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大天使様は断罪された悪役令嬢との婚姻を望まない~わたくし善行を積んだのは保身のためなので聖女と呼ばないでくださいませ!

作者: 江原里奈
掲載日:2024/06/11


1 断罪された悪役令嬢の事情


 ――ここは、いったいどこかしら?

 瞼をうっすら開けて見える、自分を取り巻く光景の不自然さに、真っ先にそう思った。

 支柱つきの清潔な寝台、肌に触れる柔らかなリネン、燭台から漂う蜜蝋と薔薇の香油が混じった匂い。

 そうしたもののすべてが、この部屋が貴族のものだと伝えてくる……おそらく、それなりに裕福な貴族の館だろう。

 それはさておき、なぜこんなところに寝かされているの?

 再び瞼を閉じて、これまでの経緯をゆっくりと思い起こしてみた。



 わたくしの名は、アリシア・ロンバルト――ネルシオン王国の屈指の名門貴族であるロンバルト侯爵家の一人娘だった。

 なぜ過去形かと言うと、わたくしは追放刑になると同時に貴族の身分を剥奪されたから。

 実の父から「家門の面汚しだ」と罵声を浴びせられ、獄中で勘当されたときの悲しみったらなかったわ。

 思えば、一晩にしてわたくしは多くのものを失った。

 王都の一等地にある美しい屋敷、恭しくかしずく使用人たち、高価な宝飾品や百着以上ある色とりどりのドレス、侯爵令嬢という肩書き……そして、何より未来の王太子と呼び声高い、ネルシオン王国の第一王子カーライル殿下の婚約者という輝かしい地位を。

 

 

 わたくしの不運の始まりは、あの女狐……リアナ・レビオットが聖女になった時期に遡る。

 リアナの趣味は慈善活動のためのお菓子作りと刺繍。お茶会などの社交活動より教会通いを熱心に行う、という男爵令嬢だった。

 そんな変わり者など、気にするまでもなかった……何をどう間違ったのか、突然に教皇庁が彼女を聖女に任命するまでは。

 この大陸に聖女が現れたことはあるけれど、ネルシオン王国では初めてだ。

 国王陛下を始めとする王族の方々は、聖女の称号を得たリアナをまるで教皇庁からの貴賓のように丁重に扱うようになった。

 それまでリアナは、まるっきり目立たない地味な令嬢だったのに、一瞬で国王陛下に比肩する華々しい存在になったから大変!

 王族に取り入りたい貴族や平民の金持ちが、毎日のようにリアナに貢ぎ物を送って、彼女のご機嫌を窺うようになったの。

 周囲の視線が変われば、自ずとリアナも変わってくる。

 どうやら、彼女はカーライル殿下に一目惚れしたらしい。

 以前は低い身分ゆえに宮廷に呼ばれもしなかったリアナだけど、聖女となってからは王族とも頻繁に言葉を交わすようになったのだ。

 そして……カーライル殿下のほうも、リアナのことを嫌がっていない様子。

 急接近する二人を見せられて、わたくしが正気でいられるはずがない。

 聖女になったという自信からなのか、事あるごとに彼女はわたくしを煽るような発言をするようになった。

 ……今にして思えば、それらはすべて彼女の計算だった。

 わたくしが皆の前で癇癪を起こし、リアナを虐めるようにさせていたのよ!

 そして、離宮で催されたお茶会の席で事件は起きた。



「……聖女様! どうなさいましたのっ?」

 貴婦人の叫び声に振り向くと、リアナがティーテーブルに突っ伏していた。

 彼女と同じテーブルについた三人が、同様にもがき苦しんでいる。

 大騒ぎになる会場の中で、わたくしは呆然とするしかなかった。

「毒が入っておりますっ! 銀のスプーンが黒くなって……!」

 メイドの叫びを聞いて、わたくしを睨みつけたのは第二王女のパトリシア殿下だった。

「……もしかして、あなたの仕業かしら? ロンバルト侯爵令嬢」

「どういうことでしょう?」

「カーライルお兄様と聖女様が恋仲だから、聖女様を亡き者にしようとしたのでは……?」

 パトリシア殿下の疑念に、他の令嬢たちがわたくしを見て眉を顰めた。

「わたくしは無実でございます。準備をしたのは、王宮のメイドではございませんか!」

 確かにこの茶会は、わたくしが妃教育の一環で開いたもの。

 しかし、招待状や茶会の進行を担っただけで、茶葉の選定や管理は王宮側でやっている。

 人手が足りないだろうと思って侍女をひとり貸したが、ただそれだけで……。

 その瞬間、その侍女がパトリシア殿下の前にひれ伏して、驚くべきことを言い始めた。

「申し訳ございません……! 王子殿下のことでお嬢様はお悩みでいらっしゃったのです! 私もお断りすることができず、毒を入れてしまいました!」

「まあ、やっぱり侯爵令嬢の仕業なのね! なんて、恐ろしいお方でしょう!」

 パトリシア殿下は、即座に近衛兵に指示を下す。

「ロンバルト侯爵令嬢を、塔に幽閉しなさい。絶対に逃げられないように気をつけるのよ」

「はい、王女殿下!」

 ――かくして、わたくしは衛兵たちに両脇から抱えられて、その場を去ることになった。

「お助け下さいませ、殿下! 神に誓って、わたくしは無実です……っ!」

 王女殿下に嘆願する自分の声だけが、虚しく響き渡る。

 去り際にようやく少し顔を上げたリアナが、わたくしのほうを一瞥した。

 意地悪な笑みを浮かべているのを見て、ようやくわたくしはすべてを理解した。

(……はめられた? うちの侍女を買収したのはリアナね……!)

