第八十話 カナト 二
アサヒが階段を降りると、民家の中だというのにすぐそこに海水が張っていた。
海面には舟が一隻浮かび、舟の先は地平線まで続く海へと向いている。舟を囲むように板張りの床が通路のように巡らされており、漁具や生活品が雑多に置かれている。民家の一階は船揚場となっていた。
カナトに聞けば、この民家は一階が船揚場、二階が生活の場となっているらしく、海ノ国に伝統的に残る舟屋という家の造りなのだそうだ。
舟屋を出ると、曲線を描く海岸線に沿って同様の民家が視界の先まで続いていた。数百軒続くというその舟屋群は圧巻の眺めだった。
「仮住まいとして二階部分を借り上げているんだ。夜は漁のかがり火が見えてな、中々いいぞ」
カナトはそう言ってアサヒの前を歩く。
海岸線から坂を上るようにして都の中心部へ戻ると、カナトは一軒の飲食店に入る。
白く塗られた石造りの店の内部は、外観同様にざらざらした石の壁と床からなっていた。唯一違うのは、白く塗られた上から装飾的な模様が描かれていたということか。床はそれほどでもないが、壁には植物の蔓や花、果実を模した図柄が色彩豊かに表現されている。
カナトが料理の注文を終えた後で、アサヒは口を開く。
「木造の家と随分違うんだな」
「そうだな。木造の家は海ノ国に元々あった形式の建物だが、この石造りの建物は錫ノ国の文化だ。三十年前の大戦時に造られたのが最初らしいぞ」
「へえ。それでこの都は二種類の建物が混在しているのか」
「ああ。当時は錫ノ国からの移民も多かったようだ。今も二世をしょっちゅう見かけるしな」
そうこう話しているうちに料理が届いた。
大きな器からはみ出すように盛られた、多種類の魚の切り身。弾力のありそうな大きな切れ端たちが、色鮮やかに、光沢をもってアサヒの目に訴えかける。自分たちはつい先程まで生きていたぞ、と。
以下、二人のやり取りだ。
「生魚か」
「初めてか」
「ああ。この小さくて赤いのはなんだ」
「いくら。鮭の卵だ」
「そうか。ちなみにこれは」
「烏賊だ」
「こっちは」
「鯛だ」
「これは」
「それが鮭……ええい面倒くさい!」
アサヒの質問攻めにしびれを切らしたカナトが声を張り上げる。
「いいから食え! 美味いから!」
そう言ってカナトは器の上から半透明の黒の液体をかけると、器を片手で持ち上げて口にかき込む。
彼らしい豪快な食べ方だ。自分も食べようと思ったアサヒだが、その前に一つ。
「すまない。この黒い液体はなんだ」
「醤油だ! そんなのも知らんのか!」
「ああ。醤油は口にしたことがある。悪いな」
何が初めてで何がそうでないかも判断できないくらい、アサヒにとっては衝撃の体験だった。
ちなみに魚介類の下は白米が敷き詰められていて、上と一緒に食べるとこれまた美味。
食欲がなかったことも忘れ、アサヒはその大きな丼ぶりを完食した。
アサヒにとって生涯の好物になる、海鮮丼との出会いだった。
満足な食事の時間を過ごした二人は都の中心部を歩く。
「今度手合わせをしてみないか、アサヒ」
「それは良いな」
アサヒとカナトはすっかり打ち解けていた。アサヒは割と人見知りをする性格だが、カナトの竹を割ったような性格と、シンに似たいでたちを彼は気に入っていた。もちろん、カナトが錫ノ国の人間だということは忘れてはいなかったが。
ああそうだ、と思い出したようにカナトが言う。
「アサヒの出身は山ノ国か」
「ああ、そうだ」
谷ノ国と馬鹿正直に答えることは出来ない。そうすると山ノ国か花ノ国だが、まあ剣は山ノ国のものだし、相手もそう思っているようなので山ノ国ということで肯定しておいた。
するとカナトは声音はそのままに、
「山の国にはお前のような顔立ちの者が多いのか」
アサヒの顔をじっと見ながら、問う。
「……どういう意味だ」
「えーと、その……言いづらいが錫ノ国の人間でな、お前のような容姿を好む奴がいて……そいつが山ノ国の人物を追っかけているものだから、お前もそんな容姿だし、山ノ国には多いのかと思った次第で……気を悪くしないでくれ」
話しているうちに気まずくなったのか、しおらしくなったカナトに、アサヒは冷静に答えた。
「大丈夫だ。俺みたいな容姿の人間が多いかどうかは分からないな。そんなこと気にしたことがない」
この男はその山ノ国の人物が話し相手という可能性を考えていないのだろうかと、アサヒは疑問に思う。少なくとも自分の正体に気付いていて話題を吹っかけているようには見えない。
それに、ミヅハにも『あいつが好きそうな顔』と言われている。周囲の認識では追いかけられている理由が完全に容姿になっているようだ。普通に考えてそんな馬鹿な話があるか、と思うのだが、第一王子を知る者が納得しているのだから不気味極まりない。
「その、容姿を好むという話はそもそも何なんだ。そいつがそういった見た目を好むような理由があるのか」
あくまで他人事のように、淡々と言葉を紡ぐようアサヒは努める。
「公には知られていないが、その男は特定の容姿の者を側に置いて、優遇しているのだ。男女貴賤関係なくな。庶民の宮殿入りなんて滅多にない話だから、実際の人選が容姿だと知らない国民たちは一度は憧れる。宮殿を出入りする者でなければ知り得ないことだろうから仕方ないのだが」
「……それっていつからだ」
「詳しくは知らんが俺が宮殿に入るずっと前かららしいぞ。ここ数年とかではない」
アサヒは勘付いた。おそらく第一王子は自分の容姿に似た者を集めている。信じたくはないが、そうでもなければミヅハの言葉の説明が付かない。気が遠くなりそうな話だ。気持ち悪いでは済まなくなってきた。
しかし、こいつもよく口を滑らせるな、とアサヒはカナトを見やる。今の話し方なら間違いなく第一王子の話だし、カナト自身が宮殿に出入りしていたことも明かしている。わざとだろうか。ただ遠回しに話せない、隠し事の出来ない性格なだけなら良いと願う。
「その目を掛けられた奴も大変だな」
「全くだ。まあ向こうに行ってしまえば好待遇だろうがな。……しかし、変な話をして悪かった」
カナトは難しい顔で話を終わらせるとアサヒの肩を叩く。
「じゃあなアサヒ。大体午後は今日の舟屋にいるから、ぜひ手合わせに来てくれ」
「ああ、こちらこそ頼む」
気付けば夕日が海の方角へと傾いていた。赤らんでいく地平線を見ながらアサヒは帰路に着く。
後半の話を踏まえても、アサヒはカナトと手合わせするつもりだった。純粋にカナトの実力を知りたかったということもあるし、今まで知り得なかった錫ノ国の話は興味深く、また敵情も探れるのではないかと思ったからだ。
シンは錫ノ国の話を極端にしなかった。
そのことに気付いていながらの判断だった。
お読み頂きありがとうございます。




