第七十三話 一行の噂
少し話をしよう、そう言ってキキョウは不精に伸ばした白い前髪の隙間から怜悧な目を覗かせる。
「じゃあまずさ、錫ノ国の第二王子はどちらかな?」
「俺だ」
アサヒがすっと手を挙げた。
「……ああ、なるほど。じゃあそっちの男の子は?」
「山ノ国の神官をしていた、トウヤと申す」
軽く頭を下げたトウヤを見た後、キキョウは顎に手を添える。
「書簡の内容からすると、一人、足りないかな? ……ああ、ごめんごめん。追われる旅だもの、そういうこともあるよね」
表情を硬くした三人から察した彼はすぐに謝ると、苦々しい顔になって続ける。
「最初に言っておくけど、自分は戦えないからね。何かあったら一番に逃げるよ、うん」
「それは別に大丈夫です。むしろ、面倒を見て頂けるだけで何とお礼を言ったらいいのか……」
恐縮な思いでハツメは机の上に視線を落とす。
「ハツメくんだっけ。良い子だね、君は。良い子な君に教えてあげるけど、その天剣は柄の部分も隠した方がいい。今までは大丈夫だったかもしれないけど、見る人が見れば分かるよ、それ」
キキョウはそう言って彼女の腰に下げた剣を見やる。
「君たちがどれだけ自分たちの立場を分かっているか知らないけど、言っておこうかな」
小生の命にも関わりそうだしね、そう言って口の端を上げると話を切り出した。
「多くの人が知ってるわけじゃないけれど。錫ノ国経由の情報でさ、谷の娘さんのことは流れてくるんだ。神宝のことで軍に命を狙われてる……あと、これは知ってるかい? 国王の方の話」
「ああ。花ノ国を出るときに聞いた」
アサヒが不快気に答える。
「そう。じゃあ聞いた通りかなぁ。国王の方は、生きた状態の谷の娘さんと神宝が欲しいんだよね。錫ノ国も一枚岩じゃないんだ。どちらも別の目的で谷の娘さんを狙ってる。で、書簡に書かれていた君の素性の方だけど」
キキョウはアサヒを見据える。見定めるような彼の視線にアサヒはきつく口を結んだ。
「こっちにその情報は入ってきてないね。初耳だ。多分、錫ノ国でも隠されてるよ。それも厳重に」
「なんでまた……」
「まあ第二王子が生きているなんて話が広まったら、都合の悪いことばかりだからなあ。前は第二夫人派だっていたんだしね。それはともかく、君の噂はね。……あんまり聞きたくないかもしれないけど」
聞きたくない、アサヒが小声で呟いたが、それは無視された。
「第一王子に目を掛けられた山ノ国の貴人、ということになっている。小生の耳にまで君の外見的特徴は届いているから、アサヒくんとトウヤくんならアサヒくんって分かると思うよ。まさかその君が第二王子だとは思わなかったけどね。あと、無傷で捕えろってお達しなんだよね、第一王子の部下も君も気の毒だ」
「山ノ国の貴人だと? アサヒがか?」
正真正銘、山ノ国の貴人だろうトウヤが首をかしげる。その反応にキキョウもまた首をこてりと傾けた。
「山ノ国にいたんじゃないの?」
「いや。育ちは谷ノ国だ」
自分のことを聞くのも聞かれるのも好きではない。そんな顔でアサヒはぶっきらぼうに答えた。
「へえ。そりゃあ驚きだ。書簡にも書いてなかったな、レイランくんめ。じゃあ神宝はどうなんだい?」
「一応触れる。使うことはできないが」
「はー……面白いね、神宝って」
キキョウの目の奥がきらりと光る。今の話はそれじゃないと誰も反応しないでいると、彼は申し訳なさそうに話を元に戻す。
「ああごめん。とにかく話をまとめるとだね。錫ノ国は今、軍をまとめている第一王子と、国王でそれぞれ動いている。第一王子の方から出ているお達しは、谷の娘さんの命を取ること、そして山ノ国の貴人ということにしている君を連れ帰ること。国王の方は谷の娘さんと神宝を持ち帰ること。……どちらも別々の筋の情報なんだ。大変だよねえ、大きい国は」
さっさと政治の世界から身を引いて良かったと、キキョウは他人事のように苦笑いした。
彼にとっては他人事に違いないが、ハツメたちにとっては命が懸かっている。良かったですねなどと嫌味を言える性格でもないハツメは、湯呑みの中の凪いだ冷茶を見ながらただ居心地悪く椅子で固まっていた。
「……ところでさ、レイランくん経由ってことは天比礼も持ってるのかな? 良い機会だから、両方見せてほしいなぁ。駄目?」
話が終わって息つく間もなく、キキョウの口調が柔らかくなる。いつの間にか真剣みが消え、頬が緩むのを我慢したような表情の彼の目には、押さえきれない好奇心がちらついていた。
「……いいのかしら?」
「まあ、世話になるお代だと思えば良いんじゃないか。ハツメがいいなら、だけど」
ハツメがちらりと横のアサヒを見れば、アサヒも困ったように答えた。
目の前のキキョウは、既にいそいそと机の上を片付けている。
別に見せたからといって減るものでもないだろう。それにキキョウはレイランたちの師だ。神宝に詳しいに違いない。そう思ってハツメは腰に差してある天剣と、懐に綺麗に折り畳み仕舞っていた天比礼を取り出した。
このキキョウという男、面倒臭がる態度を取る割には茶は淹れてくれるし、ハツメやアサヒの事情を他人事のように話す割には渦中の神宝に食い付いてくる。
白髪の男が楽し気に神宝を観察し始めたのを見て、この男の言動を気にしても疲れるだけだと思った三人は、開き直って寛ぐことにした。綺麗な部屋ではないが、慣れると気にならないものだ。
「神宝のことをレイランたちに教えたのって、キキョウさんなんですよね。その研究をされているんですか?」
触らないよう気を付けながら神宝を一心に眺めるキキョウにハツメが質問する。正直無視されても構わないと思って聞いたのだが、熱中すると周りの音が聞こえなくなる類の人種ではないらしい。視線はそのままで彼は答える。
「いや、専攻は政治学だよ。昔は花ノ国の文官だったんだけど、人とやり取りするの疲れちゃってさ。ヒメユキくんに任せられるようになったからこっちに来たんだ。それに研究とはいってもね、小生はもうだらだらと好きなように余生を送るだけだよ」
「余生を考えるような歳にも見えないが」
率直なアサヒの言葉に、まあいいじゃない、そう言って彼はへらりと笑う。
「四神のことは花ノ国で必要だから調べ始めたんだけどね、これは趣味みたいなものだなぁ」
目を輝かせて天比礼に見入るキキョウ。
「趣味にするってことは四神信仰、好きなんですね」
「そうだね。でもここにはわたしよりもっと凄い人も……あ」
ハツメの言葉に答えていたキキョウが何か思い出したかのように動きを止めた。
「どうした?」
冷茶を一口飲んだアサヒが湯呑み越しに聞くと、キキョウはちらりとアサヒを見る。
「いや、君ほんとに第二王子なんだよね?」
「ああ」
「それ、絶対ここでは隠してね。いや、隠すのは当然なんだけど。とにかく隠して」
小生も今から君の素性は忘れるから、と白髪の男は難しい顔で念押しした。
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