第六十八話 代償の先に
橋を駆け抜けながら、シンはアサヒの背中を見つめる。
アサヒ様はアカネ様に似ている。
外見だけでなく、内面も。
素直なところはもしかしたらお母上譲りなだけではなく、ハツメ様の影響も大きかったのかもしれないが。
いずれにしても、お会いできてよかった。
このような形ではあったが、アカネ様が見られなかった外の世界をアサヒ様にお見せすることが出来た。
そのご様子を隣で眺めていられた自分は幸せだった。
出来ることならばお二人が揃ったところでお仕えしてみたかったと、そう考えてシンは苦笑した。
だから自分は駄目なのだ。
主がどれだけ欲しても叶わなかったことを、自分が望むなどおこがましいにも程がある。
神宝にしてもそうだ。
アカネ様自身が生き返ることを望むわけがないというのに。
シンはゆっくりと口を開いた。
「アサヒ様」
呼ばれたアサヒは一度走る速度を緩め、シンに並ぶ。
「このまま街道を行く方が海ノ国には近いのですが、この見晴らし、あの敵の人数では必ずや追いつかれるでしょう」
穏やかな口調でシンは続ける。
「あの左手に見える丘を越えると森があります。森に入り相手をまいたら、そのまま北にお進み下さい。森は迷いやすいですが、とにかく北に進みさえすれば海ノ国に出ます。それからは海岸沿いの村を渡って東にいけば、自ずと都には着くでしょう」
「……急にどうした」
それではまるでここで離れるみたいではないかと、アサヒは目を見開いた。
「私はここで足止めになります」
シンは柔らかく目を細めると、アサヒ様、と静かに主の名を呼んだ。
まだ伝えなければいけないことがある。
「アサヒ様に黙っていたことがあります。錫ノ国の国王が、神宝とハツメ様を使って……アカネ様を蘇らそうとしております」
アサヒの息を飲む音が聞こえた。
「許されることではありません。……ありませんが、その話を聞いたとき……アカネ様のいる未来を、一瞬でも私は想像してしまいました」
私は従者失格です、とシンは目を伏せる。
「せめて、最後は己の使命を全うさせて下さいませ、アサヒ様。……アカネ様と、貴方様にお仕え出来て私は幸せ者でありました。最後までお供出来ない不忠をお許し下さい」
そう言ってシンは振り返る。
天比礼の光は消え、相手は既にこちらに向かってきていた。
「おい……待て。許さないぞ、シン!」
「誰かが残らなければならないのです。……どうかアサヒ様。アサヒ様は、周囲に惑わされず、御自分の道を貫き通して下さいませ」
主に背中を向けたまま、刃を構えるシン。
アサヒは橋を戻りシンに手を伸ばそうしたが、トウヤに阻まれた。
無言で自分の右腕を掴むトウヤに抵抗しようとしたアサヒだが、ふと左にも違和感を感じ、視線を移す。
ハツメもまた、アサヒの袖を掴んでいた。
辛い決断に顔をくしゃりと崩す彼女を見て、アサヒははっとする。
彼は一度口をぎゅっと結ぶと、声の限りシンに叫んだ。
「シン! 必ず戻って来い! ここで別れるなど、母上も俺も許さないぞ!」
そう言って、再び対岸へ身体を向ける。
三人は互いに何も言わないまま走り出した。
背後は一度も振り返らなかった。
「私たちを一人で食い止めるなどできると思っているのかしら」
武器を構え冷笑するカリンとリンドウに、一人残った青年は対峙した。
胸中をすべて吐き出したからだろうか。
死地だというのに、自分で驚くほど彼の心は凪いでいた。
月の位置を見て、体感だけでなく実際にも相当の時間が経ったとシンは感じた。
思わぬ苦戦にカリンたちは戸惑っている。
とはいえ長時間一人で戦ったシンの方が限界が近く、胸部や四肢の傷はまだしも、カリンによって頭部を切られていた。
流し過ぎた血に、シンの頭がふらりと揺れる。
目に入りそうになる温かい液体を左手で擦りながら、彼はぼんやりと考えた。
これだけ時間を稼ぐことが出来れば、アサヒ様たちは無事に逃げられる。このまま自分は楽になれるだろうか、と。
欄干の近く、カリンの鋭い刃がシンの胸を貫こうと迫る。
このまま死ぬかと思われた直前。
アサヒの言葉が彼の頭をよぎった。
必ず戻ってこい――
ここで死のうと思っていた。
だがもし仮に、この罪が許されるのならば。
先ほどのお言葉を守ることができるだろうか。
可能性は低い。それでも、尊い主の言葉なのだから。
ふらつく中、シンはカリンの剣をかわすように、橋から身を投げた。
さほど水飛沫は上がらず、シンは冷たい川の水に抱き込まれる。
川の中から空を仰いだ。
白く輝く満月が揺らいでいる。
自身の血が川の水に流れ出し、幾つもの筋をつくり、漂っていく。
似ても似つかないというのに、あの夕暮れ、離宮で見た湖面に映る赤いすじ雲を思い出す。
今は亡き主が近くにいるような気がして、シンは薄れ行く意識の中、穏やかに目を閉じた。
シンの話の通り森へと逃げ込んだ三人は、追っ手が来ないのを確認して北へ北へと進んだ。
会話は少なかったが、おそらく心中は三人とも同じ。
暗い道中だった。
花ノ国を出てから一週間が経っただろうか。
ハツメたちは森を抜けた。
日の光を浴びようと、見晴らしの良い崖に出れば。
その先には見たことのない光景が広がっていた。
どこまでも広がる青く波打つ水流。
聞いたことのない穏やかな波のさざめきが耳に心地良い。
爽やかな風が潮の匂いを運んできて、三人はそれを胸一杯に吸い込んだ。
「海だ」
「海……よね」
「海だな」
それっきり言葉もなくただ眼前の景色を眺めていた。
しばらくしてアサヒがぽつりと呟いた。
「……シンは海ノ国出身だったな」
「そうね」
ハツメがアサヒを見て穏やかに微笑む。
「次に会ったら、感想を教えよう。あまりに圧倒されて、良い言葉が浮かばないが」
「うん。きっと喜ぶわ」
シンは必ず戻ってくると、アサヒは信じることにした。
風通しが良くなった心にすっと潮風が流れ込む。
胸に沁みていくその独特の香りに、アサヒは柔らかく目を細めた。
こうして三人は海ノ国へ入った。
海ノ神から生まれた天宝珠。その手掛かりを探すため、三人は海ノ都を目指して海岸沿いに東へ進む。
お読み頂きありがとうございます。
こちらで第二章 花ノ国編は終了になります。
改めまして、読者の皆様には心より感謝申し上げます。今後とも邁進してまいりますので、完結までしばらくお付き合い頂ければ幸いです。




