第七十七話 三番目の思惑
上機嫌のミヅハが、手遊びのように弄んでいた短剣を納めた。
「さてと……いつまで僕を立たせておくつもり? 椅子とお茶。早く準備して」
当然のようにそう言い放つ。
その尊大な態度にハツメたちは思わず眉を顰める。立ったまま動けないでいる三人の横で、キキョウが「はいはい」と言って動き始めた。
「お前も。その剣、置けよ。僕に何かあったらどうなるかくらい、想像もできないの?」
ミヅハが挑発的にアサヒを見る。
アサヒは呼吸二つ分、じっとミヅハを見つめた後で、何も言わず剣を戻した。
「はい、ミヅハくんの椅子。あとこれ冷たいお茶ね」
キキョウが息を吐きながら準備を終えると、ミヅハは椅子に体重を預けて脚を組んだ。ばさりと音を立てて揺れた袴の裾から、細い足首が覗く。
彼はお茶を一口飲み込むと、すぐに渋い顔をした。
「……美味しくない」
「ルリくんがいないから許してよ」
キキョウはもう慣れているのか、苦笑いだ。
「そうだね、深夜にあいつを呼ぶわけにはいかないか。……ああ。言っておくけど、僕がここに来た理由はルリとは全く関係ないから。あいつは何も話してないよ」
この部屋で唯一椅子に腰掛けているミヅハが、流暢に話し始める。
「大体、四神のことを調べようとする人間ってここでも少ないからね。ちょうど谷の娘が海ノ国に来たって話があったこの時期に、お前らくらいの歳の人間があそこにいたら想像はつくよ。花ノ国経由なら、学術院の伝手はキキョウくらいだろ? ここによく出入りするルリもいたしね」
全部僕の予想、とミヅハは笑うと、彼の鋭い目がハツメを捉える。
「じゃあ改めて、僕が錫ノ国の第三王子、ミヅハだよ。よろしくね、谷の娘」
ミヅハが首を軽く傾ければ、潤った黒髪が肩の上で揺れる。
よろしくとはどういう意味だ。ハツメは少しだけ顎を引いただけで、何も言えなかった。
「で、あとの二人は山ノ国の人間なんだっけ」
ハツメの態度をミヅハは気にしなかった。
今度はトウヤをちらりと見やり、その後でアサヒと目を合わせる。表情を変えない不機嫌なアサヒを見て、ミヅハの顔が少しだけ険しくなる。
「噂には聞いていたけど、見れば見るほどイチルの好きそうな顔だよね。……気色悪い」
ま、どうでもいいけど、とミヅハはアサヒから視線を逸らす。そのまま彼は不快感を流すように、さきほど美味しくないと言った冷茶を口に運んだ。
「それで、ミヅハくんは何でここに?」
もう夜も眠いよ、といまいち緊張感の足りないキキョウが聞く。
「うん。せっかくここにいるならちゃんと会っておこうと思ってさ、谷の娘に。……書庫じゃ人目もあるしね。それだけだよ」
ミヅハはそう言ってハツメを見る。横暴な態度は徐々に抜けてきていた。
「神宝は天剣と天比礼、両方あるんだよね」
そう問いかけるミヅハからは何故か敵対の意が感じられず、ハツメはようやく声が出せるようになる。
「ええ」
「ふーん。ま、せいぜい大事に持っておくことだね」
「言わないの? ……その、貴方の家族に」
家族、と言ったはいいものの変な感覚だ。それが錫ノ国の王族で、アサヒの親族のことだと思うと、ハツメ自身、とても不適切な表現に思えた。
「はっ。……家族ねぇ。あんな状態でどっちに言えば良いんだろうね。父? イチル?」
ミヅハもまた家族という言葉に鼻を鳴らす。
そして国王と第一王子の目的が違っていることは彼も知っているようで、皮肉そうに口を歪めた。
「言っておくけど、僕はどちらの味方でもない。命に関わらない限り、どちらに付くつもりも無いんだよね。……その命を心配しなきゃいけないところが嫌なんだけど」
はぁ、と溜息を吐いた後で彼はハツメを見つめる。
「だからさ、僕は自分の身を護るための盾が欲しいわけ。少しでも多く。……谷の娘、お前に関してはかなりの利用価値があるんだ。だからしばらくここにいろ。言わないでおく代わりに、僕の切り札になって貰うよ」
ミヅハの目は真剣だ。
「もちろん、拒否権なんてないよね。ここからいなくなったらすぐに告げ口するから。どこにもいられなくしてやる」
眉を寄せて口を結ぶハツメに構わずミヅハは言い切ると、椅子から立ち上がる。
「じゃあそういうことだから。ここにいる間は安心して良いよ。僕はあいつらと違って約束は守るし、切り札は最後まで取っておくつもりだから」
じゃあね、と手を軽く振ってミヅハは帰って行った。
彼がいなくなった後に漂う気まずい空気。
暗い表情の三人を見て、キキョウが口を開く。
「うーん……まぁこんな形にはなっちゃったけど、ミヅハくんとは仲良くした方がいいよ。根は良い子だし。それに」
白髪をぐしゃぐしゃとかきながら彼は続けた。
「あの子、学術院の誰よりも四神のこと詳しいからね」
ミヅハもアサヒが第二王子だとは知りません。
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