第八話 生きる術
谷ノ国を出てから三日が経った。
黙々と森の中を突き進む。これだけ歩くと、少しずつ森の様子も変化してきた。最初の頃は広葉樹が辺りを占めていたが今はぐっと減り、殆どが針葉樹だ。少しずつ登ってきているのだとアサヒは言っていた。
昼は日光がさんさんと木々に降り注いでいたが、夕暮れになると辺りに影が増える。ここ数日で日没が早くなった気がする。秋が近付いているのだろうか。
「今日はここで休みましょう。少し辺りを見回って参ります」
シンを見送ると、ハツメとアサヒは木の根元に各々腰を下ろした。
野営をする際、シンは辺りの見回りを欠かさない。成人したばかりの二人を連れた旅は楽ではないだろうに、ハツメは心から感謝すると同時に、申し訳なく思う。
谷ノ国から出たことのなかったハツメは外の世界での生きる術を知らない。だからと言ってこのままではいけないと感じ始めていた。
「少し遅くなりましたが、良いものが手に入りました」
しばらくするとシンが帰ってきた。嬉しそうに担いできたものは、牡鹿だった。シンはそのまま牡鹿を地面に置く。どしん、と肉が揺れる音がした。
「ひっ……」
動物を間近で見たのは初めてだ。ハツメは思わず身体を仰け反って、顔を引きつらせてしまう。アサヒは目を見開いて固まっていた。
「もしかするとお二人とも、獣肉を食べるのは初めてですか」
「え? これ、食べるのですか?」
ハツメは狼狽えながらよろよろと身体を起こしてシンに問う。
「はい。乱獲は好まれませんが、狩猟で得られた獣は世界で広く食べられていますよ。もちろん肉だけでなく、角や毛皮も利用します」
大切な資源なのですよ、とシンは口にした。
「谷ノ国では魚か森での採集物しか食さない上、たまに峡谷に来る動物を見るくらいしか機会がない。食べるどころか、こんなに近くで見るのも初めてだ」
アサヒの説明にハツメも頷く。
「そうでしたか。獣肉は栄養価も高いですし、何より保存食より美味しいですよ。あまりお嫌いでなければ、どうぞお食べになって下さい」
そう言って、シンは白い布を解いて、鉈を取り出す。鈍い光を放つ鉈を見て、ハツメは三日前に掠め見た錫ノ国の戦士たちを思い出した。戦士たちの片手には大剣が握られていた。
食べるための鉈とあの剣を一緒にするつもりはない。だが振るう理由がどうであれ、その先がなんであれ、皆生きるために刃を握っている。
「シン、私に獣肉の捌き方を教えて下さい」
「ハツメ?」
アサヒは驚くようにハツメを見るが、構わず続ける。
「私はこの通り、外の世界を知らない全くの世間知らずですが、このままではいられません。アサヒの足手まといにだけはなりたくないのです。どうか私に出来ることを教えて下さい。生きる術を教えて下さい。お願いします」
ハツメは頭を下げて頼み込む。
「途中で止めない覚悟があるのでしたら、喜んでお教えします」
頭を上げると、シンが優しげな表情でハツメに鉈を差し出していた。
夕飯にありつけたのは夜も更けてからだった。初めての解体に四苦八苦するハツメだったが、シンは丁寧に教えてくれ、アサヒも何も言わずじっとその様子を見つめていた。
解体した鹿肉はいくつかの塊に分けてある。明日には国境の町に着くので、そこで正しく加工すればこれでしばらくは食べていけるのだそうだ。角や毛皮もそこで売るという。
ハツメはじわっと焼けた鹿肉に恐る恐るかじり付く。
「……美味しい」
「ああ。美味い」
アサヒもそう言って、二口、三口と食べ進める。
温かい飯は久しぶりだ。頂いた牡鹿の命に感謝する。ハツメは谷ノ国を出て初めて、生きていることを実感するのだった。




