ACT9.『party night』
やつれたのか、外に出ていなかったからか。少年の顔は驚くほど蒼白く、病的なまでに鋭い目つきになっていた。これを成長と言い張るのならば誰も口は出さないが、彼自身、その変化に自覚を持っていない故に、気がつくとそんな顔つきになっていた少年に対して、人はどこかよそよそしい態度を見せていた。
「お見舞いの品は、これでよかったですかね?」
「また洋梨か、冗談だろ?」
「安かったので」
退院するが、次の日にはすぐにヤマモトロクロクへと見舞いにやってくる。ヤマモトはそんな彼に特別距離を取るわけでもなく、ただ、男らしくなったな、と思うだけであった。だから、カゴに山盛りになって現れる梨を一つ手に取り、それをそのまま一齧りした。
シップ=スロープは同じく退院したが、すぐさま、残った委員会の仕事を片付けさせるために学園へと呼び寄せられて、この場には居ない。だが居ないから困った事があるという訳も無いので、少年は土産を渡し終え、着替えを手伝った後、そのまま簡単な会話を交わし、その場を後にした。
病院を出ると、日差しが身体を貫いた。強い日光が照りつけ肌の表面温度を跳ね上げる。オーブンの中に入ってしまったかと思うほどの強い熱は、地面からの反射も手伝っているからであった。少年はそれにうんざりしながら、そのまま帰宅しようとする。不調や不良は完全に失せたが、自分から望んだ謹慎が、あと二日ばかり残っているのだ。
皆が勉学に励んでいる間、のほほんと世界を憂いながらもゆっくり過ごすというのは、妙な罪悪感が胸に浮かぶが、悪い気分ではない。しかし時刻は既に一五時を過ぎているために、下校する生徒と出くわす可能性があるのだ。だから、少年の足運びは早くなって行くのだが……。
彼の歩行は、不意に止まった。否、止めざるを得なかった。理由は、目の前に人が現れたから。まるで馬車の前に身を投げるが如く現れた人影と、衝突する事を避けるために。
かくして、少年の適切な判断により未然に防がれた人身事故であるが、その唐突に現れた人物を見て、事故を防ぐも不幸は自分に降りかかっていると感じていた。
「あの、待ってたの。ストーカーみたいに思うかもしれないけど、迷惑なら消えるわ」
薄手の白い、丸首が大きく開いた長袖のシャツと、簡単なジーンズだけの格好をする女性は、それだけの服装であるために、大きな胸が強調されていた。狙ったように胸の谷間が見える服装を見て、少年は情けなさそうに息を吐きながら首を振った。
「あなた、一週間前の人ですよね? 男の人に襲われていた……」
少年の問いに、彼女は頷く。濃い赤髪は短く切られているが、毛先に軽いパーマが掛かっているらしく、癖っ毛に見えた。長いまつげが瞬きの度にいちいち目立ち、大きな瞳は少年を捉える。少年はその整った顔を見返して、言葉を繋いだ。
「学んでないのは、悪い傾向だと思われます。妹さんからお礼は承っていますが、これでは助けた甲斐も無いというものだ。それとも、貴方はわざと襲われるのが好きだとか、そういった趣味がおありで?」
「そ、そんな事あるわけない……ですよ。でも、今日は暑いし、それに人が多い場所を意識して通ってるし……」
彼女はごにょごにょと言い訳のような事を言いながら、やがて俯いてしまう。一体何が用件なのか、聞く前にこんな事になってしまうとは予想外の事なので少年が困っていると、また不意に、闖入者が新たに現れた。
「お、お姉ちゃんっ!」
今度は少年の背後から。少年の通う自由学園の、冒険科の制服を纏う少女が現れた。半袖のワイシャツに、ベージュ色のラインが入る紺色のスカートという服装で、胸には赤いリボンが結んであるのを見て、少年はどうやら同学年である一年生なのだと認識した。
彼女は桜色の長い髪を腰まで流し、それからすぐに、姉と呼んだ女性へと飛びつくよう腕に抱きついた。
少年はそれを見て一歩退き、立っているだけで消耗する体力が完全に尽きる前に退散してしまおうと考える。彼女の登場は即ち、学園の放課後を意味しているのだ。悪い意味で有名である少年は、学園を休んでいる故に、さらに悪い噂が立ちそうで、それが心配でならない。だから、この判断はこれ以上無いくらい適切なのだが、
「ちょっと待って!」
女性の、ヒステリックな悲鳴じみた声が、彼の行動を制限した。
彼女はそのまま、妹を連れたまま少年へ歩み寄り、そして上目遣いで彼を見て、そっと、垂れる手を握った。少年は額から一筋の汗を流しながら、最早涼しさしか求めていない頭で必死に彼女の言葉を理解する、努力をした。
「あの時、貴方に助けてもらっていなかったら私、多分ひどい事をされた後に殺されていたわ。だから私、貴方に返しきれない恩を受けたのよ。もし貴方さえよければ、私、貴方の言う事、なんでも聞くわ」