 ――しかし、悲しいかな。

 これまで働いてきた数々の悪行により、真実を口にしても誰も信じてくれない。

 薄暗い塔の部屋に移された後は、囚人と同じ生活を余儀なくさせられ、形式だけの裁判を受けて国家反逆罪を言い渡された。

 聞くところによると、わたくしの寝室から毒入りの瓶が発見されたらしい。リアナが侍女を使って仕込んだことは明白だが、誰も弁護をしてくれない状況では否定しても誰も相手にしてくれなかった。

 王族が参加している茶会で毒物を使用したということ……そして、教皇庁に認められた聖女を狙った犯行だと考えれば斬首を免れられないが、高位貴族の娘であることを勘案して下されたのは追放刑――この寒い時期に北部に送られれば、結局のところ処刑宣告も同然だ。

 それゆえ、未踏の北の大地に送られたわたくしは、寒さとひもじさで凍死したと思っていた。

 

 

 ……が、なぜか、こうして温かな部屋に寝かされている。

 誰がわたくしを助けたの? 

 罪人になったわたくしには、もう何もないのに。

 そんな人間を、いったい何のために……?

 ――次の瞬間のことだった。忽然と何者かが現れたのは。



2 金髪碧眼の美青年の正体



 音もなく現れる、とはまさにこういうことを言うのだろうか――。

 その人物が部屋に入ってきたとき扉が開く音はせず、寝台に近づくときも足音すら聞こえなかった。

 ただ空気が揺らぐ気配だけが、人がそこにいることを感じさせる。

 はなはだ不気味ではあるけれど、自分が置かれた状況を知るには勇気を出さねばならない。

 目を開けてその人物を見上げた瞬間、思わず声を漏らしてしまう。

「あっ……!」

 きっと、途方もなく間抜けな顔をしていたのだろう。

 その人物――黄金の髪と紺碧の瞳を持った青年は、まるで笑いを噛み殺しているような微妙な表情をして、わたくしの顔を覗き込んでいたから。

 お茶会での事件以来、プライドを傷つけられることはしばしばあった。

 だけど、基本的にわたくしは生まれながらの令嬢なので、馬鹿にされることに慣れていない。

 腹に据えかねて、彼に異議を申し立てる。

「……目覚めたばかりのレディーを嘲笑うなんてひどいですわ。わたくしを誰だと思っていらっしゃるのかしら?」

「ああ、これは失礼した」

 耳当たりの良い艶やかな声で、彼は謝罪した。

「アリシア・ロンバルト……罪人のような有様だからすっかり失念していたが、お前は侯爵令嬢だったな。それならば、礼儀を弁えねばならぬだろう」

「……あなたは、いったい……」

 わたくしの名を知っているから、ここの領主か何かだろうか?

「俺のことは、ラミエルと呼べ。何か必要なものがあれば、使用人に言えば調達してくれるだろう」

 やはり、彼はこの屋敷の主なのかしら……領主かどうかはわからないけれども、それなりの富を持った者のはず。

 彼の外見はこれまでに出会ったどんな貴公子よりも美しく、上品で洗練されている。

 白いチュニックに、茶色のトラウザース。何気ない格好なのに彼が着ているだけで光り輝いて見えるのは、美しい顔立ちの割に体つきが騎士のように逞しいからかもしれない。

 わたくしは寝台の上に起き直って、しげしげと自分を保護している相手を観察した。

「……たしか、わたくしは吹雪の中で倒れたはずですが」

「その通りだ」

「あっ……わかりましたわ!」

 にやりと笑うわたくしに、ラミエル様は小首を傾げた。

「ラミエル様ったら、わたくしの美しさに一目惚れなさったのね? そうじゃなければ、囚人服姿の女を助けるわけがございませんもの」

「ほぉ、面白いことを言う女だな!」

「いいですわよ。ラミエル様が望むのなら、わたくしがあなたと結婚して差し上げても」

「助けてもらったから代償として、体を差し出すつもりか?」

「品のない発言ですが、許しますわ……今回だけ特別に」

「それは、ありがたい」

 わたくしも、思いつきでそんなことを言ったわけじゃない。

 権力のある殿方に嫁ぐのは、わたくしとしても好都合だから。

 かつての栄華は、もうどこにもない。

 罪人になり侯爵家の後ろ盾が期待できない状態なら、誰かに頼るしかない。

 そう……世間知らずのわたくしだって、わかっているの。

 お金も身分もない女が行きつく先がどんな地獄なのか。

 そんな目に遭わされるくらいなら、その前にわたくしを庇護してくれる殿方と婚姻を結ぶのが一番だって。

 それに、ラミエル様は理想通りの人物だ。

 お屋敷もあるし、お金には不自由していなさそうだし……もし、問題があるとすれば、彼が既婚者かもしれないということだわ!

「ラミエル様はご結婚していらっしゃるの? まずは、それを先に尋ねるべきでしたわね」

 口元を笑わせて、ラミエル様はわたくしをじっと見つめてくる。

「俺には妻はいない。しかし、お前と結婚する気は微塵もない」

「まあ……! わたくしの何が不服ですの?」

 唇を尖らせるわたくしに、ラミエル様はこう言った。

「不服があるわけではない。だが、色恋沙汰よりも先に俺には必要なものがある」

「それは何ですの?」

「お前は、悪魔について聞いたことがあるか? 奴らには使い魔という非常に便利なパシリがいるのだが、俺もそういう者が一人ほしくてな」

 そう言った途端、彼の周りに黄金の光が溢れ出た。

 眼前に繰り広げられるのは、信じられない光景――。

 ラミエル様の背には白く大きな翼が現れた……そう、まるで天使のように!

「……う、そ……て、天使様……?」

「その通りだ。俺は大天使ラミエル……お前には、使い魔ならぬ『お使い天使』となってもらおうか」

 わたくしが、なぜそんなものにさせられるのかしら?

 そもそも、なぜ大天使がわたくしをパシリにする必要が……?

