第八十四話 手合わせ
アサヒとトウヤの二人は都で一番大きい広小路を下り、舟屋群へ向かう。
前にカナトに世話になった一軒の舟屋に行けば、以前別れ際に言われた通り、彼がいた。
「おおアサヒ! 待ちわびたぞ!……後ろの奴は連れか?」
屈託のない笑顔で出迎えたカナトが、横から窺うようにトウヤを見やる。
「トウヤと申す。山ノ国で神官をしていた。今日は一緒してもいいだろうか」
トウヤはいつもと変わらない声色で言うと、手を差し出す。
「もちろんだ! カナトだ、よろしく頼む!」
カナトもまた握手に応え、挨拶を終えた三人は早速移動して手合わせすることになった。
舟屋群を海岸線に沿って進み、大きな岩場に出る。海に対し崖のようにもなっている巨岩の脇から段差を利用して下り、波飛沫のかかる岩を飛び歩いて行けば、カナトが訓練場として使っているという砂浜があった。
確かに岩場は人目に付きそうな高台に位置していたし、凹凸を考えれば訓練には向かないだろう。この辺りではこういった砂場は穴場のようだ。
アサヒやトウヤも学術院で大っぴらに剣を振るうわけにはいかなかったので、ここで身体を動かせるならありがたいと思った。
「さて、どうしようか」
肩を回しながらカナトが聞く。
「手始めに俺とやってくれぬか、カナト」
そう言って前に出たのはトウヤだった。
弓と真剣を下ろし、舟屋から持ってきた木剣を一つ拝借する。
「ああ! 噂にきく山ノ国の神官が相手とは腕が鳴るな」
そう言って木剣を構えるカナトに、トウヤは少しだけ口角を上げた。
アサヒは少し離れたところで腰を下ろし、二人の打ち合いを観察する。
カナトの剣は本人の性格が良く反映された、真っ直ぐで大胆なものだった。
腕を目一杯伸ばし、横に薙ぐ。身長が足りない分、身体を大きく使うことで相手への到達点を延ばしているようだ。それでも大振りにならず反撃を許さないのは、彼の機敏さがあってこそ。
剣の腕は三剣将ほどではないが、雑兵よりは格段に強い。カナトが錫ノ国の軍にいたとするならば、階位はどのくらいだったのだろうか。
……いや、それよりも。
アサヒが目を見張ったのはトウヤの方だった。意外だが、本気でかかっている。
最初こそ様子見と言わんばかりにカナトの剣を受け止めていた。だが、カナトの実力が見えてくるにつれトウヤから仕掛ける回数が増え、剣勢が増していく。
こんなに強かったかと、アサヒはトウヤの動きを追う。
山ノ国に滞在していたとき。当時神伯だったビャクシンを除けば白兵戦一はヒザクラだった。トウヤはどちらかといえば周囲の戦況を把握して遊撃する戦い方を得意としていた。
花ノ国での彼はどうだっただろう。訓練の際は全力ではなかったように思える。逃走の際も別行動だった。
海ノ国に入ってからは、殆ど剣を交わしていない。
トウヤの本気を、アサヒはしばらく見ていなかった。
追い込まれたカナトの頭上からの一振りを、トウヤは左足を支点に反るように躱す。そのままくるりと身体を回転させると、右足を踏み込んで重心を移動させた。一旦カナトに背を向けた形だ。だが、トウヤは隙が生まれる前に、剣を持った腕の肘をぐんと伸ばした。
冷たい空気を裂く音と共に、トウヤの剣は、カナトの首筋に当たる寸前でぴたりと止まった。
砂上に木剣を落としたカナトが悔しそうに声を上げる。
「おのれ! 降参だ!」
そのまま勢いよく地面に腰を下ろせば、周囲に砂が散った。カナトは拗ねたように真下を向いている。
トウヤはカナトの正面に向いて片膝を付き、彼をじっと見る。俯いていたカナトと目が合うのを待ってから、トウヤは静かに口を開いた。
「なかなかの手練れだから本気でやらせてもらった。最近まで錫ノ国にいたと聞いたが……冬明けの戦には参加したのか」
――冬明けの戦。
錫ノ国が山ノ都コトブキまで攻め入った、ここ最近では一番大きな戦だ。山ノ国の被害は相当のものであったし、ヒザクラは重症、神伯であったビャクシンは戦死した。トウヤもまた、錫ノ国と聞いて何も思わないはずがなかったと、ここでようやくアサヒは気付いた。むしろ、よくここまで冷静に手合わせできたものだ。
「いや。大陸統一のための戦には参加しておらん。山ノ国の民には済まなかったと思っている」
カナトはトウヤの心境を正しく察したらしい。真っ直ぐ見返してそう言うと、がばっと頭を下げた。それこそ、砂が額に付く程に。
「頭を上げてくれ。俺もたくさんの人を殺めたのだ。戦に参加しなかったお主よりも、謝るのは俺の方だ。ただ確認がしたかったのだ。すまぬ」
真摯な態度のカナトにトウヤもまた謝ると、彼に顔を上げさせた。腕を差し伸べてカナトを立ち上がらせた頃には、二人とも手合わせの前の状態に戻っていた。
「さて! じゃあ今度はアサヒと手合わせ願おうか!」
「ああ」
元気を取り戻したカナトの誘いにアサヒは乗る。トウヤから木剣を受け取って軽く二、三振りしたところで二人は対峙し、手合わせが始まった。
「二人とも、いささか強すぎるのではないか!?」
アサヒもまたカナトから一本取った。カナトが弱いわけではない。カナトがそうであるように、アサヒもまた手を抜いてはいないのだから。全体としてみればいい勝負だった。
だが、他国の者に二連敗はカナトの誇りに傷を付けたらしい。特にアサヒに負けたのが余程悔しかったようだ。その日はとっぷりと日が暮れ、もういい加減にしてほしいアサヒが降参を口にするまで、手合わせは続いた。
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