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ACT2.『魔王、空に知ろしめす』

 春も過ぎたとはまだ言いがたい五月中旬。枕の上の台部分に鎮座する目覚まし時計は七時三○分を指し、少年は低く唸りながらベッドから抜け出した。


 魔王やレイド達などの強大すぎる魔力に身体が驚いて、当てられてしまったらしく身体の調子が芳しくない。頭の中で割れんばかりの脈動が頭痛を引き起こし、その結果酷い吐き気に襲われた。


 最も、シャロンが半身を失い内臓を撒き散らして倒れた姿なども衝撃的すぎた所為なのかもしれないが、少年には心当たりが多すぎて体調不良の原因がイマイチ分からずに居た。


「……ロランは大丈夫かな」


 顔を洗って、濡れる顔を鏡越しに見ながら呟いた。


 結局眠れなかった所為か、たった一夜睡眠を取らなかっただけで目の下にうっすらとクマが浮いている自分の貧弱さを鼻で笑い、少年は歯ブラシに歯磨き粉をチューブからひねり出した。


 既に終えかけているそれは両手で押し出してようやくスズメの涙程度を吐き出した。少年はそれを壁に提げてあるゴミ袋に入れて歯を磨き始める。


 先日の、濃縮された状況をさらに圧縮したような、自分には到底理解が追いつかない状況はどう終わりを見せたのか。少年は、ふと思い出してみた。





「……コイツは治しておいた。貴様の腕の傷も既に『義腕フェイクハンド』を無理矢理装着する事で塞がっているだろう」


 魔族は不敵に笑んだ後、迅速に行動をし――――普通なら扱えない、人間の魔法でシャロンの傷を塞いで見せた。


 そのお陰で失血死の可能性は失せたが、身体の消失の際に衝撃や痛みがあったかどうか分からないので、目を覚ますかは別問題だと言う。


 またレイドへと、そのテンメイと呼ばれた二本角の魔族は問うた。


「貴様の時の回帰、あれで年齢を若返らせるのだから、腕も治せんのかァ?」


「飽くまで身体の年齢を戻すだけだ。失った部分を元に戻したり、部分だけを活性化させるなんてことは出来ない……。私は神じゃあないんでね」


「そう考えると、やはり野郎は恐ろしいな。何らかのエネルギー体を吸収すれば肉体は成長する。この点はこの我に酷似しているし――――あの触手は遠隔操作も出来てさらに機密動作だ。シャロンの馬鹿力も防ぐ程、と」


「だがあの速度には追いついていなかった」


「次合う時にはそれも考慮した作戦を立てるだろうが――――今回という、明らかに勝てるチャンスを失った貴様等は未来永劫勝てずに、一度倒した魔王に再び世界を乗っ取られる運命なのだ」


 魔族と人間が手を取り仲良く話し合う――――少年にとってその状況自体が異常すぎた上に、テンメイから出た言葉に耳を疑った。


 魔王と、彼は確かにそう言ったのだ。魔王は数百年も昔に『封印』されたと聞いた。そしてニュースではその封印が解けたなんて話は一切聞いていないし……。


 少年がただ呆然とし、シズクは疲労困憊した様子で呼吸を乱し始めているのを尻目に、テンメイの怒気を孕む言葉は続く。


「貴様は本来専門でもない剣を使い勝機を削がれ、シャロンは相手の能力に半ば気づいているのにもかかわらず油断した。全ては愚かな感情に左右された為だ。仮に、貴様等がその激昂やどうしようもない絶望において本来以上の力を出して敵を打ち倒す、なぞという至極都合の良い展開に移行できるのなら良いがな、”器ではないんだよ”。貴様等は」


 淡々と苛立ちを言葉に変換する――――本来人間と敵対すべきソレは、親切を不器用に表してしまう人間にも見えた。


 根本的な部分では何も違わないのではないか? 見た目や構成物質、構造以外で……つまり精神的な部分での人間との相違とはなんだろうか。少年はふと、疑問に思う。


 レイドは苦虫を噛み潰したように顔を歪めて俯くと――――テンメイは髪を掴みあげ、その顔を真っ直ぐ捉えた。レイドはそれでも気まずそうに目を逸らし、その仕草は悪さを起こられている子どものようにも思えるようだった。


