プロローグ
「一度でも俺に勝てたことがあるのか?」
暗黒の雷が唸り地を焦がす。それは果たして焦げたのか、雷の色に染め上げられたのか定かではない。
人間の肢体を持つが人間でない生物であるそれは、皮膚を黒く染め、髪を生やさぬ頭には角が一本聳えるように生えていた。衣服を纏わぬその身体は、隆々と猛る筋肉に膨れていて、皮膚の下で胎動するように力を蓄えていた。
身体の周囲に魔力と呼ばれる――――精神力をエネルギー化させた力を纏い、それは彼の心中を表すかのように、本来無色透明であるその身をドス黒く染め上げていた。
「それは此方の台詞だ。貴様が一度でも、この我に勝てた例があったのか? それは確かな真実としてあるいは事実として実在しているのかァ?」
もう一方のそれも同じく暗黒の肉体を纏いし存在。筋肉量としては相対するソレに負けているものの、身体から常に垂れ流されている魔力の絶対量を目分で測るにあたり、それは明らかな差を見せ付けていた。
額に存在する二本の角の一方は半ばから折れており、それは軽くその断面を撫ぜながら言葉を続ける。
そこは孤島に存在する城の中。玉座の間であり、また、一本角の魔族と呼ばれる存在が、下克上の如く二本角へと牙を剥いている最中であった。
凄まい緊張が張り詰め、互いの威圧が、肌を叩く。
「だったら聞かせてもらうがな――――さんよ」
稲妻が窓の外で迸り、轟音を掻き鳴らす。言葉がソレによって掻き消されて、また暗黒の雷は城の中を映し出すことは無かった。
大気が震え、身体が震え、魂が震え。彼は酷く人間的に歯を食いしばり、自分を勢いづかせてから行動に出る。
一本角は強く拳を握ったまま腕を伸ばし、二本角へと差し向けた。
「お前、死ぬ覚悟はあるのか……?」
「死ぬ覚悟……?」
不意に問われた質問の意図が分からなかった。彼には、そもそも一本角という魔族が理解できない。
だが――――高々数年、あるいは十数年で終えると思った好敵手という関係が、何かの手違いか、数百年に伸びてしまった腐れ縁。別段、彼を見出し魅力を探し、そこを口にし褒め称える事はしないし、したくも無い。
二本角のそれは肩を揺らすように笑ってから――――牙の目立つ口を、得物の首筋を噛み切らんとする狼のように大きく開いて言葉を発した。
「死ぬ、だなどと云う言葉は久しく聴かぬがな、覚悟ならばあるぞ。覚悟だけ、だがなァ」
「あぁ。お前にゃソイツだけで十分だよ」
云いながらソレは腰を落とし、駆け出す準備態勢へと移る。全ての魔力が右の拳に集中し、また籠る力が全て下半身に集中する。
二本角はそれに対して構え、それが行動を起こすよりも早く叫んだ。
「出でよ焔獣我が下に」
二本角の眼前に、紅色の魔法陣が展開する。それは身の丈ほどの円形で、何重にもなる輪はその間隔に書き込まれている魔法文字によって構成されて――――それが高速度で音も無く回転すると間も無く、異空間から呼び寄せたように炎の獣は飛び出した。
轟と唸る炎は百獣の王を形作り、その大きさは一本角をゆうに飲み込む程であり、灼熱が獣の咆哮を代弁して、それは意思を持つように駆け出した。
「漆黒雷槌」
それとほぼ同時に床を蹴るソレは、拳を前方に突き出したまま駆け出した。
焔獣と呼ばれた炎の怪物を簡単に上回る速度は、故に、その次の瞬間に焔獣との正面衝突を果たさせる。
ぼふっと劫火は彼を包み込み、そして簡単に振り切られる。拳は獣に突き刺さり、身体は炎を切り裂いた。
その特攻は鋭いナイフよりもより鋭く素早く危険であり、その直後、拳を含む右腕全体に城の外と同じような黒い雷が迸って……。
「ハイド、お前は俺の……ッ!」
一瞬にして肉薄した一本角の拳は、ソレの腹へと喰らいこむ。肉が柔軟に拳を包み込み、骨は軋んでそのままへし折れた直後、迸る電撃は一点に集中し、放電した。
暗黒色のそれは拳の一番先で撃ち放たれて、腹を突き抜ける雷撃は巨大な穴を開け、また同時に正面の玉座ごと、壁を吹き飛ばしていった。
腹に穴が開き、腕はそこを通り抜ける。幾ら生命力逞しい魔族といえど死んだも同然、だというのに。
その腹は早くも傷が塞ぎ始めていて、同時に、一本角が行動を起こすよりも早く、抱きつき掛かった。
「一体何回死ねば気が済むんだッ!」
「残り十三回。だがお前は一度死ねば終わる。悲しいことだな。お前は俺の、唯一無二の好敵手だと言うのに」
残念だと嘆きながらその身体は眩い光を内から放ち、
「でも次は十二回だ。最も、お前に次は無いが」
その輝きは一瞬にして最上のモノとなって――――次の瞬間、光は島を覆い尽くし、一瞬だけ世界から姿を消した。