「ならまず、手を離してください」
彼女が行動するよりも早く、少年は手を振り払うように引き剥がす。それから少年は、服をパタパタと仰ぎながら肌と服の間の空気を入れ替えて、彼女等を素通りしながら、言葉を続けた。
「次に、帰ってください」
陽炎の立つ道路は見るだけで嫌気が差す。彼は歩き出すとすぐに彼女等の存在を忘れてしまったが、めげない姉妹は、それでも健気に彼の隣に追いついては、口を開いた。
次に声を発したのは、内気気味な妹のほうだった。
「あ、あのショウさん、分かりますか? 私、図書委員で同じのクリスです」
「あぁ、ごめんね。兼任するつもりだったけど、風紀委員が予想以上に忙しくて。幽霊委員になるかもしれないから、悪いけど名簿から名前消しといて」
じりじりと日が肌を焼く。これで蒼白い表情は和らぐと思われるが、肌が白いためにに明暗がより濃くはっきりとして、逆に不気味になっていた。ぱっとみて、彼がレベル五の雑魚で有名なショウだとは誰も気付く事は無いだろう。
腑に落ちず納得できないクリスはうろたえるが、何を口にすれば良いのか分からない。さっさと意見を却下された姉の方は、彼の足を止められる様な台詞が思いつかず、ただ並んで歩くことしかできなかった。そして少年の視界にはすでに彼女等の姿は映っておらず。
――そしてまた、少年は歩みを止めた。
それは彼女等の成果ではない。暑さによって体力が限界を向かえたためでもない。無意識の内に、気がつくと足が止まっていた、というわけでもない。それは、先ほどと全く同じで、目の前に見知った人間が現れたからであった。
「よぉ。なんか、雰囲気変わったなぁ、お前。両手に花ってやつ? 羨ましいぜ」
両手に、指までが形作られる手甲をはめる少年が、そこに居た。長めの金髪をオールバックに決めて、ベージュ色のブレザーに、赤いネクタイを締める彼は、忘れる事が出来るはずも無い親友であった。少年は、そんな最早懐かしく感じる彼を見て、さらにその実力が増したのをすぐに感じる。そして同時に、彼も同じような事を自分に感じてくれたのだろうと思って、自然の頬が緩んだ。
少年は、ロランの影に幼い白髪の少女が隠れているのを見るが、特に興味は湧かなかった。恐らく、勇者候補としてペアを組んで行動を共にしているのだろうと、ちらりと見えた少女から漏れ出る力強い魔力から窺い知れたからである。
「ははっ、でも本当にすげぇなお前。何があったんだ? 魔力だとか腕力だとか、前線に絶対的に必要になる力は変わってねぇけど、分かる。踏んだ場数の一つ一つが、お前に急成長を促したんだな」
ロランは、少年が成長したその代わりに、何かが欠けてしまったようにも見えた。人間にあって当たり前のようなものの気がするが、その欠けている何かが分からない以上、然程大切なモノでもなかったのだろう。少なくとも、熱射による疲労があるものの笑顔を見せる少年は、いつもの顔なのだから、ロランは気にならなかった。
「こっちが聞きたいくらいだよ。最も、強くなったって言う自覚はないんだけどね。それにしても、人間には可能性がある限り強くなるって言うのが、ロランを見ればホントに良くわかる。その伸び率を僕に寄越して欲しいくらいだ」
少年等の会話に、無粋者は加入できない。それを悟る姉妹はそっと、その場からフェードアウトした。無論、彼らの関係が羨ましいだとか妬ましいだとかは、少しばかり感じるが、それよりもその彼らの間の空気を、大切にしたいと思ったからである。
――気分は軽く、気温になれた身体は汗を流さない。まるで寝起きが良い日のような感じである。何もかもが、上手く行きそうな気がする。少年は、ロランと再会した途端、そういった気分を沸かせていた。
同時にロランも、それを感じている。なにか、平穏に戻ったわけではないのに、懐かしいだとか感じるわけでもないのに――心の底から満たされていくような感覚。ただ会話をしているだけなのに、互いを高めあっているというのが肌で感じられた。
「実はこの手甲、最新式なんだぜ。俺の意思で、この質量分は自由に変形する。基本形態は手甲だけど、魔力を込めればカタール系の剣にもなるし、盾にもなる。ま、機密事項なんで、本当は話しちゃいけないんだけどな」
「っていう事は、ロランは魔王に挑む事になったの? 戻ってきたって事は、日常に戻れるのかと思ってたよ」
少年は意味無く嘘をついた。最初から予感はしていたのだ。彼といつどこで再会したとしても、彼は魔王と戦うことになる。直感だが、そう感じていたし、事実、そうだった。最も実際に対峙しなければ、事実として残らないのだが、彼は逃げるわけが無い。だからおそらく事実になるだろう。
