第七話 これから
両親にとんと身体を押されたハツメとアサヒはそのまま向き直り、鬱蒼とした森へ向かって走り出す。
真夜中にもかかわらず辺りは明々としている。
視界が白んでいるのは霧ではなく、煙のせいだ。
何かを焦がした臭いがする。
轟々と燃える音が耳を侵す。
ハツメは振り返ることができず、叫び出したいの我慢しながらただひたすら走り続けた。
「ここまで来ればもう大丈夫でしょう」
かなり遠くまで来たようだ。気の遠くなるような長い時間だったが、感覚のせいだけでもなかったらしい。
はっはっと息苦しそうに呼吸するハツメはそのまま地べたに座り込んだ。地面は冷たく湿っている。
アサヒも木に寄りかかると、ずるずると落ちていくように座り込む。
「お二人とも脚が速いため助かりました」
シンはふぅ、と息を吐くと荷を解いていく。
「今日はここで休みましょう。跡が残るので火は起こせませんが、少しでも温かくして休んで下さい。食欲もないかもしれませんが、一口でも食べて頂ければと思います」
そう言ってアサヒに保存食と見慣れぬ筒を差し出す。アサヒは気だるげな動作で受け取ると小さく一口かじる。
「ハツメ様も」
同じく差し出されたものを受け取る。
干し飯だ。いつも食べている保存食をがりっと噛む。口に入れたは良いが、飲み込むのには相当の気力が必要だ。
見慣れぬ筒の正体は金属製の水筒だった。ハツメの周りで金属といえば鉈とか鍋とか、魚を突き刺して焼く串くらいにしか見たことがないため驚きだ。薄く叩かれて作られた歪みのない水筒は作った職人の高度な技術が窺える。
くいっと蓋を回して口をつける。一口水を飲むと、乾燥し傷付いた喉に染みて痛かった。ほのかに血の味がした。
いつの間にか眠っていたようだ。
ハツメは地べたの感触から顔を離すと、瞼を押さえる。寝ている間も泣いていたのだろうか、目が腫れていた。ひどい顔をしているに違いない。
「おはよう、ハツメ」
声の方を見ると、アサヒが既に起きていた。
頑張って笑顔を作っているが、目の下にはくまが出来ている。
「おはよう、アサヒ」
ハツメもアサヒに答えるように笑顔を作る。
がさがさと草を分けてシンがやってきた。
「おはようございます、ハツメ様。朝飯を食べましたら、今後のお話を致しましょう」
朝飯は魚の塩干しだった。食欲は全くわかないが、身体が動かなかったときを考えると少しでも食べなければならない。自分の今後などまだ考えられないが、アサヒの足手まといにだけはなりたくないとハツメは思っていた。
腹ごなしを終えるとシンは再度周囲を見渡してから、話し始めた。
「さて、今後のことですが、まずはこのまま山ノ国へ向かいたいと思います。国境の町ウロを抜け、山ノ国の都であるコトブキへ入ります。理由としては山ノ国には私の旧知の方がおり身を隠しやすいこと。そしてもう一つ、大事なことなのですが、谷ノ国がなぜ攻められたのか、山ノ国へ行けば分かるのではないかと思っております」
確かに、攻めたところで何の旨みもない、俗世を離れた谷ノ国をどうして錫ノ国は最初に狙ったのだろう。第二王子は死んだことになっているのだからアサヒを狙ったということもない。ハツメも不思議に感じた。
「如何でしょうか、アサヒ様」
シンの問いにアサヒはやり辛そうに口を開く。
「ええと…… シン、さん」
「シンで構いません」
「では、シン。その、うやうやしく接するのは止めてくれないか。シンの主は俺の産みの母であって、俺ではないだろう」
「しかしアサヒ様のお母上であらせられますアカネ様は私に貴方様を守れ、とおっしゃいました。私の主は生涯アカネ様ですが、同時にアサヒ様も私の主なのです」
ハツメは、シンが初めからヒダカではなくアサヒの名を呼んでいることから、そのアカネという女性の意図を大切に守り、アサヒが傷付かないよう気を遣っていると感じていた。シンという男の忠誠には一点の曇りもない。
アサヒは少し悩んだ後、
「分かった。シンが主と思ってくれるならそれでも良いが、辞めたくなったらいつでも辞めて構わない。あと、何の経験も無い俺よりシンの方が判断力も含め優れているのだから、当分の判断はシンに任せる」
信用しているから、と付け加えるとシンは深々と頭を下げた。




