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6 ――強襲――

 ――――時間が止まっているのだと、錯覚した。


 そう誤認するのも仕方が無いと思うほど、その空間には動きが無かった。


 風は無く、人の動きも無い。魔力もその波を消し、だが張り詰めた緊張感を残したままその場は状況を持続する。故に、誰もがその精神力の限界に達そうとしている最中でもあった。


 だが不用意に動く事は許されない。


 拒絶者キャンセラーを名乗る魔族の能力を知る者は、少年とスズ・スター二名のみである故に、周囲にはその真価は謎のままであるし――――実際、彼の力は未だ未知数であるからだ。


 魔族よりやや後方には、首から血を垂れ流して地面を染める少年が倒れていて、正門付近には"平和を培う会"会員達。そして魔族から少しばかり距離をおいた前方に、リボルバーを構えるスズ・スター。


 潜める呼吸音は幾重にも重なり、結局は大きく聞こえた。だが魔族は動く気配など微塵も見せずに、大きく目を開いて虚空を見つめるだけであった。


 ――――雲行きが怪しくなりはじめた。


 湿った風が吹き始め、徐々にその強さを増す。生ぬるい空気が、一帯を包み込んでいった。


 そんな、時が若干動き始める予兆を見せ始める頃。少年は呼吸を潜めながら建物内に避難していた。


 ――――喉に燃えるような痛みが走り、呼吸をするたびに喉が弱々しく笛の音を上げる。高鳴る胸を押さえながら、彼は魔族が背にする商店に逃げ込んだのだ。


 ダメだ。多分今ので拒絶者キャンセラーはブチ切れた。


 少年の思考は特に現在は後ろ向きである。


 元々特殊能力が奥の手であるという一般的な考えを主体にしている中で、最初からいきなりソレを使ったことに疑問を抱かなかった時点で、こちら側は敗北の女神に目を付けられてしまったんだ。


 恐らく、そろそろ気付くのだろう。"先ほどの少年がこの中で最も弱い"と言う事に。だとすれば、確実にこの命を狙ってくる。だとすれば、僕は間違いなく殺される。瞬殺だ。それだけは避けなければならない。


 そもそもこの辺りに居る人間の攻撃なんてものは、喰らっても喰らわなくても然したる問題は無いのだ。だが久しぶりの大々的な戦闘とあっては楽しまなくてはいけないという、無意識に生まれた義務感が彼をそう行動させたのだろう。


 だったら今この状況で彼……拒絶者キャンセラーを倒せるものは居るのか? 


 居ない――――とも言い切れない。


 魔族の皮膚は確かに堅い。鋼鉄並みであると言っても過言ではない。だが体内はどうだ? そのむき出しの眼球や、その口内などは同じように鋼鉄であるか?


 違うだろう。その可能性を信じて行動すれば、仮にそうだという決定をして攻撃をすれば、或いは――――。


『……お遊びはコレで終わりだ』


 静かな口調で放たれた音声は、少年へと、籠る聞き取り難い声になって耳に届いた。





「最早戯れなど興醒めた。これより拒絶者キャンセラーは目標の殲滅に活動を移行する。貴様ら、覚悟はいいか?」


 やがて目の大きさも正常に戻り、彼は静かに、だが確かな怒気を孕む口調で声を発した。


 平和を培う会らは皆確かな戦慄を覚え、同時にそれを阻止すべく魔族の前へと躍り出る一つの影が現れた。


「だったらその前に殺す!」


 素早く彼の前に駆け出したソレは、魔族が何の反応を見せないことをいい事に、その勢いのまま上方向から袈裟に剣を振り下ろした――――瞬間。


 不意にその男の首は、胴体から斬り離されて、


「無駄よ」


 静かな発声の後、男の剣が魔族の肌に触れる直前で止まって、また少しすると首の切断面からは噴水のように血が噴出した。


「あああぁぁぁっ!?」


 思わず誰かが発狂する。


 だがそいつは失策だ。魔族は小さく呟くと、瞬時に悲鳴は感染し、辺りの混乱は戦場を体験せぬが故に留まる事を知らぬようだった。


 紅い雨。鉄の味が口の中一杯に広がり、やがて人型の噴水は身体に寄りかかってくるので、魔族はそれを蹴り飛ばして、集団となって騒ぐ彼らへと身体を向けた。


 ――――今まで、何とかなると考えていた人間共なのだろう。だが今仲間が呆気なく一人死んで、どうにもならないのかもしれない、という気持ちが爆発的に膨張したのだ。


 そして騒いだ。


 だから喚いた。


 そうしたところで意味もなく――――今こうしてしっかりと拒絶者キャンセラーの動向を窺っている数名が正しく、唯一生き残れるかもしれない行動だとも知らずに。


 けたたましく騒ぎ立てるだけで逃げる事も襲い掛かる事も出来ずに居る少年等約三○名を、流石にやかましく鬱陶しく感じたのだろう。魔族は強く歯をかみ締めると、胸に寄せた腕で風を切り、背後の建物へと握り締めた拳を叩き付けた。