 疑問がたくさんありすぎて、軽くパニックを起こしそうだった。



3 大天使ラミエルの悩み



 俺は、困っていた。とっても、困っていた。

 なぜなら、人材を見誤ってしまったからである。

 ここで言うところの人材とは、何十年に一度か地上に遣わす『聖女』――神や天使たちが気づかない地上の困窮や病魔を救えるよう、人間の姿を保ちながら神の力を発揮する女性のことだ。

 清らかな心を持った乙女に異能を宿すように、と神に厳命されているため、俺は一人の令嬢に目をつけた――そう、リアナ・レビオットである。

 俺が見たところ、リアナは格好の人材だった。

 他の貴族令嬢のように浮かれたところはなく、日々、恵まれない人々のために献身していた。

 だからこそ、信仰心も誰よりも篤いリアナの前に現れ、俺は彼女に神聖力を分け与えたのに……。



 ――が、その目論見は大いに外れた。

 聖女になったリアナは貧しき者を助けるどころか、自分が成り上がることしか考えなくなった。

 その肩書がもたらす権力を、私欲のために使い始めたのである。

 これでは、これからやって来る災害を防げるわけがない。

 大天使としての役割を果たしたことにはならないのだ。

(新たな聖女を探すか……しかし、またあの女のように聖女になった途端、王家に嫁ごうなどという野心を持っては元も子もないな)

 そう悩んでいた俺の前に現れたのが、アリシア・ロンバルト侯爵令嬢だ。

 アリシアはリアナの策略に陥れられて追放刑を受けた悲劇の令嬢で、北の領地に打ち捨てられたところだった。

 そんな有様を気の毒に思った俺は、彼女に癒しの力を使って蘇生させて自分の屋敷に連れ帰った。

 アリシアがすべてを失ったのは、リアナを聖女にした俺の咎でもある。

 それゆえ、ある意味で罪滅ぼしのつもりだったが、目覚めたアリシアは俺が善意で助けたと勘違いしているようだ。

(勘違いさせたままでもいいか。とりあえず、聖女の適性が彼女にあるか試すとしよう)

 ところが、彼女は何を思ったのか、俺と結婚してもいいとか意味不明のことを言い出した。

 たぶん、すべてを失った女の保身ゆえだろう……俺を愛しているから出た言葉ではない。

 貴族の身分も身寄りもない女なら、娼館で体を売るくらいしか生きる術はない。

 しかも、王都とはわけが違う。娼館の客も犯罪者上がりや荒くれ者ばかりで、酷い扱いを受けるのが目に見えている。

 だとしたら、俺のように一見して裕福な暮らしをする男の庇護を受けるほうが、アリシアにとってはまだマシと言える選択なのだ。

(……保身ゆえの求婚か。色恋沙汰に溺れる女よりも、計算高い女のほうが扱いやすそうだな)

 その合理的な考え方を気に入った俺は、自分の正体を見せて協力を仰ぐことにした。

 別に翼まで見せる必要はなかったが、人間ではない相手であれば彼女が口にした『結婚』という二文字は帳消しになると思った。

 ――が、アリシアのあきらめの悪さを知り、俺は唖然とすることになる。



「あら、素敵ですわ! 真っ白な翼、神々しいオーラ……」

「はぁ?」

「ラミエル様こそ、わたくしの伴侶としてふさわしいお方ですわ!」

 しばし呆然としたと思ったら、いきなりうっとりとした様子でアリシアは呟いた。

「わたくし、やりますわ……『お使い天使』を」

「……話が早くて何よりだ」

「内容を教えてくださいませ。そして、約束してくださいな……わたくしがラミエル様の期待値以上の働きをしたら、わたくしを妻にしてくださると」



 ……何千年も昔、俺も人間だったことがある。

 当然、恋を経験したことも。

 それなりの家門の次男だった俺は、兄が結婚した相手に恋をしてしまったのだ。

 しかし、それは禁断の恋――自分が感じた、愛と欲が入り混じったよくわからない想いに反吐が出そうだった。

 鬱屈とした感情から逃れるように俺は修道院に入り、求められるがままに聖騎士になった。

 時代は、神と悪魔が起こした聖戦の最中で、俺は最前線に立ち命を失った。

 聖戦は神が勝利し、地上には平和が訪れた。

 死んだ俺の魂を引き上げて大天使にしたのは、神の気まぐれだったのだろう。

 おそらく、今の俺と同じで従順なパシリが欲しかっただけかもしれない。

 俺に与えられた役割は、聖女の発掘と彼女たちのフォロー。色恋に後ろ向きの俺にとって、うってつけの役回りだ。

 聖女たちの中には、俺の気を引きたがっている素振りを見せる奴もいた。

 ……が、アリシアのように何度も求婚してくる図々しい女はいなかった。



 艶やかな黒髪に、緑色の瞳――美しく蠱惑的な顔立ち。

 体つきも凹凸があって、俺が生身の男だったらすぐにモノにしたくなるような色気が漂っている。

 たぶん、この魅惑的な見た目と侯爵令嬢だった経歴が、彼女に大胆な発言をさせているのだろう。

(……面白いな)

 ただ、面白いからってすぐにOKを出すわけにもいかない。

 人間が言うところの結婚は、天使の世界にはないと思う。あるとしても、神にお伺いを立てないとさすがに無理だろう。

 それでもいいから、とアリシアは強硬に条件を飲ませようとする。

「わかった、前向きに考えよう。お前が俺の忠実なパシリになるなら」

 このときはアリシアとは単なる契約関係だったし、今後も変わることはない。

 そう固く信じていたのに――。



4 聖女なんて呼ばないでくださる?



「はいはい、きちんと並んでちょうだい! ピシッと並ばないと、誰も治療してさしあげなくてよ!」

 鋭い声で恫喝すると、大のオトナも鼻たれ小僧も緊張感のある顔つきになって、みんな整然と並び始めた。

 ここは、北の領地にある唯一の大聖堂――王都のそれに比べると、はっきり言ってしょぼい教会レベルなのだけれど、皆がそう呼んでいるのだから大聖堂なのだろう。

 わたくしは、ここで毎日怪我人や病人の治療をすることになった。

 なぜ、治療をしているのかって?

