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2 ――勧誘――

「うん、明日か明後日にはお見舞いに行くから」


『別にいーって。今日一日検査したら土曜には帰れるみたいだし。医者に言われたよ。転んだ言い訳をするのはわかるが、流石に殴られて壁に叩きつけられたってのはないだろってさ』


 鋼の肉体とはこの事を言うのだろうか。少なくとも誰がどう見ても、肋骨が折れて内臓に突き刺さり、さらに内臓破裂、といった重傷でもなんらおかしくは無い感じであったのに。


『だからさ、まぁ板書を俺の分まで取ってもらうのは悪いかも知れねーけど。その礼は退院してから……。もう消灯の時間だから切るぞ』


「あ、うん。それじゃ、大往生して」


『勝手に殺すな。んじゃ』


 まだカーテンを閉めていない窓の外は暗く、すっかり夜の雰囲気を出していた。


 学校帰りに直接見舞いに行こうと考えた少年であるが、何処の病院に搬送されたか分からない為行き様が無かったし、そもそも上級生に捕まった所為で学校を出ると既に西の空は紅く染まっていたのである。


 仕方無しに帰宅して――――彼は着替えるなりに直ぐベッドに横たわった。するとそう時間を要さずに瞼は重くなり……。


 目を覚ますと部屋の中は真っ暗で、時刻は二○時。それから入浴したり、食堂が閉まっているので仕方なく簡単な食事で済ませてから、ロランへ、緑髪の先輩の連絡ついでに電話したのだ。


 それも終えると時刻は二一時を回っていた。


 寄宿舎は一人一部屋の割り当てであり、部屋の構造はワンルームにトイレバス付きである。


 だからベッドから起き上がり数歩行くと直ぐにテーブルであり、壁際にテレビが備え付けられている。


 全ては備え付けの家具ばかりであるが、服を入れるクローゼットや本を納める棚などはガラガラ過ぎて見るに堪えない。


 そもそも少年の荷物が少なかったのだ。持ってくるものを最小限にした、というわけではなく。そもそもの手持ちが。


 だから暇を持て余す。


 やることが致命的なまでに無いのだ。


 趣味という趣味も無く。


 娯楽という娯楽も持ち合わせない。


 今までどうやって暇を潰してきたか、なんて事も思い出せない。ただテレビをつけて、頭の中を空にしているだけなのだ。


 そうして彼は、いつものように空想に入り浸る。


 自分の頭の中だけならば、どれほどご都合的に強くなって活躍しようとも自由だから。


 イメージするのは常に最強の自分。


 体調が良くなっている彼は、すらすらと圧倒的に強い敵をなぎ倒し――――不意に、ぶぶぶと、振動する携帯電話は彼を現実に引き込んだ。否、呼び戻した、というのが正確だろう。


 机に振動し音を鳴らす携帯電話を開いて見ると、メールを受信したようだった。またロランかな、なんて思ってあけるとソレは予想外の人物であった。


 『レイド・アローン』。電子手紙メールの差出人の名前を、携帯電話はそう表示していた。


 あの時――――別れ際に、『無条件で忘れてもらうのは悪いから』との理由で連絡先を交換したのだ。何故か、少年一人だけ。勿論代表としてなのだろうが、なぜ自分なのだろうかと不思議に思っていた。


 仮にも一国の王である。金でうやむやにすることさえ出来るはずなのに、わざわざこうする事には何か意味があるのだろうか。いや、ただ律儀なだけだろう。簡単に思考を終わらせて、少年は恐る恐る、メールを開いてみた。


『気づいていると思うが後任の教員は君たちの事情を知っている。あの学園の身内ではなく、私の身内だ。だから極力君たちの手助けをするよう善処する。それと、ローラン・ハーヴェストの話だが、彼は予想以上に力の使い方が上手いようで、無傷に近い。彼は無理して隠しているのではないので安心しろ。何か欲が出たら連絡してくれ』


 ざっと内容はこんなものである。


 なんでも無いように書いているのだが――――後任の担任せんせいが彼の関係者だったと、今知れた。驚くべき事実である。だからあんな、蔑むような、試すような視線を投げたのだと、彼は即座に理解した。


 自分をレベル五のザコだと理解している目だった。今思えば、そんな雰囲気だったような気もしてくるが、自分の脳ほど都合よく改変される記憶媒体は無いので、恐らく気のせいだろう。