 途端に全てを凌駕する轟音が当たりに響き渡った。


 衝撃が大気を振動させて、そのやかましさは徐々に収束へと向かい――――拳が直撃した箇所は陥没し、広がる亀裂は建物の壁と言う壁へと走り回った。


「死にたいのは勝手だが、あまり失望させてもらっては困るな」


 ピキピキと壁が音を鳴らす。


 人間たちは一様に言葉を飲み込んだ。


 ――――肌にぽつりと、水滴が落ちてきた。


 彼らの瞳には既に気力は無く、諦めにも似た一体感が辺りを包み始めていた。まるで天候そのものだと、拒絶者キャンセラーは思うと同時に駆け出した。


「皆、ここは拙者に――」


 そしてそれとほぼ同じに、刀を構えるワイシャツ姿の男が前方に現れる。が、


「――任せるで」


 魔族は彼が言い終えるよりも早くその横を素通りして、今正に逃げようと背を向けたばかりの青年の頭を掴み――――握りつぶした。


 悲鳴が喉から漏れるいとまも無いままに、果物を潰したように脳漿があたりに飛び散った。生々しい朱色が辺りの色を染めていき、手に残る気持ちの悪い感触を投げ捨てながら、魔族は次の得物を狙う。


 また、他者の悲鳴が辺りを騒がした。





 不意に壁にヒビが入ったかと思うと、外から悲鳴がけたたましく響き渡った。そしてまた、生々しい、何かを潰す音が聞こえた。それは聞き間違いなどではないと、少年は歯をかみ締め悔しさを味わった。


 下手な動きを、不用意に言葉を漏らさなければ奴は反応しなかった。硬直状態は、恐らく今も続いていた事だろう。


 もしそうすれば何かしら突破口が見つかるはずだった。仮にそうなったとしたら、誰も被害を出さずにこの戦闘を終えることが出来ていたのかもしれない。


 ……本当にそうか? 


 少年はふと、自分を戒める中で歪む自分を発見した。


 相手は魔族だ。しかもいつでも捻り潰せる命で遊ぶほど腐った魔族だ。そんな奴が、何か――――少しでも自分に敵うかもしれない敵が近づく中で、それに気付けない筈が無い。だからすぐさまに、ソレを知覚した途端に殺戮モードへと自分を切り替えるだろう。


 だとすれば、状況は今と変わらない。ただ少しばかり、時間が早まっただけだ。


『仲間を壁にするとは考えたな人間!』


 咆哮とほぼ同類の叫びが響く。その直後に、全てを掻き消す建物の崩壊音が全身を震わせた。


 腹の其処に響くような超振動。大地が激震して、まるで地面が割れて中から何かが出てくるような地震と――――ここに居る事は生産的ではないとの結論から、少年は自分の未熟な回復魔法で出血を止めただけの首を押さえて外へと駆け出した。





「馬鹿野郎ッ! こんな派手な演出は求めてねーんだよッ!」


 誰かの、恐れも知らぬ悪態が耳に届いた。


 商店から外、つまり大通りへと出ると、正面よりやや中央広場よりの建物が完全崩壊し、周囲を巻き込んだ大災害を起こした現場があった。


 其処は煙が上がり、一体何がどうなっているのか判別が付けられない。少年はそれを見てすぐさま逆方向に首を向けると――――正門前は紅かった。


 ただ咄嗟に認識できたのは、それだけだった。


「っせーんだよさっさと降りろよ! 重いんだよ死ねッ!」


「それは瓦礫だぞ」


 誰に話してんだ? なんて呆れた声で相棒らしきソレに言うと、やがてソレは煙を突き破って姿を現わした。


 ――――平和を培う会の生き残りは既に、半数以下へと低下していた。


 首が無いモノ、腕が無いモノ、腹が無いモノ、原型が無いモノ――――すべてが血生臭い残骸へと変わり果てていた。あまりに現実離れしている状況に、少年はあまりそれが猟奇的グロテスクだと認識する事が出来なかった。