 それは、ラミエル様がわたくしに異能を与えてくれたからよ。

 あの女狐が聖女の役割をせずに王宮で遊び惚けているのを、ラミエル様はよく思っていないらしいわ。

 ……まぁ、それはそうよね。

 神に与えられた力なんだから、真面目にやれって言いたくなるでしょうよ。

 だって、わたくしが見たって態度が変わり過ぎだもの。

 モテない地味な女がいきなりチヤホヤされると、ろくなことは起こらないわね。

 そんなところに、このわたくしが現れてよかったわね……ラミエル様!

 わたくしは何事もパーフェクトにやる女よ。

 女狐ごときに対抗心を燃やすわけではないけれど、この寒い場所で貧困ばかりか傷病に苦しむ人々は、わたくしが見てもかわいそうだわ。

 あの日、ラミエル様が助けてくださらなかったら、わたくしも死んでいたはずだもの。

 あの時の絶望感に比べたら、少しくらい疲れるのなんてへっちゃらよ!

 両手を患者に翳すとパアッと光が出て、みるみるうちに傷口が塞がっていく。

 これがなかなかの面白さだわ!

「わー、ありがとうございますっ、聖女様っ」

 うふふ、喜ばれればいやな気はしないわ。

 そりゃあ、そうでしょう?

「お礼がしたいのなら、新鮮な果実かおいしいお菓子を持ってきてくださる? わたくし、忙しくてティータイムもまだなのよ」

「失礼いたしました、聖女様! 次に大聖堂に来るときにはお持ちします!」

「聖女様って言うのはやめてくださる? わたくしのことはアリシア様とお呼びなさい」

「わ、わかりました! アリシア様!」

 最後の男の子が去って行った後、緊張感が途切れてため息が出る。

 がんばって治療したから、空腹感が込み上げてきた。

 そんなわたくしに、誰かが声をかけてきた。

「アリシア嬢、がんばっているようだな」

 振り向くと、金髪碧眼の美青年がわたくしの背後に立っている。

 そう……ラミエル様だ。相変わらず気配をさせずに近づいてくるが、びっくりするからやめてほしい。

 この領地でのラミエル様は、フェルバース子爵という偽名を使っている。

 いかにも青年貴族といった装いは、王都の流行を取り入れたもの。襟と袖口に刺繍が施されたダークグレーのテイルコートの中に黒の胴衣、白のドレスシャツという出で立ちだ。

 長身で意外にも胸板が厚いから、体のラインを拾う胴衣がよく似合っている。

「まぁ、フェルバース子爵様! 婚約者の応援にいらっしゃいましたの?」

 からかって尋ねると、ラミエル様は頬を赤らめた。

「だ、誰が婚約者だ……? 俺はただ、お前の働きぶりを確認しに来ただけだ」

「真面目にやっておりますわ。この近辺の傷病人は一人残らず治療しました。明日、自力で起き上がれない人々のところにいったら終了ですわ」

 そこに、笑みを湛えた神父が近づいてきた。

「フェルバース子爵様、お疲れ様です」

「神父様、ごきげんよう。いかがですか、皆の様子は?」

「子爵様がご紹介くださったアリシア様のお陰で、苦しんでいた信徒たちが元気になりました! 体調が戻って仕事を始める者も出始めて……アリシア様は、神が遣わした聖女様でございます」

 手放しの誉め言葉に、わたくしは苦笑した。

 聖女と呼ばれることには違和感しかない。

 なぜなら、あの至上最悪の女狐を思い出してしまうからだ。

「聖女だなんて、大それたことを! わたくしは、皆さんが喜んでくださるだけで満足ですから、これまでと同じように名前でお呼びください」

「なんと心清らかな……! アリシア様こそ、真の聖女様でございます。神が彼女を地上にお遣わしになったことを感謝いたします!」

 神父はわたくしに向かって手を組み、ブツブツと祈りの文言を唱える。

「やはり、予想以上の働きを見せているようだな。北の領地の住民への施しだけではもったいない。他の場所でも治癒の能力を発揮してもらおうじゃないか」

 そう言われて、わたくしは心密かに思った。

 ――この人は、根気を試しているのね、と。

 あの女狐との比較なら、わたくしのほうがマトモに決まっている。

 そうよ……わたくしだって、慈善活動くらいしていたわ!

 リアナに比べたら教会のバザーに割く時間が少なかったけれど、それは社交界の華と呼ばれていたから仕方がないわよ。

 舞踏会のドレスの新調や、それに合わせるアクセサリーの選定、ダンスやピアノや乗馬のレッスン……本当にわたくしのようなお嬢様の毎日はなかなかのスケジュールだわ。

 それにカーライル殿下の婚約者になってからは、定期的に王宮に赴いて妃教育を受けなければならなかったの。

 礼儀作法の先生がとても厳格で、おかしなプレッシャーをかけられていたわたくし。

 その間に、リアナ・レビオットは殿下に色目を使っていたのね……まったく、許しがたいわ!

