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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第八十八話 野心を秘めた

 すっかり濡れてしまった衣と袴を物干し竿に掛け、アサヒは傾斜の急な舟屋の階段を昇る。

 代わりに着ているのはカナトの着替えだが、申し訳ないとは思わない。


 舟屋の二階に上がれば、そこでは各々腰掛けたカナトとトウヤが睨み合っていた。といっても難しい顔で睨んでいるのはカナトで、トウヤは冷ややかに彼を見ているだけなのだが。


「待たせたな」


 アサヒは二人に声を掛けると、どちらが近いともいえない距離のところに腰を下ろす。トウヤを見れば、彼の目は「全てを話すな」と言っていた。アサヒもまた目だけで頷くと、今度はカナトの方を見る。


「……探り合いは苦手だからそのまま聞くぞ」


 こういう時でも彼は真っ直ぐにアサヒを見つめると、切り出すのを我慢していただろう口を開いた。


「その呼子笛をどこで手に入れた? それと同じ笛を持つお方を俺は一人しか知らん」


「山ノ国で。……シンという人物から貰ったものだ」


「シン様……!」


 静かに紡がれたアサヒの言葉に縋り付くように、カナトは身を乗り出して声を張り上げる。


「シン様は今どこにいる! 探しているのだ、もう一年になる! 山ノ国か? どうなのだアサヒ!」


「今は分からない、俺も探しているんだ」


「シン様とどういう関係なんだ!」


「……待て! 早くも拗れそうだ。順に話そう、カナト」


 捲したてるカナトをアサヒが手で制すと、彼は前のめりの姿勢は変えずに、ゆっくりと頷いた。




 アサヒは出来るだけ感情を交えることなく、事実のみを淡々と話していった。


 シンとは山ノ国で共に戦を経験した関係だいうこと。

 冬明けの戦の後は共に花ノ国に渡り、その滞在中に野党に襲われシンとはぐれたということ。

 自分はシンから剣術を教わる立場で、そのこともあってこの呼子笛を譲り受けたということ。

 出来ることならシンと再会したいということ。


 野党の正体は錫ノ国だが、嘘は付いていない。

 そして、アサヒの出自や神宝(かんだから)との関係は一切話さなかった。


「……シンが錫ノ国の、第二夫人の側近だったことも聞いている」


 話を終えるときに、アサヒはそう付け加えた。

 カナトの口が滑りやすくなるように。


「そうか。……すまなかった。頭に血が上ってしまった」


 カナトが勢いよく頭を下げる。後ろに一つ結んだ髪束がぽんっと頭頂部で弾かれた。


「それで、カナトはどうしてシンを探しているのだ」


 頭を下げたままのカナトにトウヤは問い掛ける。


「ここまで聞いておいてカナトが話さないということはないだろう」


 その視線は話の前ほど冷たくはなかった。


 顔を上げて少し悩んだカナトは、自分を納得させるように頷いた。足を組み直し、居住まいを正す。


「……そうだな。ここまで聞いてしまえば、二人には話さなければな。シン様の弟子のようだし」


 カナトは彼なりの密やかさをもって、静かに語り出した。


「俺は錫ノ国の軍において第二夫人派だった者だ」


 第二夫人派の存在は知っているか、と聞かれアサヒは首を縦に振る。


「大陸統一には反対の派閥だ。アカネ様が御存命の間はな、何とか第一夫人派を押さえることで戦を起こさずに済んでいた。だが、アカネ様が亡くなったことでここぞとばかりに奴らは動き出した」


 カナトは顔を顰め、ぎり、と歯をくいしばる。


「それは戦に関してだけではない。第一夫人は第二夫人派を一掃しようと自身の兵を差し向けた。我々がいなくなれば宮殿での立場は確固たるものになるからな」


 アカネ様はおっとりしたお方だったが、譲らないところはしっかりしておられたから。そうカナトは呟く。


「仕方なく第一夫人派に渡った者もいる。責めることはできん、死んだ者だっているのだ」


 カナトはそう言って俯くと、藁色に焼けた畳の上に拳を打ち付けた。気を昂らせてはいけまいと、長く息を吐き出す。彼はそうやって気持ちを落ち着けると、顔を上げ、話を再開した。


「だが我々のように逃げ延びた人間も大勢いてな。そういった人間は国内で逃亡を続けるか、陸路か海路で海ノ国に逃げ込むか、どちらかを選んだ」


「カナトは亡命してきたのか」


 アサヒの問い掛けに彼はそうだ、と吐き捨てた。


「もうあの女……クロユリに好き勝手やられるのはたくさんだ! 大陸統一だってあの女の我儘でしかない。我々は、第一夫人派を討つことにした。あの女の言いなりになっている第一王子も含めてな」


「それはつまり――」


「錫ノ国をひっくり返す。我々は反乱軍を結成するつもりだ」


 そう言ったカナトの目は、これまで見てきた彼のものではなかった。野心がこもった瞳。こういった目を見るのはアサヒは初めてだった。


「だからこそ、第二夫人派を牽引していたシン様が必要なのだ」


 そもそも第二夫人派という存在を確固たるものとしたのがシンだと、カナトは言った。


「今反乱軍として旗を挙げても、将がいない。少しでも引っ張って下さる方が欲しい。シン様ならそれができる」


「それで、一年以上シンを探しているのか」


「そうだ」


 話は分かったが、果たしてシンがその誘いを受けるかどうかがアサヒには疑問だった。これまで見てきたシンと眼前のカナトでは、ひどく温度差があると感じた。


「話は以上だ。取り乱して済まなかったな」


「いや。疑われても仕方ない。しかし同じ人間を探していたとは……何か、手掛かりはないのだろうか」


「今はない。シン様を探しているのは専ら俺だが……そうだ」


 カナトは目を数回瞬かせると、アサヒに提案した。


「俺は定期的に都の外に出ては、シン様を探しに行くんだ。鎮魂祭が終わったら、シン様の故郷に赴こうかと思っていた」


「大陸の北の果てか」


「ああ。もし良かったらお前も来ないか、アサヒ」


 探しているのは同じだし、お前がいたら心強い。悪い話ではないと思うと、カナトは真剣な面持ちで言った。

お読み頂きありがとうございます。

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