 作り物なのでは? これは幻覚の一種、夢なのでは? とかいう逃避行動ではなく、素直に実感が湧かなかった。それはあまりにも、現実的ではなかったのだ。


 ――――雨が数滴、髪に降りかかった。


「オイオイ、穏やかじゃないねぇ」


 ――――それは人間の衣服を身に着けていたのだが、致命的なまでに似合っていなかった。


 その凡ては時代遅れ的な風貌であり、指まで包帯をして何かを隠そうとしている努力が見えるのだが、顔は丸出しである事が、その全てを台無しにしているらしい。


 その姿はまるで、首から上だけを魔族の首に挿げ替えたような格好だった。


「……誰だ、貴様」


 相対されて口を開くのは拒絶者キャンセラー。血に塗れた漆黒の手でまだ暖かい心臓を掴みながら、息絶えた死体の頭を踏み潰し彼は振り返って聞いていた。


「魔王様の思惑通り"おびき寄せられた者"だけどよ……、お前、馬鹿じゃねぇか? 人質ってのは生きてるから意味があるんだよ。生きてるから、死なせ無い様にするために対象は行動を制限されるんだ。ま、たった十人ちょっとじゃ他にも腐るほど人間が居るからよ、こんな少しの"被害"は問題ない。お前はそう考えたんだろ?」


 どうせ何も考えていないだろうがね。


 彼は必ず要らぬ一言を付け加えた。


 人間に扮装する彼は自分のペースで歩み進めながら言葉を、続ける。拒絶者キャンセラーは言われて思い出した命令に、はっと眼を見開いて、手にする全てを投げ捨てた。


「だが手を出した。生き残りが居ようと居まいと、俺にとっちゃそれが引き金だ。なぁ、知ってるか――――俺ァよ、弱い者苛めっつーのが大嫌いなんだよ」


「知った事か、貴様の事なぞ」


「だからこれから俺がすることで俺は、この世の誰よりも俺自身が大嫌いになる」


「オレオレやかましい。玉転がしでもしていろ」


 ――――その場に居る誰も、ただソレを見守る事しか出来ない。


 誰が見ても、そこだけ空間が違って見えるのだ。明らかな、自身らとの実力差が威圧として感じられるのだ。


 今すぐこの場から退かなければならない。そういった考えが専攻するにも関わらず、殆どのものが腰を抜かし、唯一立っている数名の――――自由学園風紀委員の四名も、まるで足裏から根が張ったように動けなかった。


 そうしている間に、拒絶者はハイドと、ハイドは拒絶者と、相対する。それぞれの射程距離内へと新入し、彼らは立ち止まった。


「先に入っておくが、貴様の攻撃の一切はこの拒絶者キャンセラーには届――」


 間髪入れずに弾き出た拳は、さながら一筋の閃光の如く打ち出され、時間という概念を忘れさせるほどの素早さで拒絶者キャンセラーの顔面を穿ち抜く。


 言葉が途切れる。拳が遮った。


 時が俄かに遅くなったと思うと――――直後、急加速を迎えた拒絶者キャンセラーは地面と平行に宙を滑った。


 そして鉄砲玉と化すその身体は、都市の内壁に衝突する。爆発音じみた音が壁を打ち壊し、其処に新たな出入り口を作り出していた。


 空気が震えて、衝撃が大地を打ち鳴らす。今日で何度目になるか定かではないが、少年はそれがきっかけとなって動く事が可能となった。


「あーやだやだ、抵抗できない奴を一方的にいたぶるってのは」


 ――――特殊能力などは最早関係が無い。その速度は、拒絶者キャンセラーがいつでも能力を発動できる条件を満たしていても、発動する時間を置かせない速さである。故に、相手がどんな能力を持っていようとも問題は無い。


 互いの射程距離に入った時点で、利はハイドにあった。そう言っても過言ではないが、少なくともハイドは今の一撃で終えたとは思っていないようである。そういった思慮があるからこそ、今まで彼に敵った者は居ないといわれている。


 少年は彼の人間としての格好、そして魔族としての種族を見て、ふとノートリアスの言葉を脳裏に蘇らせた。


 ――都市伝説って、信じるかい?


 彼は信じた。


 素直に首を上下に振った。


 肯定した。


 妄信した。


 尊敬した。


 見も知らぬその存在を、まるで昔から居た英雄のように信仰した。だから身近な人間に、ちょっとした自慢のように言いふらした。


 だが皆は信じなかった。助けてもらったという事実が確かにあるのにも関わらず、他者は皆『似た格好をする別人』だとのたまったのだ。同人集団が自己満足の為にそうしているのだと、述べていた。


 だから少年は、俄かに彼の存在に自信を無くしていたのだが――――。


 壁の崩壊が落ち着くと、辺りは静寂に包まれた。


 ――――雨が、降り始めた。

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