 時間の余裕があれば、わたくしのほうがたくさん人を治すことができるはず。

 そして、その暁には見目麗しいラミエル様と――。

「わかりましたわ、フェルバース子爵様」

 わたくしは、微笑みながら彼にこう言った。

「しかし、女一人で見知らぬ土地に行くのは不安でございます。子爵様がわたくしの護衛としてご同行いただけますでしょうか?」



5 王都からの使者



 病人や怪我人がいなくなった北の領地には、意欲に満ちた労働者たちが溢れ返った。

 それまで頓挫していた建設工事や鉱山の採掘事業が一気に進む。

 穀物の栽培については不毛の大地だが、北の領地は鉄鉱石の埋蔵量において、ネルシオン王国で最も多いらしい。

 元気になった労働者を新たな鉱山へと送り込んだが、驚くべきことにこれまで輸入に頼っていたダイヤモンドが発掘されたそう。

 その鉱山の労働者がみな、わたくしの治療を受けた元傷病人。それゆえ、そこで採掘されたダイヤモンドには『貧しき者の聖女』という名がつけられたらしいわ。

 美しく研磨された宝石を領主から送られたわたくしは、この領地において貴婦人のような扱いを受けるまでにのしあがった。

 だからと言って、あの女狐のような失敗をするわけがない。

 この能力はラミエル様に与えられたもので、慢心してはいけないとわかっている。

 ラミエル様の庇護がなくなったら、すべてを失ってしまうことも……。

 だから、目の前にある仕事に全力で取り組むだけ。

 もう、嫉妬にかられてリアナをいじめた頃の自分には戻らない。

 誰も助けてくれない状況、冷ややかな視線に満ちた法廷、罪人扱いされる屈辱……そうしたものが、わたくしの心に傷跡と気づきを残したのだ。

 

 

 ――ラミエル様との旅が始まった。

 王都から離れた場所は衛生管理がずさんで、北部と同じように病気が蔓延し、悲惨な状況だった。

 それに加え、王都近辺の作物の育ちが悪く周辺の領地に課される税が上がったため、地方の領主はもちろん領民たちも貧しさに喘いでいた。

 しかし、わたくしが行く先々で治癒の力を用いると、そこでは思いがけぬ富を得ることになる。

 傷病人を治癒するだけではない……なぜか、幸運を与える力も備わっているようだ。

 『貧しき者の聖女』との呼び声はますます高まり、当初は粗末な宿に寝泊まりしていたわたくしたちも、いつの間にか領主たちから歓待されるまでになった。

 地方を回り終えて北部に戻ろうとしたとき、わたくしのもとに見慣れたお仕着せの男がやってきた――そう、ネルシオン王家の使者である。

「ネルシオン国王の名において、『貧しき者の聖女』を王宮にご招待する。王都の周辺では干ばつが続いており、聖女に雨乞いの儀式をしてもらいたい」

 書状を読み上げる使者に、わたくしは眉を吊り上げた。

「あら……いったい、どういうおつもりかしら? わたくしを追放したのは、いったいどこのどなた?」

 そう問い詰めると、使者は泣きそうな表情になる。

「も、申し訳ございませんっ! しかし、存じ上げなかったのです。令嬢にそのようなお力があるということを」

「それにしても、あの女狐。いえ、リアナは何をしているのかしら? 天変地異の対応をしない聖女なんて最悪じゃない」

 無言のままの使者に変わって、その様子を横目で眺めていたラミエル様が口を挟む。

「アリシア嬢、伝令を虐めるものではない。文句があるのなら、王族なり聖女なりに直接言えばよかろう」

「……では、子爵様もわたくしが王都に向かうことを望まれるのですか? わたくしは、聖女でも何でもございませんのに」

 王都行きをためらうのは当然だ。

 だって、わたくしは罪人として追放された身の上なのに。

 たとえ、わたくしが全能の神だとしても、王族のために力を使いたくはない。

 あの女狐とカーライル殿下の仲睦まじい様子を見るのは嫌だし、娘を助けようともせずに勘当した毒親にも会いたくなかった。

「お前の気持ちはわからんでもない。しかし、すでにお前は立派な聖女ではないか」

「立派な聖女……!」

「これまで通りにお前が善行を施せば、誰かに奪われた名誉を間違いなく回復できるだろう。それまで見守ってやるから心配するな」

 そう励まされて、わたくしは心を決めた。

「わかりましたわ、王都に参ります。フェルバース子爵様とご一緒する旨、お伝えください」

「ありがとうございます! さぞかし、国王陛下がお喜びになることでしょう!」

 嬉々として去っていく使者の後ろ姿を見送ってから、わたくしは重い腰を上げて荷支度を始めた。



6 悪役令嬢の王都凱旋



 その翌週、ラミエル様に馬車を手配してもらって王都に辿り着いた。

 謁見の間でわたくしを迎え入れた国王陛下は、申し訳なさそうな表情をしていた。

「おお、ロンバルト侯爵令嬢。わしの頼みをよくぞ聞いてくれた。礼を言うぞ」

「……もったいなきお言葉でございます」

「すでに使者が説明しているかもしれないが、王室が直接統治している国王領の干ばつの被害が酷くてな。去年は作物がとれず、周辺の領主に応援要請して何とかなったが、今年も同様の被害が起きそうなのだ」

 なるほど、それは大変だ。

 ラミエル様に聞いたところ、彼がリアナを聖女にしたのはこの状況を何とかするためだったとか。

 放っておけば、ネルシオン王国の土地のすべてが干上がって砂漠になってしまう。

 いや……その前に、王室に搾取される領主や領民たちがまず命を落とす。

 わたくしがこれまで治した病人のほとんどは、貧しくてろくに食事をしていない者たちだった。

 不潔な環境にいて栄養も摂れずにいたら、少しの熱や体調不良が命を奪いかねない。

 一方、王都にいる王族や高位貴族たちは、干ばつが酷いのに安楽な日々を過ごしている。

 他の領地から作物を貢がせ、自分たちは日夜遊んで暮らしているのだ。

 しかし、王都には聖女がいる。

 リアナは、この状況でいったい何をしているのだろう?