 驚いたと言っても、ただどきっとした程度なので、少年のリアクションはそう大きくは無く、彼は携帯を閉じるとベッドに投げ、そのまま玄関近くにある照明のスイッチをオフにした。


 辺りは一瞬にして全てを暗き闇に飲み込まれた。


 瞬く間に静けさに包み込まれて、彼はゆっくりとベッドへ歩く。そうして強く弾むスプリングを持つそれへと飛び込んで、布団の中に潜り込んだ。


 ――――明日も先輩が来たらどう受け流そうか。


 少年はそれだけを考えながら、起きたばかりだというのに再び就寝した。





「――――ねん、起き給え。もう六時も……」


 そして大した夢も見ず、ただ意識を失って一瞬後、というような感覚で少年は意識を覚醒し始めた。


 身体は人の手によって力強く揺す振られ、魔法の詠唱か経でも唱えているのか、頭に入ってこない言葉はやかましく耳元で呟かれ続けた。


「少年、起きろと言っている。もう六時も五分が経過した。少年、起きろと――――」


 こんなアラームはあっただろうか。携帯電話の目覚まし機能でもこんな声はなかったし、台詞も聞いた覚えは無い。


「ふむ、予想外につまらない部屋だなぁ。何もないじゃないか。人質、否、物質ものじちを取る事すらできない」


 不意に台詞が変わった。何か、つまらなくなったように息を吐く声が耳に届いた。機械的な音声? ――――違う、これは明らかな肉声で……。


 少年は次第に明確になってくる意識の中、うっすらと目を開けてみると――――そこには、見覚えのある緑色が。それは落ち着きが無くそわそわと動いて、やがて止まった。


「あ、やっと起きたね少年A。もう六分も待たされた。君はどれだけ寝潰せば気が済むんだい?」


「……何やってるんですか」


 彼は――――見覚えがあるはずである。聞き覚えが無くてはおかしいのだ。


 その緑の頭をする男は少年より二つ三つ年上の上級生であり、また昨日、実力が圧倒的に及ばないのに風紀委員に勧誘した張本人である。


 彼に限り、良い予感は感じない。そもそも、ある種の変人なのだ。関わっていいことは無いだろう。


 そもそも――――この部屋は登録者の魔力にしか反応しない、特別製の鍵を使用している。それ以外に開ける方法は、この施錠システムを司る管理室に行き、直接コンピュータから開錠の命令を入力しなければならないはずである。


 この男に、そんな事が出来るまでの権力は無いだろう。いくら風紀委員だといっても、一委員だ。そこに所属しているだけで誰でも出来るのならば、プライベートも何もあったものではないのだが……。


「宿長に頼んだら開けてくれたよ」


「開けちゃダメだろ宿長」


「少年、今宿長は関係ないだろう」


「いや、大有りじゃないですか。今何の話してたか覚えてます?」


「宿長が鍵を開けてくれたという話かな」


「開けちゃダメだよ宿長」


 何の因果で――――よりにもよって一番会いたくなかった人間に起こしてもらわなければならないのだろうか。朝っぱらから汗だくになる少年は時計を見ると、時刻はまだ六時を過ぎたばかりであった。


 まだ一時間以上眠れるが、この状況で呑気に眠れるはずも無く、既に眠気もぶっ飛んでいる。少年は仕方なくベッドから起き上がって、彼を席へと促した。


 少年はその間に、冷蔵庫からボトルに入った清涼飲料水を手にし、台所で軽く口をゆすいでから彼自身も席に着く。


「昨日とは様変わりだね。その元気さ」


「もし先輩が僕に起こされたら、どう思いますか?」


「気分が悪い」


「いや、まぁ……。そんな感じですよ、今。――――後、僕の事を少年って呼ばないで下さいよ。僕にはちゃんと名前が……」


 少年の言葉も聴いているのか居ないのか。彼は差し出された清涼飲料水ジュースのキャップを開け、遠慮なしにぐびぐびと喉を鳴らして呑み始めた。最も、差し出したのだから遠慮も何も、気にされたら逆に困ってしまうのだが。


