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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第三章 海ノ国編
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第七十二話 キキョウ

 学術院の掃除婦というルリの案内で、三人はキキョウの研究室兼自宅へと向かう。何でもここの教員は研究室と自宅を一緒にする者が多いらしい。そんなに大きい部屋なのかとルリに聞けば、庶民の民家の三倍の広さはあるようだ。


「でも、キキョウ先生はどんなに広い部屋でも物で溢れかえしますからね。わたし、先生に個人的にも雇ってもらっていて、定期的にお掃除に行くんですよ。実は今日もその予定でした」


 その際の部屋の様子でも思い出したのか、彼女は控え目に笑みをこぼした。


「はい、着きましたよ。ここがキキョウ先生の研究室です」


「部屋っていうよりお屋敷ね……」


 四人の前には木造一階建ての一軒家。ルリに聞いた通り、庶民の民家の三倍の広さはある。

 薄く黒塗りされた板張りの壁に、黒い瓦屋根。

 先程まで海ノ都で眺めていた木造の住居と基調は変わらないが、窓に透かし彫りの木枠がはまっている。よく見れば所々に花ノ国のものを取り入れているようだった。


「先生、失礼します」


 からりと引き戸を開けルリは中に入る。ハツメたちもそれに続くと、飛び込んできたのは屋敷内の凄惨な散らかりようだった。決して汚れているわけではない。単純に、物の量が多い。


「これは酷いな」


 廊下に無造作に積み重なった書物の山を見て、トウヤは顔を顰める。


 人一人が通れる限界まで狭められた廊下を一列に進み、先頭のルリが一室の戸を開けると、目的の人物と思われる男がいた。


 机にぐぐぐと顔を近付けている白髪頭の男。無造作に伸びた髪は真っ白だが、袖から覗く肌を見るにそこまで歳を重ねているわけではなさそうだ。手に持った円形で厚みのある硝子を通して食い入るように書物を見つめるその男は、来訪者に気付いていないようだった。


「キキョウ先生、お客様ですよ」


 ルリが少しだけ声を張れば、キキョウと呼ばれた男は書物から解き放たれたかのようにはっと顔を上げた。やはり年配ではないようだ。歳は四十手前に見える。


「ああ、ルリくんか。……と、どちら様?」


 彼はハツメたちを見て顎に手をやると、こてりと首を傾ける。


「レイランから貰った手紙に、貴方を訪ねるように書いてあったんです」


 ハツメはそれだけ言うと初対面の相手の反応を窺う。


「レイランくん? なんでまた……」


 視力が悪いのか、キキョウは目を凝らすようにハツメを観察する。


 彼はハツメの顔を見た後に腰の辺りまで目線を落とすと、目を見開いた状態で固まった。


「ちょ、ちょっと待って。……えーと、ルリくん、他の部屋を掃除してきてもらっていいかな。話が終わったらここも頼むから」


 分かりました、ルリはそう言って微笑むと、一礼して部屋から離れていった。


「ささ、君たちは早く部屋に入って」


 狼狽えながらキキョウはハツメたちに入室をせっつくと、がたりと椅子から立ち上がり部屋をうろうろし始める。三人は床に散乱した書物や筆などを踏ん付けないよう気をつけて部屋の奥へと進んだ。


「椅子に座っていいよ」


 がさがさと音を立てて物を探しているキキョウの言葉を受けて、三人は机の周囲に少し場所をつくってから、椅子を引いて腰掛ける。机の上にも大量の書物。正直なところあまり居心地の良い部屋ではない。


「ああ、あったあった」


 そう言ってキキョウは三人の前に湯呑みを三つ並べる。ちゃんと書物をよせ、上に置かない辺りは知識人か。彼は机に置かれていた金属製のやかんに手を伸ばすと、順に湯呑みに注いでいく。意外と綺麗な所作だった。


「いちいち茶を淹れるのが面倒臭くてね。冷茶で申し訳ない」


 彼は自分の湯呑みにも薄緑色の液体を注ぐと、椅子に腰かけはぁーと長く息を吐いた。


「で、レイランくんからなんて言われて来たんだい? 谷の娘さんは」


 キキョウは眉を寄せながらぐしゃぐしゃと頭をかく。茶まで淹れてくれた割には、歓迎しているわけではなさそうだ。


「えっと、まずは突然お伺いしてすみません。レイランから貰った書簡に、海ノ都に着いたら貴方を訪ねるといいと書かれてまして……あと、この書簡を渡してくれ、とも」


 ハツメは遠慮がちにそう言うと、キキョウに黒の書簡を渡す。それを見たキキョウがひくっと片頬を引きつらせて、


「黒かぁ」


 と苦笑いしながら受け取った。


 彼は封を開ける前に、机の側に置いてあった燭台を手繰り寄せる。まだ昼下がりだが、キキョウの手によって燭台の蝋燭はぽうっと赤い炎を上げた。


 キキョウは書簡を読む間、特に何も話さなかった。顔にもこれといった感情を出さなかったように思える。先程の狼狽えていたときとは違い、黙って文字を追う彼は知的で、落ち着いた大人の魅力を放っていた。


 最後まで読み終えたらしいキキョウは静かに顔を上げると、疲れたように息を吐く。


「まったく、レイランくんもとんでもない面倒事を寄越してくれたものだ……」


 キキョウはそう言って頭をかくと、燭台に黒い書簡を近付けた。蝋燭の炎がじわりと黒を侵食する。書簡はかさりと音を立てると、白い煙をたなびかせながら燃え、消えた。


「まあ良いよ。黒の書簡なら拒否権はないし、ここにいる間の面倒はみよう。……少し話をしようか」


 初めて見せる男の真剣な表情に、三人はこくりと頷いた。

お読み頂きありがとうございます。

先生の話まで入れず申し訳ございません。

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