 この災厄を止めるために、神聖力を与えられたはずなのに……。

「恐れながら、国王陛下。すでにこの国には、聖女様がいらっしゃるではございませんか?」

 そう言うと、国王は表情を曇らせた。

「令嬢が疑問に思うのはもっともだ。レビオット男爵令嬢に打診したが、彼女は体が弱いから神聖力を使い過ぎると命の危険に関わるそうでな……」

 それを聞いて、ため息が出そうになる。

 教皇庁の後ろ盾があるから、国王の依頼を断ってもリアナに悪影響はない。

 しかも、か弱い印象を植えつけて同情を買ったところが、女狐が女狐たる所以である。

 わたくしを罪人にしたときも、彼女は入念に準備をした。

 努めて弱いフリをすることで、相手をコントロールして何かをさせたり罪をなすりつけたりする。

 ……が、今回ばかりはリアナに邪魔されるわけにはいかない。

 治癒だけでも体力を削がれるのに、天変地異の対応などやったことのないことを引き受けるのだ。

 わたくしが神聖力を持ったことを……いや、ここにわたくしがいることさえも悟られてはいけない。

「わたくしが、お役に立てるかどうかはわかりません。しかし、やってみましょう」

「本当か!? 感謝するぞ。成功した暁には、褒美はいくらでも取らせる!」

「罪人のわたくしに……ですか?」

 皮肉めいた微笑みを浮かべたわたくしに、国王は慌てて付け加える。

「もちろん、個別恩赦という形で身分はすぐに元に戻そう。その上で成功したら、領地や爵位やカーライルとの結婚……令嬢が欲しいものは、すべて与えると約束する!」

 わたくしにとって、領地も爵位も大した意味はない。

 ましてや、わたくしを捨てた元婚約者のことなどリアナにくれてやるわ。

「報奨については、どれも不要ですわ。しかし、お願いを聞いてくださるとおっしゃるのなら、ただ一つだけ……」

「なんだ?」

「……裁判のやり直しを。わたくしは、神に誓って罪を犯しておりません。お茶会での服毒は、聖女様の自作自演でございます」

 それを聞いた国王は渋い表情をしたが、最終的には条件を飲んでくれた。



 ――雨乞いの儀式は、秘密裏に行われることになった。

 王宮の敷地の端にある古びた塔の最上階が、急ごしらえの祭祀場。

 日照り続きの乾いた熱風が、わたくしの白い衣の裾と顔をすっぽりと覆ったヴェールを揺り動かす。

 こんな辺鄙な場所で、雨乞いの儀式をやるとは誰も思わないだろう。

 目立たない場所……しかも、太陽に一番近い場所で儀式をやるというのは、わたくしの要望だった。

 その分、神への祈りの気持ちが届きやすい、と思ったから。

 護衛兼後見人という位置づけのラミエル様と、国王陛下とこのたび王太子に内定したカーライル殿下、あとは近衛の小連隊が、神に祈りを捧げるわたくしを見守っている。

 薄絹のヴェールを被って儀式に臨んでいるのは、カーライル殿下や近衛兵たちに顔を見られないため。

 外部に情報が漏れないように、細心の注意を払ったつもり。

 それはいいけれど、本当に雨が降るのだろうか……?

 そんな不安に心は揺れたが、何度もラミエル様は励ましてくれた。

『むしろ、お前でなければできないのだ……自分を信じろ、アリシア』

 その言葉を胸に、灼熱の日差しを浴びながら目を閉じる。

 すると、ラミエル様が天使の姿になってわたくしを背後から抱きしめている映像が浮かんできた。

 黄金のオーラに包み込まれ、自分でも驚くほど強大なエネルギーが内側に満ちてくる。

(……雨よ、降って! お願い……!)

 いったいどれほどの時間、神と自然に祈ったことだろう?

 体調を言い訳に、リアナがこの儀式を断ったのも納得がいく。

 力をおそろしく消耗し、意識が朦朧としてくる。治癒を丸一日行うより、疲労の度合いが激しかった。

 それでも、わたくしは雨を降らせなきゃ!

 だって、成功すれば真実を明らかにしてもらえる。わたくしを陥れたリアナに、追放刑と同じくらいの屈辱を受けさせる必要があるから。

 それに、リアナがやらないことをやるほど、ラミエル様が喜んでくれる。

 彼が与えてくれた力で王都に再び来ることができたから、ラミエル様がわたくしに望むことはすべて叶えたいと思った。

 ――いつの間にか、太陽に雲がかかって熱風に冷たい風が混じるようになった。

 そして、ついに祈りの形に組んだ手に、ぽつりと何かが当たった。

「あ、め……?」

 うわ言のように呟いてから、わたくしは空を見上げる。

 さっきまでの青空が嘘のように、空は灰色の雲で覆われていた。

 小さな雨粒は少しずつ大きくなり、激しく勢いあるものへと変わっていく。

「おお……雨だっ、雨が降ったぞ!」

「聖女様だ! 本当の聖女様がここにいらっしゃる!」

「これは、奇跡だッ! 新たな聖女様の誕生だっ!」

 見守っていた近衛兵たちの歓声が聞こえた瞬間、わたくしの意識はぷつりと途切れた――。



7 甘い夢と残された記憶



 ――甘い夢を見ていた。

 ラミエル様がわたくしを抱きしめて、キスをしてくる。

 愛しそうにわたくしを見下ろす視線に、艶っぽい熱を感じてしまうのは気のせい……?

 いつもの彼は、冷静沈着。どんなにわたくしが美しくても、熱っぽく口説いたとしても、俗っぽい感情には揺らがないと思っていた。

 それなのに、今の彼はまるで別人。わたくしへの欲をありのままに見せてくる。

 誰かからまっすぐに求められるのは、こんなにもうれしいものだったのね……?

