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2 ――列車内――

 時間は遡り――――学園都市が襲撃にあう数時間前。


 "彼ら"は貿易都市ハクシジーキルより出発した列車の貸切車両の座席、中ほどの位置に腰をかけ、『対象』と向かい合う形で対面していた。


「――――えぇ、今の時代では、名字が後に来るんですよ。倭皇国を除いて」


 緊張を孕む空間であるが、席に横並びに座る内の一人――――第一騎士団隊長の青年はそれも気にしないように話を続けていた。


 相手は表情が見えない格好。暑くなる季節で、さらに今日はとりわけ暑い一日だというのに、長袖長ズボンを身に付け、さらに火傷を患っているのか、指先まで執拗に包帯を巻いていた。そして顔にはスカーフのようなモノを巻きつけ、頭部付近には角をつけている様にそのスカーフが盛り上がっている。


 彼の隣に座る、第二騎士団隊長の少女はそれが気になって仕方が無かった。


 皇帝レイド=アローンから申し遣わされたのは彼を帝国まで連れて来るように、である。


 しかし彼は、その"人物"の特徴を聞いても服装しか答えず、また場所も心当たりがある場所も含めて言って貰えれば任務もより手早く済むというのに、ただ漠然と『王都ロンハイド』と『貿易都市ハクシジーキル』の中間付近に居る、とだけしか伝えなかった。


 あんな何も無いところに、人が目的も無くずっといるとも考えられないし、どちらにしろ、確実にそこに居る、なんて保証は何処にも無かったのだが――――その目的は迅速に遂行された。


 それはつまり、彼が言われたとおりの服装で、言われたとおりの場所に居たという事を意味していた。また何故レイドがそれを確実だと自信を持って言えたのか、彼女には定かではない。


「つーことは、俺は昔、およそ先進的な名前の呼ばれ方をされていたわけだ」


 彼、ハイド=ジャンはその昔、冗談で何度も――テンメイに喰われた友人に――ジャン=ハイドと呼ばれたのを思い出した。


 ――――懐かしい思い出だ。あの時は全てに自信が無かった。だが力はあった。あと少しで、アイツを負かす事くらいは出来たはずだが……結局勝ち逃げされたし、テンメイを殺せても、一度として勝てたことは無い。


 まだ俺に力が足りないと言う事か? いや――――あぁ、その通りだろう。負ける、と言う事は少なくとも実力差があると言う事だ。今、目の前に居るこの未熟なガキ供を護る力はあるだろうか。


 ――――何も無く、だだっ広い海原が広がる景色。水平線と、水面に移る太陽だけが風景の全てだった。


 列車は揺れず安定した速度を保っている。西と東の大陸を分かつ広い海を渡るにはおよそ一日掛かるらしいが、これならばもっと早くつきそうだと彼は感じた。


 開け放された窓から強風が入り込む。だがきっちりと縛り付けられたスカーフはずれることすら許されては居ないようになびく事すらしなかった。


 貸切車両は十二車両編成の頭付近、その三つめに存在しているのだが、その乗客は三人のみ。がらりと空いた席が目立つ、というより、そこに座る彼らが良く目立っていた。最も、目立つとは言うものの、それを目立っていると感じるべき人間はその場には居ないのだが。


 その座席の、通路側に座る青年は楽しげに頬を綻ばせているものの、窓の外を眺めて動かない少女のほうはなにやらつまらなそうな――――何か、疑惑を抱いている、というように、物事を考える際にほかの事に意識が行かず、自然となっている無表情のままであった。


 ハイドは自分の事を何かしら怪しいと感じられているのだろうと考えながら、本当に自分があの場を離れて来てよかったものか、考えた。


 ――――人間は昔よりも、その戦闘能力が弱化している傾向にある。今世界的に有名とされている実力者といっても、魔王が警戒するほどではないのだ。


 最も、弱化するといっても実力が付きにくいだけであり、その本来人間が持つべき潜在能力は十分に含まれている。だからそう心配する事もないのだが……。


 しかしハイドの代わりに後を継いだのは――――人間には変わりが無いようであったが、しかし"ただ"の人間とは若干雰囲気の異なる存在であった。


 人数は五人。中々の実力者らしい風貌であり、レイドが選んだ、と言う事もあって彼はそこを離れたのだ。


 ――――その昔、脳の制御装置を薬物投入によって緩め、人間の出せる力を全て発揮できる人間が居た。そしてまた、魔族じみた特殊能力を持つ人間も居た。


 あれから二○○年間ずっと魔族を研究し続けた都市があり、帝国があるのだ。なにかしら、結果が出ても良いものだと思った時に、そんな違和感を持つ人間たちが魔族が襲ってくるかもしれないという場所に投入された。


 これをきな臭いといわずになんと言おうか。


「――――ところで、レイド様とは何か……旧知の仲なのですか?」


「……あー、まぁ、な」


 不意の質問にハイドは歯切れ悪く口を開く。それはそもそも、レイドの事が嫌いなのだから仕方の無いことである。


 かといって、わざわざ彼の部下の前でソレを語っても意味が無く、かえって惨めに思えてきてしまうので、彼はとりあえずそう肯定しておいた。


「へぇー、それじゃあ、仲良しなんですね!」


「一概にそうとも言い切れないんじゃあないかしら?」


 そしてまた突然、今度は思案をしていて話を聞いていなかったように見えた少女が口を挟む。薄い蒼色の髪が振り向く事によってより目立ち、隣に座る青年は清潔さを持つ短髪を逆立たせて注意した。