 そうして彼はその内容量を半分以下に減らして、大きく息を吐いてから口を開いた。


「わかった。ならあだ名を付けよう」


 少年は肩を落とす。彼はどうやら、彼が目的とする話の筋に触れない限りまともな会話は望めないらしい。そうして、仕方なく、それについて言葉を発そうとすると、


「少年だから、ショウかネンだな。個人的には統合してショウカネンで良いと思うが」


「嫌ですよ、すごい昇華しそうな名前じゃないですか」


「だったらショウだね。すごいありそうな名前だ」


「いやだから――――」


「ボクは君のあだ名を決めに来たわけじゃあないんだよショウ君。話を聞いてくれるかな?」


 最早彼のペースに巻き込まれ、流れに身を任せるしかないのだ。少年改めショウはそうしてうな垂れて、どうぞと、力なく促した。


「うん」


 彼は嬉しそうに目を細めて薄い笑みを浮かべた。それから、いつの間にかテーブルの下にあったカバンを、彼はがさごそとまさぐりはじめて、それから一枚の紙と筆記用具をその上に出した。さっと、滑らすように紙は少年の許へと流れて、彼は続けた。


「時間に余裕を持って来たのは君にこのテストを受けてもらいたいからだよ」


 少年は緑頭の言葉を聴きながら、そのテスト用紙に視線を落とす。それは問題と答案が一体となっている物で、内容は文章を読めば答えが分かるような計算と、ちょっとした心理テストのようなものだった。


「こんな朝から来たのは、なるべく自然に直感で答えられるような環境が欲しかったから……、もう初めていいよ」


「あ、はい」


 何か試されているのは間違いないだろう。恐らく、風紀委員に入れるなどという以前の問題で、何か――――自分の根本的な部分を計るような。


 しかし少年は素直に問題を解き始める。ちゃんとした学園で勉強を始めて早一ヶ月と少し。この程度の問題ならば簡単であり、造作も無い。


 だから――――十分と少しが経過した頃、少年の問題を解く手は止まった。それは終えたと判断して良いものだった。


「もう良いかい?」


「えぇ、はい」


 彼はなにかが嬉しそうにニヤニヤとそれを手に取り、目の高さまで上げると突然――――それを二枚に裂いた。


 真っ二つに千切ったという事ではなく、二枚重ねのティッシュを分かつような、そんな風に紙を綺麗に分かれさせると――――何故だかテスト用紙の裏の一部分は黒く、そして剥がした方の紙の表面にも、なにやら文字が書いてあって……。


「あっ!」


 少年はその時にようやく気がついた。


 男は少年の声に満面の笑顔を作って、テスト用紙だけを彼に返し、席を立って、剥がした方の紙をぴらぴらとそよがした。


「風紀委員、入会おめでとう! 君もボクらの仲間だよ!」


 全ては――――あのテストは無駄だったのだ。いや、全てではない。名前記入欄に名前を書かせることだけが本当の目的だったのだ。


 テスト用紙は元々二枚重ねで接着させられていた。そしてテスト用紙の名前欄の裏にはカーボン紙を貼り付け、そして次に『入会届け』を貼り付ける。


 そして後は名前を書き終えるのを待つだけだ。


 朝早くに来たのは、時間がどうの、直感がこうのという理由ではない。鋭くこの仕組みに気づく可能性を極限までに下げるために、寝起きという頭の働かない時間を狙ったのだ。


 それは彼が、少年の事をひどく聡い人間だと勘違いしているからである。迷惑も甚だしい。


 男は嬉しかったのではない。なんの疑いも持たず、蛇足であるテストに真面目に取り組む少年が滑稽で、自分の計画が思い通りに進む事が楽しくて仕方が無かったのだ。


 なんたる屈辱だろうか。


 落とす視線を上げると、彼は既に入会届けをクリアケースに仕舞いこみ、カバンの中に入れ終えたところだった。


 力の無い少年にはどうすることもなく、ただ阿呆の子のように、誰でも解ける簡単な問題を自信満々に解いた自分を悔やむ事しか出来なかった。


「ま、他の委員の兼業も認めてるから気軽に来てよ。生徒会直属だから、君と仲の良いシズちゃんとも殆ど一緒のようなものだしさ」


「シズちゃん……?」


「シズクちゃんだよ。アカツキシズク。仲良くなかったっけ?」


 もうそんなところまで調査済みか。少年はテーブルの上に伏せて――――男の講釈を上の空で聞いていた。そんな彼は、結局少年と寄宿舎を後にするのだった。

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