表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
83/194

第八十一話 海ノ国の歴史

「おかえりなさい、アサヒ」


 アサヒがカナトと別れ研究室に戻ると、戸口を開けて出迎えたのはハツメだった。

 まだ居候が始まってから数日しか経っていないが、こうしてハツメに「おかえり」と言ってもらうと、どこだろうが帰ってきたような気分になれる。

 アサヒは目を細めて、「ただいま」と返した。


「実はさっきまであの子……ミヅハが来てたのよ」


 廊下を進みながらハツメが言う。

 彼女の歩みに合わせて肩甲骨の辺りで小さく弾む黒髪を追いかけながら、アサヒは眉を顰める。


「どうしてまた」


「それが、私たちに用事があったんじゃなくて……」


 そう言ってハツメが部屋の戸を開けると、見るからに上機嫌で書物を開いているキキョウと、頬杖を付いてその様子を眺めるトウヤがいた。


「遅かったなアサヒ。まあミヅハと鉢合わせなくて良かっただろうが」


 トウヤはアサヒに声を掛けると、ほら、キキョウの方を見やる。

 アサヒがキキョウの方に目を動かすと、彼は鼻歌でも歌いだしそうな笑顔で書物をぱらぱらと捲っていた。彼の傍らには書物が無造作に積み上げられ、少しの振動で崩れてしまいそうだ。


「眼鏡」


 隣でハツメがひそりと囁く。

 アサヒがキキョウの手元をよくよく見れば、手持ち式の眼鏡が新調されていた。優美な曲線を描く銀縁が彼の指にぴったりと収まり、中にはまった硝子は限りなく透明に鮮明に彼の視界を透かしていた。銀細工や硝子加工の質を考えると、相当の価値があるのではないかとアサヒは思った。


「先程ミヅハがやってきて、キキョウに贈ったのだ。ありがたく賜れ、とか言ってな」


 トウヤが渋い顔で話す。余程気に入らない物言いだったに違いない。


「ミヅハ、また来ると思うわ。この贈り物の条件に、研究室通いの正式な許可を持ってきたから」


「ミヅハくんは小生の政治学教室の教え子でもあるし、まあ彼が周囲の世話係から逃れる言い分としては自然だよね」


 ハツメの言葉にキキョウがうんうんと呑気に頷く。


「……そういうのを買収っていうんじゃないのか」


「やだなぁアサヒくん。政治の世界では『共存共栄』っていうんだよ」


 にっと笑ったキキョウが眼鏡を持ち上げると、滑らかな銀の縁がぎらりと眩しい光沢を放った。それがミヅハの自信あり気な刺々しい目を思い出させて、アサヒは憂鬱になる。先生は政治の世界から身を引いたのではなかったのですかと、誰かに突っ込んでほしい気分だった。




 アサヒとハツメも各々寛ぎだしたところで、自身も書物に目を落としていたトウヤがキキョウに話し掛けた。


「ところで、海ノ国は国王がいない共和制国家なのだろう。統治はどうなっているんだ」


「ああ、トウヤくんは山ノ国の神官だったんだっけ」


 キキョウは机の書物から顔をあげると、トウヤのいる方向に座りなおす。椅子の背にもたれ、のんびりと手を組んだ姿勢で政治学の教員は話し出した。



 海ノ国では古来からの先住民族と、そうではない新しく住み着いた人々が共生している。

 それは三十年前の大戦以前からの話だ。


 大戦以前は先住民族の長の血族が王として海ノ国を統治していたが、三十年前の大戦で王の血筋は完全に途絶え、統治下に置いた錫ノ国は代わりに先住民族以外の者を統治者に据え支配を任せる。当然、自分たちの息がかかった者だ。


 その状態が五年続き、大戦が終わった後。

 四国、すなわち谷ノ国を除いた四つの国の会談で、王のいない海ノ国は共和制となることが決まった。

 議会制度をつくったのだ。

 山ノ国と花ノ国が再び先住民族の者を元首に推したことで、錫ノ国が据えていた統治者は引くことになった。


 この名残は今の議会にも存在し、大戦後に元首となった先住民族中心の派閥は保守派、錫ノ国が据えていた統治者の派閥は革新派として議会を二分しているそうだ。

 二分といっても、議会制定後は二十五年間、保守派の者が元首を引き継いでおり、革新派はなかなか日の目を見ていないようなのだが。



「先住民族の派閥は民族主義の色が強くてね。新しく入ってくる文化を毛嫌いしているんだ。逆に革新派は錫ノ国の先進的な文化を取り入れたい。革新派もそれだけなら良いんだけど、あからさまに錫ノ国に尻尾を振っているからなあ」


 まあ王制にしたところで良い国になるかは別問題だから致し方ないと思ってるよ、と言ってキキョウは話を締めた。


「ふむ。参考になった、感謝する。その大戦があった頃といえば、キキョウ殿は花ノ国の文官か」


「そうだよ。まだ青二才だったけど会談の場にもいたし、議会制定にも関わった」


 学術院の教員になるだけあって凄い人だったようだ。レイランたちの師と言うだけはある。


「今の話の先住民族って、どこにいるんだ」


 一緒に話を聞いていたアサヒが言う。


「大体は都の傾斜をずっと上ったところ、今は都に合併されたけど、昔から『ハクジの砦』って呼ばれるところに住んでるよ。でも今は、こっちに降りてきて生活している人も多いかな」


 ハクジ、とアサヒは言葉を繰り返す。遠い昔書物で読んだことがあったような、なかったような。


「そう。先住民族のことをハクジの民っていうんだ。先住民族といえば、谷ノ民もそうだよね」


 四神が大陸に降り立った頃から谷ノ国にいるんだからさ、とキキョウは目を細める。


「ルリくんはハクジの民だよ。今度聞いてみたら?」

お読み頂きありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