 思えば、貴族の娘に生まれて一度も純粋な愛を向けられたことがなかった。もちろん、純粋な欲も。

 両親はわたくしのことを王家の外戚になるための持ち駒としか見ていなかった。

 婚約者のカーライル殿下は優しくしてくれていたけれど、それは高位貴族の後ろ盾を得るためだけ。

 結局、誰からも愛されないまま、孤独のうちに死ぬところだった……。

 死の淵にいたわたくしを救ったのは、ラミエル様だった。

 初対面で、いきなりわたくしが求婚をしたのは、彼の庇護が生きる上で必要だったから。

 でも、そんな真似をせずとも、わたくしを大事にしてくださった。

 欲得ずくで口に出した結婚という言葉が、今ではとてつもなく恥ずかしい。

 ――旅の途中、共に過ごす時間の中で、ラミエル様がどういう経緯で大天使になったかを聞くことができた。

 もともと、ネルシオンの建国前に起こった神と悪魔の聖戦――その戦いの最中に命を失った聖騎士だったらしい。

 人間だった頃も、修道院に所属していた彼は色恋に興味がなかっただろうし、大天使という人ならぬ存在になった今は絶対に女に惑わされないはず。

 それでも……いま、たしかにわたくしに触れている。

 彼を動かしたのが自分だという事実が何より誇らしく、胸のドキドキが止まらない。

 きっと、これは本当の恋――。

 婚約者にも感じなかったときめきは、わたくしの心を打ち震わせていた。

 これが、夢じゃなく本当だったらいいのに……。

「もっと、キスして……」

 離れようとしている彼に、思わず手を差し伸べる。

 彼の背を抱き寄せ、指先に触れたのは生々しいぬくもり。それを感じた瞬間、これが本当に夢かどうかさえわからなくなる。

「相変わらず、大胆だな」

 耳朶に霞める声が、ゾクッとするほど色っぽい。

「そんなことを言うと、本当に俺のものにしてしまうぞ。そうしたら、困るのはお前のほうだろう……?」

 それは、どういう意味……?

 尋ねようとしても、声が出ない。

 ああ……やっぱり、これは夢の中なのかしら?

 彼の低い問いかけの余韻は、恋に昂った精神をゆっくりと深い闇に導いていった。

 

 

 雨乞いの儀式の後、力を使い果たして死に瀕していたわたくしは、離宮の一室に運ばれて十日ほど寝込んでいたらしい。

 ようやく意識を取り戻し窓の外を見ると、まだ雨が降り続いていた。

 宮廷の侍女にラミエル様のことを尋ねたが、わたくしを宮廷医に任せたあと北の領地に戻ったとのこと。

 でも、わかっていた……今回も、ラミエル様がわたくしを救ってくれたって。

 そう確信しているのは、枕元に白い羽が一枚落ちていたから。オーラの気配を感じ取れるそれを見れば、彼がここに来たことがわかる。

 仮にわたくしがただのパシリだとしても、ラミエル様が見捨てるわけがない……職務放棄しているリアナを、ご自身の手で罰することができないくらい寛大な方だから。

 あっ……そう言えば、リアナをどうにかしなきゃ。

 病める人々を放置する職務怠慢な聖女なんて、税金で遊びまくるこの世のゴミじゃない!

 ラミエル様の代わりに、わたくしが成敗してさしあげるわ!



8 再び栄華の日々へ



 国王陛下の信頼を得たわたくしは、瞬く間に名誉と権力を取り戻した。

 もちろん、まず手始めにしたのは裁判のやり直し。

 わたくしを欺いた侍女はリアナから報酬を得て田舎でのんびり暮らしていたが、それを捕まえて裁判で本当のことを白状させた。

「もっ、申し訳ございませんでした……実は、うちの母が病気だったのです! 聖女様は、母を治療してあげるから、と唆してきて……」

「人聞き悪いこと言わないでちょうだい! あなたのことなんて知らないわ!」

 仲間割れをする聖女と侍女に、裁判長はため息を漏らす。

 しかし、今のわたくしには国王から得た報奨金があり、情報ギルドに依頼をする経済的な余裕があった。

 侍女のほかに聖女に不利な証言をする者を、わたくしは用意していた――王都の外れに住む魔女である。

 証拠で残っていた毒入りの瓶を調べさせたところ、とある水晶細工の工房で作ったものだと判明した。そこから容器を卸した先を調べると、秘密裏に毒薬を作る魔女が浮かび上がったのだ。

「あたしに毒の調合を頼んできた人物は、このお嬢さんだねぇ。見間違えることなんてないよ」

 魔女はしゃがれ声でそう言いながら、リアナのほうを真っ直ぐに指さした。

「し、知らないわよ……!」

「しらばっくれるのは、もうおよしよ。あんた、とっくの昔に聖女様なんかじゃないんだからね……聖女様っていうのは、神から受けた恩恵を民に与える存在さ。けっして奪う存在じゃないんだよ」

 ――かくして、複数の証言が出揃ったため、リアナ・レビオットは有罪となった。

 国家反逆罪に虚偽告訴罪、強要罪……三つの罪に問われた彼女は、今回ばかりは教皇庁の力も及ばず、その場で処刑を言い渡された。

 床に崩れ落ちるリアナの姿を見下ろしてから、わたくしは法廷を後にした。

 

 

 爵位を得てマグリット女伯爵と呼ばれるようになったわたくしは、社交界の華に舞い戻った。

 カーライル殿下との婚約は、いまのところ保留にしている。

 なぜなら、それでなくても色々な殿方からのデートのお誘いが絶えないからだ。

 社交の場にはなるべく顔を出すが、前ほど楽しいとは思えないのは、罪人として過ごした時間のせい。

 貴族が夜を明かして贅沢な時間を過ごす一方で、貧しい民は病気になっても医者にかかることもできずに、なすすべなく命を失っていく。

 干ばつの被害は食い止めたが、それだけでいいのか……。

 もっと、わたくしにできる何かがあるのでは?

 そんな疑問が胸を過ぎるたび、わたくしはラミエル様を思い出した。

 雨乞いの儀式を最後に、彼とは顔を合わせていない。

 北部の屋敷に手紙を送ってみたが、引っ越した後なのだろう……誰もそこには住んでいない、という配達人からのメモが戻ってきた。

(ラミエル様……どこへ行ってしまったの?)

 あの甘い夢が、現実だったのか否か……それさえも、もう確認することはできないの?

