見に反するような口調で唸り、仰向けに倒れるその身体に覆いかぶさるように影を作る男を、薄目を開けて見た。
「……っ、貴様、どこかで覚えた顔だ」
「あぁ? 私は知らんな、小汚い小僧が。そうやって小銭を稼いでいるのか――――ほら、くれてやるから帰り給え」
ポケットをまさぐり、都市内で飲み物を買おうとサイフから出していた銀貨を一枚、彼の顔の横に落とした、その瞬間――――褐色の子どもは突然眼を見開き、男には到底届かない腕を伸ばして指を指した。
「貴様は――――レッ……!」
ここではまずい。この状態では不味い。自分の存在を、このひ弱で貧弱でたかだか一体の魔物にすら勝てぬこの力でのうのうと生き延びている私の存在を知られてはいけない――――少年、かつての魔王は言葉を、喉に力を込めて閉めることにより、止めた。
この男、レイド・アローンは古のあの時、魔王を、勇者の仲間として討ちに来た一人である。若かりし時より姿が変わらぬ故に、その顔や動作、口調や声で思い出すことが出来たのだが……。
「貴様、”レ”と云ったな。そして言葉を詰まらせたが、今の発音から聞けば次は”イ”に違いない。そして偶然、私の名の出だしはその”レイ”で始まるが――――果たしてコレは、偶然といえるのか? 言えないだろうな。なぜならば貴様の身体から滲み出る魔力は、覚えがあるからだ」
思い出しただけでは終わらない。聡いレイドのお陰で魔王の努力は虚しく――――全ては滞りなく、両者にとって悪い方向へと事は運ばれた。
レイドは後退し、横方向へ右腕を伸ばす。瞬間、その手首より先が鈍い光に包まれて、その光は次第に伸び、鋭く尖り――――その輝きが一瞬にして強くなった直後、その光は確かな剣に”具現化”した。
銀光りする刃。長さは六~七○センチほどで、先細るような刃を持つ。陽光に照るそれは、嫌なくらいな鋭さを魅せていた。
「吐き気を催すな。いや、まさかとは思っていたが。北の孤島の封印石が消えていたから”まさか”とは思っていたんだ。こんな事は予想できていたがな、実際前にすると、理性が保てなくなる――――どの面下げて現れやがった! 魔王!」
「ククク……、以前より強くなっている、か。人間如きが」
幼き魔王は銀貨を拾い上げ、門近くの壁を支えに立ち上がり笑みを浮かべる。相対するレイドは、ここ一○○年感じたことの無い激しい憎しみに包まれて、その顔は怒りを隠せずにいた。
「人間は滅さねばならぬ!」
「貴様は消滅さにゃあならん!」
魔王に後退するべき道はなく、動ける範囲は左右しかない。さらに幼き故に射程範囲は短くその力は弱いだろう。
だから、レイドの攻撃に迷いはなかった。最も――――無意識下での油断は大きすぎるものであったのだが。
「貴様はこの世に居てはいけないッ!」
一閃。煌めく銀光は宙に弧状の刃を描いて剣は横薙ぎに鋭く奔り、魔王の横腹へと即座に到達する――――が。
「ハハハッ! 貴様が私にくれてやったというのは、この命のことかァッ!?」
剣の腹は甲高い音を立てて――――魔王はレイドが与えた銀貨で、その斬撃を捉えて防いでいた。剣は腹を切り裂く事もなく、ただ魔王に促されるままに力を別方向へと流される。
魔王はさらに力負けしないようにコインを外側へと傾けて剣を背方向へ、そしてその力で身体は前へ、レイドの懐へと押されるように迫ってきた。
力、魔力はなくとも動体視力や戦闘の勘は健在か――――脳裏にそう過ぎらせるレイドは剣を手放し即座に魔法で迎撃しようと試みるのだが、
「なんっ」
気がつくと剣は黒く染まっていて――――その汚染は、既に手元を飲み込み、飲み込まれた先が動かなくなっていた。力が入らぬどころか、その先の感覚が失せていた。
その不可思議な、見たことも聞いたことも無い現象に、気を取られ、思考が停止する。
瞬間――――。
「人間は感情的になっていけない」
「わ、私が……」
その幼く短い腕は鋭くレイドの胸を貫いた。行動する余地も無いまま、彼は目を剥いて、呼吸を詰まらせた。
腕から血が滴って、黒き汚染は既に上腕まで到達する。飲み込まれたが最後、その腕は二度と戻らず、魔王の中で力として消化されるのだ。