「どれほど人間を喰えば、そんな人間じみた思考が出来るんだ……?」


 そう不意に、レイドは吐き棄てて――――テンメイは即座に口を開いた。


「一○八人、今は関係のない話だ。貴様が、かつて存在したパーティの頭脳だった貴様がそんな状態ではこの世界も終わりだな……。貴様がその命を、この時代まで長引かせている理由はなんだったか? 最も、今となってはもう関係の無い話か」


 乱暴に頭を離す。レイドは大きくよろけて地面に片膝を付き、テンメイは関係なしに背を向けた。


 小い舌打ちが背中越しに聞こえる。その背に生える大きな翼ははためき、強風を作り出して――――その身体は、次第に地面から離れていった。


「新たな勇者は新たな魔王と対になって生誕あらわれる。今回は恩返しに助けてやったが、今この時代に於いて野郎と渡り合えるのは貴様等だけだと肝に銘じておけェ!」


 かつて魔王の配下だったとほのめかせたテンメイは、強くそれを叫びながら――――心の底から心配するように何度も強調し、最後にそれを口にして、彼はやがて空の彼方の星になった。


 残されたレイドは一人立ち尽くし、シャロンに目を向け、背後の少年たちに身体を向け、そうして彼等に歩み寄った。


 少年は驚いて肩を震わせると、それが連鎖し、シズクが小さな悲鳴を漏らす。レイドはまるで純粋な心を持った醜い化け物が人間から不当な扱いを受けたような、戸惑った表情をして立ち止まった。


 そうしてポケットから、魔力を飛ばして会話をする、という魔法を簡易化した機械――――携帯電話を取り出して、どこかへと連絡を取った。


 彼は二、三何かを口にして、スライドでボタンが現れる、ディスプレイ部分が大きいソレを閉じてポケットにしまいこんだ。


 それからぎこちない笑顔で、


「諸君はこの学園の生徒だな? 今は一四時○八分だ。六時限目は参加したまえ。彼は私が責任持って病院へ送る。そして――――今見たことは、全て忘れてくれ」





 忘れられるはずがない。


 少年の心に強く出た言葉はそれだった。


 あれほどの事が起きて、親友が大変な目に合って。ロランは学園最強のレベルを持っているのに、そんな彼でさえ赤子扱いですらなかった。最早人形扱い、ヌイグルミ扱いかもしれないが、そんな事はどうでもいい。


 そんなものがほんの十数時間前までこの都市内に居て――――初めて見た、身内の圧倒的な強さが徹底的なまでに打ちのめされたのだ。


 最も、魔王は今現在そこまで力はつけては居ないらしい。全ては――――最悪な条件の下で相手の有利な戦い方をされた故である。


 しかも――――自分があんな、後を付けよう等といった愚かの最上級的行動を促す発言をしなければ、ロランは傷つかなかったかもしれない。シャロンだって油断せずに、最後まで慎重に行けたかもしれない。


 魔王はシャロンの接近に気づき、敢えてロランを”喰わず”に吹き飛ばしたのだ。怒りを最高潮のままに留めて、ギリギリ爆発しない程度で行動を起こさせるために。程よく――――理性を手放させるために。


 だから、全ては自分の所為なのかもしれない。こんな、魔力に当てられた、だなんてくだらない体調不良で被害者ぶろうたってそうはいかない。それは自分が、僕自身が許さない。


 少年は口をゆすぎ、顔をタオルで拭いて――――大きく深呼吸をし、心を落ち着かせてからその場を後にした。


 そうして――――またいつもの制服姿に着替えなおして、テレビをつける。テレビは朝と同じチャンネルに回っていて、今日も同じアナウンサーが淡々とニュースをカメラ目線で読み上げていた。


 息を付いて席に着くと――――昨日の朝テーブルの上に置き忘れたらしい携帯電話にはメールを受信していたらしく、脇のランプが点滅していた。


 誰だろう。そう思って少年は折りたたみ式の携帯電話を開き、メールを開く――――と、その主はローラン・ハーヴェストだった。


『怪我は無いけど様子見で一週間入院らしい』と、無題で、本文もたった一行の簡素な――――酷く分かりやすい内容。


 少年はなるほどと頷いて、返信はしないで携帯を上着の内ポケットにしまいこんだ。


 窓から漏れる陽は嫌なくらい穏やかで、思わず溜息が口から漏れた。


「すべて世は事もなし……か」


 平穏だが平穏ではない、妙な事に巻き込まれそうな予感を背筋に感じた少年は、身震いをして部屋を後にした。

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