表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
92/194

第九十話 鎮魂祭 二

 ハクジの砦がある崖山から海岸線まで緩やかな傾斜が続く広小路には、木板を組み立ててつくられた屋台が軒を連ねている。青蘭祭の屋台の並びよりも質素だが、それは鎮魂祭という行事柄かもしれない。


 飲食物の他にも工芸品や装飾品を売っている店も多い。人々の喧騒の中に調理の油が弾ける音や、店先に吊り下げた貝殻の揺れる音が混ざり合う。


 混沌としているようで、人々の思考は祭事を満喫するという同じ方向を向いている。どこの国も祭りとあれば一色に染まるようだ。




 学術院を出たハツメたちは今、ミヅハに連れられてハクジの砦の前に来ている。


 崖を掘るようにしてつくられた砦の入り口は木造三階建ての柱や梁がしっかりした建物で、内部から外に張り出すような形で造られている。神聖なものにしか白を使わない民族であるため、建物全体の色調が暗い。


 その最上階、都の一番高いところで鎮魂の儀は行われる。


 昼に行われる鎮魂の儀。ハクジの民の族長が行う神事だが、現在の海ノ国はその族長が議会の頂点、つまり元首を務めているため、元首自らが行う神事となる。普段は議会かハクジの砦に篭っている元首が国民の前に顔を出すのは珍しいようだ。


 砦の周囲から人々が見上げる中、真榊の立てられた最上階の踊場に元首が姿を現した。


 清廉な白衣を幾重にも重ねた純白の姿。裾を引きずるように歩を進めるハクジの民の長は、意外にも若い男性だった。若いといってもハツメたちよりは年上で、二十代半ばか三十代。


 年齢がはっきりしないのは顔に施された化粧の為だ。白粉(おしろい)が鼻筋に一本と、両の頬骨に沿うように太く二本引かれている。目の周囲には鮮やかな紅が、目頭からこめかみまでをくっきりと縁取っている。


 森で一度しか見たことがないが、白蛇、という印象をハツメは抱いた。


 化粧を施しているのは元首のみかと思ったが、両脇にそろそろと出てきた従者たちを見てそうではないと知った。従者も同じような白粉(おしろい)、紅をしている。服装は脛にかかる丈の白衣。襟や袖に流線型や渦巻き型を密に組み合わせた赤い刺繍がされている。ルリ曰く、あれがハクジの民族衣装ということだ。


 笛の音が漂い始めた。神楽歌と思われる演奏が続いた後、元首により祝詞が唱えられる。

 独特な伸びのある口調の祝詞奏上が終わると、元首は榊を持ち上げ、ゆっくりと振る。右に、左に。その動きに合わせて白絹の長い袖も左右に揺れる。元首は大きく十回榊と袖を揺らすと、静かに腕を下ろした。


 元首が数歩下がると、入れ替わるように従者が数人、前に出た。


 踊場の柵から、白い布が下ろされる。三階の高さから放たれた純白の織物は流れるように地面まで落ちていく。音もなく、静寂を保ったまま。その様子はハツメに『魂の流れ』を思い起こさせた。


「綺麗だよね」


 少年の穏やかな声にハツメは横を見る。上を向き眩しそうに目を細めるミヅハの表情は嬉しそうだった。だがどこか切なさを感じさせる影もあった。儚い夢を見ているような。


 地面まで下ろされた織物がすっぽりと建物を覆う。凪いだ海風は織物を捲り上げるような無粋なことはせず、ただそよそよと人々の間を抜けていった。


 こうして鎮魂の儀は終了した。


「ルリ。これで何か好きなもの買ってきなよ。かんざしでも首飾りでも」


 儀式が終わり人々がざわざわと砦を離れていく中、ミヅハが口を開いた。


 普通ならば共に行くはずだ。少し席を外して、というミヅハの意図を瞬時にルリは読み取ったらしい。彼女はかしこまりましたと軽く礼をして、ミヅハに日傘を返した。


 ミヅハは満足気に日傘を受け取ると、自分で差すのも平気なようで、そのまま三人に話を切り出した。それは周囲の喧騒に紛れるような、ひっそりとした声量で。


「あのハクジの元首。澄ました顔してるけど、ろくでもないよ。あの男」


 日傘がつくる影の下、眉を寄せて少年は続ける。


「別に祭事だけやっていろとは言わない。でも民族主義を謳っておいて、よりにもよって他国の人間を引き入れるなんて有り得ない」


「他国の人間?」


「そう。海ノ国はずっと前から圧力を受けているのさ、錫ノ国から」


 ハツメの問いに答えながら、ミヅハは重々しく続ける。


「ここ一年くらいでとうとう耐え切れなくなって、その圧力に対抗できる力が欲しくなっちゃったんだよね。……やめておけばいいのに」


「その対抗できる力というのは」


 思わず口から出たアサヒの言葉だったが、ミヅハはアサヒでも気にすることなく返した。


「反乱軍。あの砦の中、昔みたいにハクジの民だけがいると思ったら大間違いだよ」


 最後まで声は小さかった。だが警告にも近い少年の言葉は、三人の耳にしっかりと響いた。




 その後は簡素な黒曜石の首飾りを買ってきたルリと合流し、一行はハクジの砦を離れる。坂を下りながら屋台を物色していると、ハツメの目に魅惑の光景が映り込んだ。


 きらきらと輝く飴色の大きな玉。それが棒に刺さりいくつも並べられている。揃って光を反射するそれはまさに宝珠の連なりのようで。息を吸えばとても甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「買おうか、ハツメ」


 その林檎飴と同じように丸く瞳を輝かせるハツメを見て、アサヒが笑いながら問う。


「いいの?」


「もちろん。買ってくるから、皆で待ってて」


 そう言ってアサヒは少し離れた林檎飴の屋台へ歩いて行った。




 お待たせ、と戻ってきたアサヒの手には四本の林檎飴があった。一本は当然ハツメ。次の一本はルリに渡す。トウヤにも先日の礼と言って、正直少々安いとは思ったが一本を渡した。残る林檎飴は一本。


「ほら、ミヅハ」


「は? ……お前の分じゃないの」


「俺は甘いのはそれほど好きじゃない。ミヅハは好きそうだと思ったのだが、違うのか」


 研究室でお茶しているときのミヅハは、甘いお茶受けを「悪くない」と言ってよく摘んでいた。その様子を思い出して、アサヒは彼の分も買ってきたのだ。

 そして本人には言えないが、これまで苛々をぶつけてきた詫びの意味もあった。


「子ども扱いしないでくれる? ……貰ってやるけど」


 ミヅハはアサヒが差し出した林檎飴を受け取ると、気難しい顔で口を付ける。少し考えるようにしながら飴を舐めていた彼は、


「悪くない。お前もようやく分かってきたじゃないか、アサヒ」


 そう言って、ふ、と口の端を上げた。

お読み頂きありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