第六十九話 辺境の漁村
潮風に乗って飛んできた細かい砂が、ハツメの顔にかかる。ぱっぱと手で払うこの動作は今日何度目だろうか。さすがに嫌になってくるが、それでも松の木がある程度防砂の役割を果たしてくれている。何も無いところを歩くよりはましなのだ。
左手に海を眺めながら松林を歩く三人は、崖から見えた小さな村を目指して進んでいる。
本当ならばせっかくだし波打ち際を行きたいのだが、あんな見晴らしの良いところで歩いていたら人目に付くことは間違いない。近辺の様子を知るために人と接したいのは山々なのだが、それを控えたい一番の理由はハツメの服装にある。
青狼蘭の儀を終えた直後の襲撃からそのまま追い立てられるように逃げてきたため、ハツメは儀式の衣装を纏ったままだ。いくら装飾品を外してきたとはいっても、全身青色で固めた姿は物珍しいどころではない。怪しまれるのだけは避けたかった。
集落のはずれに来たとき、先頭を歩いていたトウヤが足を止めた。
「ハツメ嬢、俺が衣服を調達してこよう。他にも貰えそうなものがあったら頂いてくるから、ここで待っていてくれ」
そう言ってトウヤは堂々とした様子で一人集落に入っていった。
ハツメとアサヒが物陰から応援する思いでその様子を眺める。
トウヤは辺りを少し見渡すと、一軒の家の戸を叩く。顔を出した女性に軽く挨拶をすれば、そのまま招き入れられるように家の中へと消えていった。
「ハツメ、大丈夫か」
上から降りかかった声にハツメが顔を上げれば、隣に立つアサヒが心配そうに彼女を見下ろしていた。
「突然どうしたの? 大丈夫よ。さっき嫌な顔してたのは、砂が顔にかかっただけだから」
「いや。嫌な顔というより、辛そうな顔だ。ここずっと、ふさぎ込んでる」
真っ直ぐに見つめてくるアサヒに、ハツメは目が離せなくなる。アサヒが今のようなひたむきな眼差しを向けるときは、彼女が大抵悩んでいるか、落ち込んでいるときだ。昔からハツメに嘘をつかせない目だった。
「ありがとう、アサヒ。平気よ、一人じゃないもの」
「そう。言いたくなったらいつでも話してくれ。お互いさまだろう」
ああそうだ。嘘はつかせないが、無理には聞いてこないのだ。ハツメはそう思い出して、まだ自分を見つめるアサヒにこくりと頷いた。
程なくして、トウヤが帰ってきた。その手にあるのは女性用の着物が一つ。
「何だか色々と世話して貰えることになってな。同行者がいると言ったら一緒に連れてこいとのことだ。とりあえずハツメ嬢の着替えだけ頂いてきた」
「色々と、というのは……」
「まぁ、食事や寝床、旅の支度諸々だろうな」
トウヤは何でもないように話しているが、こういうことはあまりないはずだ。せめて、もっと時間をかけて相手の信用を得るなり、交渉するなり、苦労が必要なはず。彼の対人能力の高さにアサヒとハツメは改めて驚いた。
「たったこれだけの時間でそこまで話をこぎつけるとは……知ってはいたが、お前凄いな」
「まあな。褒めて頂いて何よりだ。さあ、着替えてくると良い、ハツメ嬢」
トウヤは得意げな顔で口角を上げると、ハツメに薄桃色の綿の着物を手渡す。
「ありがとう。本当に、トウヤがいてくれて良かった」
そう言って着物を受け取るとハツメは林の陰に消えていった。
ハツメを見送ったトウヤがおもむろに口を開いた。
「今なら何でも出来そうな気がするな」
「悔しいが気持ちは分かる」
ハツメが普通の格好に着替えると、三人は先程の民家にお邪魔する。
戸口を開けたトウヤが軽く目を見張った。
「おや。ご婦人が増えているな」
「お隣に自慢したら何だか話が広がっちゃってさ! 色男って言ったら皆見たいって言うから……」
「本当に色男じゃないの!」
きゃいきゃいと村の女性たちが騒ぎ出す。少女から明らかに子持ちだろう女性までざっと五人はいるだろうか。
「でも、てっきり男女二人の駆け落ちかと思ってたのに、まさか男二人と女一人とは……」
「そういえば、同行者が二人とは言ってなかったな。すまぬ」
「いいのいいの! こんな辺鄙なところで素敵な殿方を見られるなんて、貴重だからさ! ……ところで、どっちが女の子のお相手だい?」
「どっちが良いと思う?」
トウヤがにやりと笑う。
「それは難しい質問だね。どっちも村に欲しいくらい良い男だからさ!」
あっはっはと大声で笑う女性たちと一緒になり、さりげなく支度を手伝い出すトウヤ。その打ち解けた様子を見て、ハツメはぽかんと口を開ける。
「なんか、やっぱりトウヤって凄いわ……」
「いくら必要とされても、ああはなれない……尊敬はするが」
アサヒは苦々しい顔でトウヤと女性たちのやり取りを眺めていた。
第三章はじまりました。
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