「ふむ。生きているのは後シャロンだけか。だが――――貴様を、貴様の力を一番に手に入れられて良かった。貴様が私にとって一番遣り辛い。聡いからな、貴様は。だが、最後の最後で判断を誤った。間違ってくれた。魔法で、最初から得意分野で来ればまず負けなかった。銀貨をくれてやる結果にはならなかったのだ」
「間違った――――と、思うのか?」
「なんだとっ!?」
その声に、余裕のある表情に驚き腕を引き抜いて体勢を――――。そう考えながら実行するが、その腕は、レイドの胸から引き抜けなかった。圧倒的な圧力が、未だ取り戻せていない力を上回る怪力が、その腕を圧迫し……。
「疾風抜刀ッ!」
レイドの叫びと共にやってくる、彼等に対して平行に、だがあらゆる方向から飛来する風の刃は一瞬にして――――黒く染まるレイドの腕と、紅く染まる魔王の腕を肉塊へと変えていった。
肉の切り刻まれる音が醜く響き、魔王の絶叫が木霊する。血が辺りに飛び散って、レイドはすかさず背後へと飛び退いた。
両腕を失った――――血に塗れ、乱れる髪を拭い整える腕は消えてなくなった。その所為でレイドの中の衝撃と自分を責める葛藤は強さを増すが、彼は唇を噛み切って僅かに理性を取り戻す。
短縮魔法と呼ばれる、魔法名を口にせずとも簡単な条件を満たすことで自動発動する魔法に登録してある回復魔術を起動させて胸の傷を塞ぐが、体力は依然として戻る気配はなく、乱れる呼吸は、その回復を遅めてしまう。
心臓や肺は傷付かずに済んだようだが――――代わりに、魔王の絶叫は既に失せ、彼は早くもレイドへと歩み寄っていた。
魔王は右手で、亡き左腕の肩を抱えながら――――より決意に満ちた、憎悪に、僅かな力に満たされた瞳でレイドを睨み、また、一定の距離で足を止めた。
「油断した、と言うのかな。懐かしい――――”窮鼠猫を噛む”とはこの事よ。だから、人間とは侮れぬ」
「貴様はこれまで、どれほどの街を滅ぼし、どれほどの人を殺し、どれほど『俺』からあらゆる物を奪ったかわからん。だが、貴様に”これから”は無い。今ので、『俺』の両腕でどれほどの力になったかは分からないが、この『俺』を上回ることは決して無い!」
「魔術師が熱くなったらもう終わりだ――――貴様は私の中で生きていろ!」
レイドが叫びに近い声を張り上げるたびに、全身の魔力が眼前の一点に集中し始める。魔王は魔法を放つほどの魔力は持っておらず、故にその全てをカウンターに賭けて対峙した。
魔力が大気に影響を及ぼす。激しく振動する大気は大地を揺らし、砂や小石をゆっくりと浮き上がらせて――――そんな影響が、また消えてなくなる静寂が訪れた刹那。
「はは、引っかかったな馬鹿野郎め」
「なんだと?」
「瞬間移動」
「あっ――――」
レイドはそんな引き攣った笑いを浮かべて、一瞬にしてその場から消え去った。身体は瞬く間に掠れていって――――魔法を発動した瞬間レイドを襲おうと地を這わせていた黒き汚染は、そんな予想を外した行動にタイミングをも外し、下から上へ、虚空を貫いた。
強い磁力に浮き上がったような砂鉄の如きソレは虚しく、徐々に魔王の体内へと戻っていき――――魔王は訪れた静寂に、血に濡れる大地を踏みしめながら息を吐いた。
「存在を知られてしまったか。だが――――理解した。あの腕だけで、細胞レベルだけで、記憶を、近況だけだが、理解した。この都市は全てが学園であり、未来ある若者が多く居る。無論、将来有望な人間が豊富に存在するし、多いが故に隠れ蓑になる。為り得る。なってもらわねば困るのだが。レイドが中に退いたのは、恐らく私が中に入ることも予想していての事だろう。この都市にはシャロンも居るらしいな……、懐かしい、現存する勇者パーティ勢揃いか……ブチ殺してやる」
毒を吐くような苦い顔をして――――魔王は高く飛びあがった。レイドの腕を吸収したことにより、常人を少しばかり逸する身体能力を取り戻した彼は、簡単に十数メートルの塀へと登って、罠が無い事を確認してから、中へと飛び降りた。
「――――あの魔力は魔王か……。面白そうだからハイドを呼ぼうにも、どこかに逃げられてしまったしなァ……。ま、何か起こったときにまた、見物に来れば良いか」
上空では、魔王が気づかぬほどの高さに居るその魔族はそう呟いて、どこか彼方へと身体を泳がせた。