 眠る前に、枕元に残された光り輝く羽を眺めるのがわたくしの日課になった。

 切なさを噛みしめながら、彼が残したものに願った。

 夢の中だけでもいいからもう一度会いたい、と……。



 鬱々とした気分を晴らそうと、久しぶりに晩餐会に出席した。

 パートナーの申し出は多々あれど、国王陛下がどうしてもとおっしゃるのでカーライル殿下にエスコートをお願いすることにした。

「うれしいよ、アリシア。君の無実をずっと信じていたんだ……しかし、君が本当の聖女だったとはね!」

 円舞曲を踊っている最中に、殿下はそう耳打ちしてきた。

 ここまで体を密着させて踊る必要がどこにあるのかしら?

 以前と打って変わって彼が優しくなったのは、わたくしが教皇庁の後援を得たから。

 殿下が愛しているのは、自分の権威を裏づける聖女という肩書きだけ。

 浮かない表情をしながらターンをした途端、わたくしは誰かの視線を感じた。

 思わず振り返ると、そこには会いたかった人の姿があった……ラミエル様の姿が。



9 大天使と悪役令嬢の婚姻



「お会いしたかったですわ、ラミエル様! なぜ、わたくしを置いて行ってしまったんですの?」

 人気のないバルコニーに俺を拉致したアリシアは、涙ながらに問い詰めてきた。

 正直、そこまで俺を気にしているとは知らなかった。

 ネルシオンの危機を救った彼女が国王の信頼を得て、名誉を回復した様子は上空から眺めていた。

 リアナは罪人として囚われ、処刑を待っているような有様だ。

 復讐を果たして女伯爵になったアリシアは、この上なく幸せなはずなのに……。

「お前は十分すぎるほどの善行を施した。もう、俺の庇護は不要だろう? お前は一人前の聖女なのだから」

「そんなの酷いわ! 最初に約束してくださったはず。善行を働けば、わたくしと結婚してくださると」

「……お前は王太子妃になれるほどに復権したではないか?」

 それが答えになっていないことは、自分でもわかっている。

 アリシアは俺の腕を掴んで、切ない表情で俺を見つめた。

「あなたと結婚できないなら、王太子妃なんて何の意味もありません……わたくしのこれまでの人生で一番幸せだったのは、あなたと共に旅をしていた時間ですわ」

 ――それは、俺も同じだ。

 彼女と過ごした時間は、慎ましくも幸せなもの。

 田舎の粗末な宿や、時には野宿も余儀なくされたが、アリシアは文句ひとつ言わなかった。

 これまでに聖女に力を分け与えたことも、任務を行わせるため旅を共にしたことも、数え切れぬほどあった。

 しかし、彼女たちは天使という異形の俺に興味は示すものの、恋愛感情を抱くことはなかった。

 そもそも、俺がそれを許さなかったというのもあるが……。

 ところが、アリシアは違っていた。

 対等な一人の人間として、俺のことを見てくれていた……初めて会ったときから、ずっと。

 彼女の想いを振り払うのはたやすい――なぜなら、俺はとうの昔に生身の人間としての感情を失っているから。

 なのに、なぜ……俺はあの夜、彼女に口づけをしてしまったのだろう?

 神の使いであり、この世の何よりも清廉潔白であるはずの大天使が、たかが一人の女に惑わされるなど……。

 俺は、アリシアの色香に溺れたわけではない。彼女の内面の美しさに惹かれたのだ。

 どんなに疲れていても、病人のひとりひとりに向き合って苦痛を取り除く彼女の姿は眩しかった。

 与えられた役割なら当然だと思うかもしれないが、そんな献身ができる人間は実はなかなかいない。

 リアナのように任務を投げ出し、貴族や王族しか治癒しない聖女がほとんどだった。

 俺もアリシアのことを、そんな女の一人だと思っていた。

 しかし……実際の彼女はそうではなかった。

 見た目によらず素朴で、俺に同じ人間として興味を持ってくれた。

 旅の最中、澄んだ瞳で見つめられながら昔話をしていると、いつしか数千年前に経験した胸の疼きに苛まれるようになった。

 そう――いつの間にか、俺はアリシアに恋をしていた。

 果てしなく不器用で、実ることのない恋を。

 雨乞いの儀式を終わらせれば、アリシアの命は失われるさだめだった。

 そこを自分の魂を削って助けたのも、キスを奪ったのも俺の個人的な感情のせい。

 だから、彼女のもとから立ち去った。

 別れの言葉さえ告げず、彼女に二度と会わねばよかったのに……。

 このパーティー会場に来てしまったのは、魔が差したとしか言いようがない。

 縋るような目をして俺を見つめるアリシアに、まるで病気にでもなったように胸が高鳴る。

 清廉潔白だなんて、とんでもない!

 こんな俺が、大天使を続けていていいのだろうか……?

 ――その刹那、脳裏に天からの声が響き渡った。

(……ラミエルよ、思うがままに行動するがよい。これは長年、私に仕えてきたお前への褒美だ)

 神は、俺が修道院に入った経緯もすべてご存じだ。

 そのうえで、俺の最後の恋愛を許してくださったのだろう……。

 俺は泣きそうになるのを我慢しながら、アリシアに囁いた。

「共に行こう、アリシア。お前に、俺と添い遂げる決心があるのなら」

「……当たり前じゃないですか! 覚悟がなければ、わたくしは自分から迫ったりしませんわ?」

 高飛車な答えに混じる安堵と喜びの色――その時、俺は実感した。

 この世の誰よりも、彼女のことを愛している……と。

 彼女を抱き上げて、俺は白い翼を広げて夜空へと舞い上がった。


 ――アリシアと俺だけの終わらぬ恋物語は、今この瞬間から始まる。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

読んでくださってありがとうございました! 少しでも楽しんでいただければ何よりです☆

今後の活動のモチベ↑のため、宜しければブクマ・評価等よろしくお願いいたします<(_ _)>

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