そしてやがて史実になる。魔王を倒した英雄として、勇者として奉られる。少年は望むが、決して辿り着けない境地である。
「あぁ、明日旅立ちでな。だから、もしかしたら帰って来れないかもしれないから、別れを伝えに」
そんな話題でも、ロランの顔から明るさが失せる事は無かった。むしろ余計にぱっと明るさが増したように見えて、少年は言葉を失った。無理矢理元気付けようとしてるのが見えて、心苦しくなったのだ。だが結局、自分には何も出来ないことを知っているので、少年はソレに対してただただ、頷いた。
そして、彼の簡単な別れの挨拶。もし帰ってこれたら身内だけでパーティを開いてくれだとか、もし死んだら……なんて事と、お前は一番の親友”だった”なんて月並みの台詞。それらが終えた後すぐに背を向けてしまう彼に、少年は言葉を投げた。
「僕も連れてってよ」
この台詞に似たような事を、彼が帝国へ言ってしまう前に告げた。だが呆気なく却下されたのだが――。
「結局その答えを出せるのは、貴様だけだったという訳だ。貴様は戦闘センスさえあれば、直々に部下になれと誘うくらいの人材だからな。正直、期待はしていた」
瞬間、空が瞬いたと思うと不意に声が響いた。
彼らの周りを過ぎ去る、時間帯的に少ない通行人はそれにつられて空や、建物の屋根を見上げるが、彼らが見るのは皆、青く晴れ渡る空と、錆びれかける屋根だけだった。
だが少年は、瞬間的に自分の目の前に現れた、白いスーツに身を包む好青年を捉えていた。
「えぇ、わざわざ病室に来たときは驚きましたがね。そして多分、レイドさんが考えてる事もわかりますよ。この場ではとても言えませんが、今の状況では一人増えようと二人増えようと、あまり何も変わらないって」
勇者候補というものは、名ばかりである。そもそも勇者とは、なろうと思ってなれるわけではない。その素質、資質があるものが自分の正義のために行動するからこそ、そう呼ばれる。そして大抵、そういった人間が、魔王に歯向かいそれを倒す。
だから、かつて勇者の仲間だった彼がその候補生というのを作り出すのは、普通に考えておかしい。何か、部下との意識に齟齬があり、それを解けずに彼らを募ってしまったのだろう。
少年がそう考えて、レイドはそれをなんとなく読み取る。彼が考えた事は直感であるが、それこそが、彼の中で、誰よりも最も秀でているものである。故にレイドはそれに目をつけていた。だから今、少年が思惟した事を読み取って、改めて頷いた。
素晴らしい、と。
「力だけが全てではない。貴様には貴様の力があり、それがあれば我々は比較的有利になるが――貴様は、これに参加した時点で死が確定する。生き残るには、戦う力が必要不可欠だからな。貴様はそれを、承知で踏み込んでくるのだな?」
死が決定する。そう言われても、少年の心はあまり揺らがなかった。その台詞はあまりにも、自分が過ごす現実と離れすぎているのだ。だから実感が無い。痛みがあれば、恐怖があれば死ぬという事実を受け入れられるのだろうが、今の状況でそれを理解する事は困難だった。
故に、その台詞に不用意に頷くと言う事は、契約書を読まずにサインして詐欺にかかるような愚かさを意味している。当然、それくらいは少年に判別は付くが、気がつくとその首は、縦に振られていた。
そして口は、まるで自分のものではないようにすらすらと、つらつらと言葉を紡ぎ重ね始めていた。
「えぇ、だけど僕は死にませんよ。レイドさんが認めるほどの力を僕が持っている。ならそれを、自分のために使えば生存率は跳ね上がるという事じゃないですか? 仮にそれを意味して言っているのならば、最早僕に術はありませんがね」
「はっ、それを私が、許すと思うか? 貴様を連れて行くのはただの酔狂ではない。魔王に対する勝率を高めるためだ。だから貴様の腕がもげようとも、足がとれようとも、私は貴様を有能な捨て駒として使い続ける。貴様はソレに、承諾したのだ」
「なら――僕を死なせ無い様にしてください。少なくとも貴方が、僕を有能だと言うのならば、ね」
少年はそう言って不敵に笑う。投げやり気味にそう吐いた台詞だが、レイドはその度胸を求めていたというように、嫌らしい笑みを浮かべた。
それを端で見るロランは彼らを不気味に思い、思わず背後のアータン=フォングの目を手で覆った。とても見せられる状況ではないが――本当に、少年は変わってしまった。何かが可笑しい。何かが違っている。だがそれがなんなのか、良くわからない。これが成長なのか、変化なのかすらわからないが、ロランは何か、悪い予感を感じていた。
――そして少年は、彼らと共に、学園都市から姿を消した。




