第九十四話 北上
海ノ都シラズメから北に二日歩けば、比較的大きな港町に着いた。
石積みの停泊場と一年中炎が上がる灯台が特徴というここ港町ムラカは、海ノ国では都の次に大きな町で、停泊船も多いという。
この停泊船の殆どは錫ノ国のもので、残りの少数は海ノ国のもの。大陸で海に面した国はこの二つの国だけだから仕方がない。この町は革新派の影響が大きいらしく、交易のため錫ノ国に対し広く開港しているとのことだった。
そんな大きな交易船が並ぶ港町でアサヒとカナトは宿を取った。来航者向けのこの宿は錫ノ国の文化という白い石造りの建物だ。港が近く、くすんだ窓硝子にはぼんやりと灯台の火が映っている。
日が落ちてから夕飯を終えた二人は、ささやかだが酒を飲むことにした。宿の女将に頼んで酒を燗にしてもらい、お猪口と共に受け取る。
どこか品のある中年の女将がいなくなると、お互い木椅子に腰を下ろす。軽くお猪口同士を合わせて、二人は飲み始めた。
少し湯気の立った酒をアサヒが一口含めば、ふくよかな香りが鼻を抜ける。すぐに優しい甘みが喉を覆い、じんわりと熱くなった。
二杯目は手酌をしながら、アサヒは口を開く。
「第二夫人派には将がいないと言ったな」
ああそうだ、とカナトは喉に広がった酒の熱を逃がしながら答えた。こほんと彼は咳を足した。
「第三王子では駄目なのか」
「ミヅハ王子はクロユリが溺愛しているからな。そもそも話に乗るとは思えん」
あいつは無駄だと言うようにぱっぱと片手を払う。
確かに先日のミヅハの話しようでは反乱軍をかなり警戒しているようだったし、そもそもミヅハは国王と第一王子の間でも中立だ。矢面には絶対立たないだろう。
カナトに聞くまでもなかったな、とアサヒは思った。
「出来るだけアカネ様に近い人間が好ましいのだがな。本当は、血縁の者がいれば一番良かったのだが」
「いないのか?」
アサヒはその話題に食い付きたいのを押さえつつ、カナトに話を促す。言われてみれば、母方の親戚の存在を考えたことがなかった。
「ああ。アカネ様が宮殿入りしてからだったか、血縁者はぽつりぽつりと亡くなっていったそうだ」
「それは」
「分からん。もう随分前のことだ。ただの不幸かもしれないし、誰かの悪意かもしれん」
眉をひそめたアサヒに、カナトは横に首を振った。いずれにしても、穏やかな話ではなかったようだ。
「第二王子も行方不明のまま、遂に見つからなかったしな」
お猪口から酒をぐいと飲み、息を吐いてからカナトは言う。
「将がいなければどのみち反乱軍は動き出せん。討ち取れたところで、国民の支持が得られないんだ。錫ノ国は海ノ国のように共和制は無理だ。第一夫人派と陛下を討ち取った後、国王になる人物がいなければならない」
カナトの語気は次第に強まっていった。
どうやら一杯目が空になったらしい彼のお猪口に、アサヒは酒を注ぎながら返す。
「国民の支持が得られるような人物なら誰でもいいのか?」
「身も蓋もない言い方だな。 ……だがそうだ。手っ取り早いのが血筋。軍閥の息子でもこっちに来てくれればな」
どうやら錫ノ国の貴賤感覚では血筋に重きを置くらしい。
熱のこもるカナトとは裏腹に、アサヒの頭は冷静だった。
反乱軍は結局のところ、第一夫人派を討ち取れればいいのだ。その後に国王となる人物は誰でも良くて、ただし自分たちの言うことを聞いてくれる人間に限る。
カナトのことは嫌いになれないが、アサヒの反乱軍への心象は良いものではなかった。
「シンがその話に賛成するとは思えないな」
アサヒはカナトから「俺もそう思う」といった類の答えを期待した。聞けば聞くほどアサヒの中のシンという存在と反乱軍はかけ離れたものになっていく。
だが、カナトの反応は予想の斜め上をいった。
「待てアサヒ! そうだ、前から気になっていたんだ。そのシン様を呼び捨てにするのをいい加減なんとかしろ!」
お猪口を持たない方の手でアサヒをびしっと指差しながら、カナトは声を張り上げる。
「なんだ急に。そもそもシンは」
「敬称を付けんか馬鹿者!」
だんっと音を立ててカナトがお猪口を置く。あまり量は飲んでいないはずだが、酔っているのではないだろうか。いや、飲んでなくてもこのくらいの反応はするか、この男なら。
アサヒは溜息を吐くと、会話を再開した。
「……シン様はどうしても反乱軍に必要なのか、カナト」
「できることなら! シン様ほどアカネ様のお側にいた戦士はいない。そもそも第二夫人派はアカネ様をクロユリから守るために、シン様がアカネ様と相談してつくった派閥だ。シン様がいるだけで士気も違う、まとまりも出る」
アカネ様を守るために、その言葉にアサヒは心なしかほっとした。
今は反乱軍などと言っているが、シンのつくったという第二夫人派の根底はアサヒの母親を守りたいシンの忠誠心にあったのだと、彼は感じることができた。
「……とはいえ、シン様に来て頂きたいのは俺の我儘かもしれん」
しゅん、と萎むようにカナトは身を縮める。目も潤みがちだし、やはり相当酔っているらしい。熱くなったり萎んだり、随分とせわしない酔い方をする。
「アカネ様の崩御と同時にいなくなったシン様には、もう錫ノ国のことなど頭にないのかもしれん」
残された者はそんな風に感じていたのかと、アサヒは項垂れるカナトを見やった。少し気の毒だが、本当のことなど話せるはずもない。
「シン様のことが好きなんだな」
「好きなど。敬愛している。俺はシン様のようになりたいのだ」
カナトのその言葉で、アサヒはぴんときた。
「ずっと気になっていたんだが、お前のその格好……」
「おお、よく気が付いたな。そうだ、シン様を意識している!」
本当に素晴らしいお方なのだ! と今度は尻尾を振るようにして、シンについて語り出す。
強い、賢い、凛々しいなど彼が思うシンの魅力についてまくし立てるカナトは、こっちが聞こうが聞かまいがお構いなしの様子だ。
多弁で強引、落ち着きがない彼を前に、アサヒは息を吐く。格好を真似るのは結構だが、中身が全然似ていない。
「……本当にシン様を目指しているのか?」
「当然だ! 俺もあと四年すればシン様のように……」
「四年? カナト、お前の歳って」
「二十歳だ!」
そんな気がしないでもなかったが、トウヤよりも年上か、とアサヒは頭を抱えた。
その日アサヒは早々に酔っぱらったカナトの話に付き合いながら、今後こいつと酒を飲むのは控えようと心に誓った。
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