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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第八十二話 旅芸者との再会

 木枯らしが吹くようになった。

 海ノ都に入ったときの紅葉の盛りはあっという間に終わり、地面に色を付けていた赤や黄や茶色といった木の葉はすっかり姿を消した。街を歩けば、代わりに足元に広がるのは暗い鈍色の石畳だ。


 その日の午前中、ハツメは研究室の掃除に来たルリを手伝いながらハクジの民について聞いていた。


 キキョウが読み散らかした書物を丁寧に分類分けしながらルリが言う。


「ハクジの里ですか? 都の傾斜をずーっと上に登ったところにありますよ。崖の中に住んでいるんです」


「崖の中?」


「ええ。先住民族の伝統衣装でないと里には入れてもらえないんですけど、外から見るくらいなら出来ますよ」


 最近は観光地みたいになっているので、と少し眉を下げたルリが微笑む。


「ハクジの民って少し閉鎖的なんです。だからあんまり余所と関わろうとしなくて、元首様も議会のとき以外は砦にこもっています。……あっ私は違いますよ! 全然閉鎖的じゃないです!」


 慌てたように両手を振ってもおっとりした雰囲気がなくならないルリにハツメは笑顔をこぼす。守りたくなる女性とはこういうものか、と一人で勝手に頷いた。


「ハツメさんって四神信仰にご興味があるんですよね」


「ええ」


「ハクジの民は海ノ神への信仰心が強いんですよ。特に神様を象徴する白い色にこだわりがありまして、特別なものにしか白を使いません」


 伝統衣装や書庫がその例らしい。


「都に建てられた白い建物……錫ノ国の文化はどう思っているのかしら」


「快く思っていませんね。民族主義の強いハクジの民と錫ノ国に親しみを持っている革新派は仲が悪いです」


 ルリはそう言いながら棚を拭き掃除している。こまめに掃除しているのだろう、拭き終わった後の雑巾は綺麗な空色を保っていた。


「私はあまり気にしないんですけどね。ミヅハ様も錫ノ国のお方ですけれど、快く私のお話を聞いて下さいますし」


 ミヅハが人の話を聞くのか。しかも快く? と、ハツメの頭に疑問が湧いたところで掃除は終わり、自然と話も終いとなった。




 午後からはハツメ、アサヒ、トウヤの三人でハクジの砦を見に行くことになった。観光名所にもなっているようだし、先住民族というのにも興味があったからだ。


 学術院を出て、なだらかな都の傾斜を登る。海風に背中を押されながら人混みを歩いていると、すれ違いざま、ハツメにとっては少し懐かしい声が耳に届いた。


「ハツメお姉ちゃん」


 左を向けば、そこには可愛らしい旅芸者の姿があった。鮮やかな赤の着物があどけなさの残る小さな身体によく似合っている。秋が置き忘れていった紅葉(もみじ)の葉のようだった。


「ケイ」


 ハツメが名前を呼べば、お久しぶりです、とケイは頬を染めて笑う。


「海ノ国に行くって言っていたものね」


「はい。こんなに早くハツメお姉ちゃんに会えるなんて、幸運でした」


 ケイはうきうきと口の前で手を合わせると、少し首を傾けてハツメの後ろにいるアサヒとトウヤを見やる。


「お友達ですか?」


「友達……そうね」


「色白のお兄さんは青蘭祭のときに一度お見かけしましたね」


 ケイがアサヒに微笑む。丸い瞳がきらりと輝いた。


「ああ、ハツメと花雲閣にいた芸者か」


「ケイって言います。よろしくお願いします。そこの、もてそうなお兄さんも」


 アサヒとトウヤを順に見て一礼する。流れるような挨拶は職業柄のように見えた。

 それ以外は特に思うところなく、男二人は名乗りつつ初対面の挨拶を返した。



「おや、旅芸者のケイではないか」


 そのように四人が集まっているところに掛けられた、今度は初めて聞く野太い声。ハツメが見れば、高価な着物に身を包んだ小太りの中年男性が立っていた。


「わあ、タイラ様! お疲れ様でございます。ご機嫌いかがでしょうか」


 明るく挨拶するケイに、悪くないぞ、そう言ってタイラと呼ばれた男は目を細める。好色の目をケイに向ける男は、品なくにたりと笑う。


「ケイ、今晩は空いているか」


「お座敷でしょうか、喜んでお受けいたします」


 ケイはそのタイラの様子を気にも留めず愛想を振りまいた。


「ではこの間の店でな」


「ありがとうございます、タイラ様」


 そんなやり取りを終えると、タイラはずんずんと大股で道を進んでいく。タイラの後ろにはお付きの者が三人いて、そそくさと主の背後に付いて行った。


「品がな……いや、偉そうな奴だな」


 タイラがいなくなった後で、アサヒがぼそりと呟く。品ないと言ってしまえば、そんな男を客として持て成さなければならないケイに失礼かと思い、言い方を変えた。


「タイラ様は海ノ国の革新派を牽引するお方ですから、あんな感じでも本当に偉いんですよ」


 そんなアサヒの意を汲み取ったケイがふふっと笑いながら話す。


「革新派……キキョウが言っていたな、錫ノ国に好意的な派閥だと」


「アサヒさん。キキョウって、学術院のキキョウ先生ですか?」


「ああ。よく知ってるな」


「ええ、仕事柄、何でも情報は入ってきますよ」


 ケイはそう悪戯っぽく言うと、突然くるりと回る。鮮やかな赤い袖が綺麗に浮いて、路上にふわり、花が咲いた。


「では、お座敷の準備があるのであたしは失礼します。また会いましょう、ハツメお姉ちゃん。アサヒさんとトウヤさんも」


 軽い足取りでケイは坂を下っていった。





 その後に見たハクジの里は、観光地らしい整った面だけ、しかも遠目で見ることしか出来なかった。


 崖にくっ付くように建てられた黒塗りの三回木造建築。その建物の内部からハクジの民が古来から住んでいる崖の中に入ることが出来るらしい。


 崖を見渡せば、所々に四角い穴が開いている。

 窓か、外敵に備えての矢狭間だろうか。

 純粋に窓であるならば、無数の穴が岩壁に開けられたその様子は、谷ノ国と少し似ている。内部も似通っていたりするのだろうかと、ハツメは何となく考えた。





 その日の夜、海ノ都の花街の、とある芸妓屋のお座敷にて。


「ケイ、今晩も良い舞だったぞ」


 上機嫌で酒をあおるタイラに、徳利を持つケイがありがとうございます、と隣で酌をする。もう何本目だろうか、ケイの勧めるままに男はまた一本を空にした。


 相当酔っている。タイラは膨れたお腹を揺らし、ケイに向けて腕を伸ばす。その下心丸出しの手を、ケイは笑顔のままするりとかわした。


「もう一度舞を見せてくれんか」


「いつも一回だけなんです」


 申し訳なさそうに眉を下げる可愛らしい旅芸者にタイラは目を離せず、頼む、と再びケイの舞を乞い願う。


「……では、タイラ様にだけ特別です」


 一度タイラのお触りをかわしたケイが、今度は四つん這いで彼に近付く。紅を引いた唇に人差し指を当て、大きな瞳でじっとタイラを見つめると、悪戯っぽく微笑んで小さな口を開いた。


「その代わり。私、一つお願いしたいことがあるんです」


 甘えるように、ケイはこてりと首を傾けた。

お読み頂きありがとうございます。

第三章、これで役者は揃ったはずです。

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