第七十六話 学術院の書庫 二
ハツメたちを見て邪魔だと言い放った少年はそのまま数歩、彼女たちに歩み寄る。
少年の服装は爽やかな白衣に、黒と白の縞袴。ここに来る間にも何度か見かけた、学術院の制服だ。
身長はハツメよりもやや低い。歳は十二か十三。だがあどけなさはそれほど感じられず、大人びた印象を受ける。
艶のある髪が肩に付かない辺りまで伸び、前髪は眉の上で短く切られている。整った眉の下ではきりりとした二重の目が存在感を放ち、口鼻も含めて均整の取れた顔立ちだ。日の光を知らないような透き通った肌や控え目の唇は若さ特有の瑞々しさを含んでいた。
薄暗くてもわかる、美少年だ。
少年が不機嫌そうに細い首を傾ければ、滑らかな頬骨にするりと漆黒の髪がかかった。
「聞こえなかったの? 邪魔、なんだけど。大体ここにお前らみたいなのが読むような本なんて……」
『邪魔』のところを強調して話す少年はちらりとハツメの手元を見ようとする。焦ったハツメは、さっと書物を背に隠した。
改めて、少年はゆっくりと一行の顔を確認する。
値踏みするようなその視線に、ハツメは胸倉を掴まれたような息苦しさを覚える。年下にもかかわらず、この威圧感は何なのか。少年は全ての虚偽を見逃さないと言わんばかりに、疑い深くハツメたちを観察していた。
嫌悪感を隠さずに一行を眺めていた少年だったが、三人の陰になっていた人物に気付いて、ふっとその表情を和らげた。
「あれ。ルリじゃないか」
「お疲れ様です。ミヅハ様」
三人の隙間からひょっこりと顔を出したルリがたおやかに笑い、丁寧に頭を下げる。
「そっちもご苦労様。ふーん……お前もいたのか。……まあ良いや。僕これからしばらく書庫にいるけど、ルリも付き合ってよ」
少年は少しの思案の後、ルリに向かって口の端を上げる。
キキョウに頼まれて書庫の案内役になったルリが、どうしたら良いのか悩むようにハツメたちを見る。
「なに? この僕よりそいつらを優先するわけ?」
「私たち、自分たちで帰れるから大丈夫よ。案内してくれてありがとう」
ルリが気の毒なのと、早くこの少年から離れたいと思ったハツメはルリに微笑みかける。
「ありがとうございます。では、わたしはここで失礼させて頂きますね。どうぞお気を付けて」
ほっとしたルリは少年と同行することに決め、ハツメたちに礼をする。
「分かったらさっさと行けよ。僕の視界に入るだけで不快なんだよ、庶民が」
顎を上げ三人を睨む少年。目線的には身長が少し足りないが、ハツメが見下されていると思うには十分に威圧的だった。
既に書庫での用事は済んだため平気ではあるのだが、何だか釈然としないまま、追い払われるようにハツメたちは書庫を後にした。
キキョウの研究室へ帰りながら、アサヒは小さく呟く。
「ルリの奴……あいつのことミヅハって言ってたよな」
ハツメも気付いていた。
シンから聞いた時の記憶が正しければ、錫ノ国の第三王子の名前だ。
「海ノ国に留学中だったか。一応キキョウに確認しないとな」
アサヒが前髪をかき上げ、憂鬱そうに息を吐く。
「しかし、あの言い方は何とかならんのか。庶民とは何だ」
面白くなさそうな顔でトウヤが言うと、それに答えるように、アサヒも苦々しく頷いた。
先程の態度が普段のものなら、相当捻くれた性格だ。父や異母兄に一目会っているアサヒは、決してまだ見ぬ親族に期待していたわけではないが、それでも落ち込まずにはいられない。どう育てばああなるのだ。異母弟もあれはあれで問題ありだ。
だが、今の問題は彼の性格そのものではなく。
「あいつが本当にそうだとして……俺たちのことを知られたらまずいよな」
「あっちの人だものね」
「関わらないに限るぞ」
もう会わないようにしたい、そう話した三人だった。
その日の晩。
穏やかな秋の夜長、居候先での初めての夜を迎え、キキョウと三人が一室に集まり話をしている最中だった。やはり書庫で会った人物は第三王子のミヅハだと判明し、アサヒが再び気落ちした頃。
固く閉められた研究室の戸口が、激しく叩かれた。
「なんか早速嫌な予感が……」
キキョウが重い足取りで戸口へ向かう。
三人は部屋に待機したまま、気配を消し、耳をそばだてる。
アサヒは音を立てないようにそろりと壁際に移動すると、立てかけておいた剣にすっと手を掛けた。
ぎし、ぎしと木床を踏みしめる音が部屋に近付く。
それと共に聞こえてくる二人のやり取りは、緊張感のない日常会話のようだった。
「なんでまたこんな夜中に?」
「僕だって抜け出すの大変なんだよ。それなのに追い返そうなんて、先生としてどうなの? お前」
「生徒の夜の徘徊は推奨しかねるからね」
「はっ。そんなこと気にする奴だとは知らなかったよ」
ぴたり、足音が止む。それに合わせて会話もなくなった。
ふっと訪れる静寂。一枚戸を隔てた向こうには、キキョウともう一人、会話の相手がいるはずだ。
ハツメの耳が緊張でおかしくなっていなければ、その相手は昼間の人物。
ゆっくりと戸が開く。
戸を開けたのはキキョウだった。戸口に向かったときとあまり表情が変わらない彼の首元には、背後から回された短剣が光っていた。
キキョウがそっと部屋に入れば、彼の背後から現れたのは予想通りの人物だった。
「ほら、やっぱりいるんじゃないか」
ぱっと彼から短剣を離した少年はハツメたちを見て満足気に口の端を上げる。
「君も荒っぽいこと出来るんだね、ミヅハくん」
解放されやれやれと肩を揉むキキョウに、
「当たり前だろ。僕だってあの国の王族なんだから。……ま、血の気の多さで言ったらイチルほどじゃないけどね」
と笑いながら短剣を弄ぶ、尖った目付きの美麗な少年。
その台詞を聞けば間違いない。
彼が錫ノ国の第三王子、ミヅハだった。
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