「そういう言い方は良くないんじゃあない?」


「でも、事実じゃない」


 確かに。


 ハイドは思わず頷きかけたが、それを逸らして窓の外を眺めた。


 外の世界は酷く穏やかである。懐かしい、一度だけ船に乗って、いけ好かない獣人野郎に船酔いを馬鹿にされた記憶があるが、彼は生きているだろうか。獣人の寿命は、他より長いだろうが、流石に二○○年も保たないだろうか。


 ――――そう考える中、なにやら頭上で鈍い音がした。


 何かがぶつかるような――――否、それよりももっと重量のある何かが"落ちてきた"ような……。


「……踏みしめた、が正解だな」


 常より思考が若干鈍い。


 この空間に浄化されてしまったのか? だが、今のでようやく『目が覚めた』。久しぶりに入ったと思った自分の殻を、これほど早く破るとは思わなかった。


 目が覚めたまま見る夢は果たして醒めたのだ。今目の前にする彼らと出会い、この一時間と少しばかりはぬるま湯に浸かっていた。できれば、もう少し長くこの感覚を味わいたいと思っていたが……。


「……今、何か言いました?」


 ――――両名の注目がハイドに向いた。


 彼は軽く首を振って席を立つ。膝を引っ込める青年の心遣いに軽く手を挙げて、その通路の真ん中辺りに立つと――――。


 その黒い鉄製の天井から、まず始めに『黒い指』が生えてきた。


 それは注視しなければ分からぬほど異様な光景で、指であると理解できてもなぜそんな状況であるのかまで認識する事は出来ないだろう。


 だがハイドは、まるで最初からそれがそうすると分かっていたかのようにソレを見上げていた。


 そして腕、肩、とまるで底なし沼に飲み込まれる緩慢さ、だがふと目を逸らせばあっという間に侵入してきている速度でこの車両内に入ってきて――――それは一分と経たずに、静かに床へと降り立った。


 割合に大きな体躯は、だがしかし軽やかな動作で床に鈍い振動を与える。まだ飲み込まれきっていない指先を支点の様に身体を支えさせ、華麗にその場に跪くように現れた。


 そいつは物体をすり抜けてそこへとやってきたのだ。それを考えれば恐ろしく汎用性が高そうであり、厄介な敵であろうと思われる存在であるが――――その魔族の額には二本の角があり、片方はその半ばで折れていた。


 ――――勇敢な青年は既に腰から剣を抜いており、少女の前に立ちはだかっている。彼はソレを見るなり表情に笑みを浮かべてハイドを指差し悪戯に、口を開いた。


「んん? 貴様はコイツを護衛しているのだろう? だったら何故――――仲間を護っている。貴様の目的はなんだ? ここまでしてこいつを連れ出そうとしているのに、何故コイツの命を蔑ろにするのだ?」


 「わからんな」――――そう吐き捨てるように言って、一瞬にしてその剣の刀身を、力強く握った。


 「危ないぞ」――――妖しい笑みは青年に恐怖を与え、同時にそれはハイドの蹴りを受ける羽目となる。


「お前がな」


 魔族は短く唸りながら剣を手放し、横腹を押さえながら腹を直角に折り、手近な椅子によろよろと腰掛けてうな垂れた。


 青年等は状況の把握が未だ出来ていない。ソレを確認してから、ハイドはその魔族の傍らに立ち、小声で紡がれる言葉に耳を傾けた。


「これ自体は罠ではない。が、向こうで確実に仕掛けてくるだろう。魔王やつは大層ご立腹だ。お前の居るあそこで仕掛けてこなかった理由は……わからんが――――」


「俺があそこにいるからだよ……多分、だがな。少なくともプライドが高そうな奴だから、自分が先に居て、相手に驚いて欲しいんだろ――――それはそうとテンメイ、今のは?」


 神妙な顔でやりとりをする中でハイドが聞くと、テンメイと呼ばれた魔族は顔を輝かせて指を鳴らした。


 よくぞ聞いてくれた。そんな風な顔で言葉を返した。


「数年前に喰った魔族の能力ちからが今頃になって使えるようになった。――――多分、能力自体はその際にこの体内に吸収されたんだが、その力が扱えていた身体は消えたからな。恐らく、この身体にはその能力が『対応』していなかったんじゃあないかと思う。だが今回ので、魔王の魔力に、この身体の奥底に眠っていた能力が反応したんだ。そうしたらどうだ、能力が持ち主であるとこの身体を誤認し、使えるようになった。というわけよ」


 元々は一体に一つずつ与えられた能力である。テンメイのように、人間を喰う事で、その人間が覚えていた魔法、魔術が扱えるだなんて規格外な事が出来ても、それは一つの能力による事でしかないのだ。


 そして何故一つずつなのか、というと――――多分、一つずつが『限界』だったのだろう。


 彼は魔族を喰う事でその魔力や力は今までどおり手に入った。だが能力だけは、そうは行かなかったらしいが、魔王が復活すると使えるようになった。


 これは能力を使用する際に生じる脳内での処理が限界、というわけではないらしいと言う事を意味している。


 では何が『限界』なのか。果たして、能力が一つという決まりは『限界』故なのだろうか――――。


 これは推測でしかないが、恐らく魔王による『縛り』なのかも知れない。


 いくつも能力を与える事は簡単である。だがあまりに与えすぎて強くなりすぎ、下克上でもされたら一大事なのだ。


 そしてまた――――。


「もう嗅ぎ付けたか」


 そういったハイドの思考は彼の言葉に遮られた。


 ――――そしてその数分後、その列車は凄まじい衝撃と、乗客の阿鼻叫喚に包まれる事となる。

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