第六十六話 シン 二
「手を出してはいけませんよ、シン。早く貴方だけお逃げなさい」
緊張した面持ちでシンを見るアカネ。いつものゆったりとした雰囲気は消え、かたい口調だった。
急いているのだろう、その間にも男たちはアカネに切りかかる。
ここで彼女を見捨てて逃げるなど。
「――そんなことできません」
シンは自身の剣を抜き、男を一人返り討ちにした。
そのまま二、三人を薙いだところで、兵士たちはシンに敵わないと分かったのだろう。計画を変えることにした。
「賊が侵入したぞー!」
一人の男が太く大きな声で叫ぶ。一旦アカネは諦めても、シンだけは始末するつもりらしい。
つい先程まで静かだった昼下がりの森がざわざわと喧騒に覆われる。
男の声を受けて兵士たちが集まってきたのだ。
「シン」
小さく、だがしっかりと彼の耳に響く声でアカネはシンに呼び掛ける。
返り血を浴びている彼がアカネに視線を移せば、彼女は強い瞳でこちらを見つめていた。
「私と運命を共にして頂けますか」
そのときシンは、彼女の内に燃えるような情念を見た。
儚げな容姿にも関わらず、これまでシンが出会ってきた誰よりも、アカネは心の芯に熱い炎を宿していた。
彼女の放つ熱に圧倒されたまま、しかし心から、彼はこくりと頷いた。
「何事です?」
集まった兵士の中から、色鮮やかで華美な着物に身を包んだ女性が歩いてきた。一回りとはいかないが、アカネよりも明らかに年上だ。
珍しい栗色の髪をした美人。近寄り難い印象を受けるのは他者を排するような見下した目をしているからか。
「クロユリ様! それが、宮殿の森を見回っていたところ賊を発見致しまして。第二夫人に手を掛けようとしていた為、人を集めました」
「あら。それは、只事じゃないわね」
クロユリは兵士から話を聞くと、冷ややかな目でアカネたちを見た。
「賊なら早く討ち取らねば。一緒に殺されたいならまだしも、男から離れなさいな。アカネ」
アカネが小さく喉を鳴らした。
彼女はシンの前に立つと、庇うように両手を広げる。
「何を馬鹿なことを。この男は私が側近に召し上げようと呼び寄せたのです。賊なわけがないでしょう」
「側近……?」
「ええそうです。前々から目を付けていたのです。貴方の部下には申し訳ないですが、渡すことなどできませんよ」
クロユリは軽く目を見開く。
驚くような、心外そうな表情が少し続いた後、彼女はにんまりと意地悪そうに笑った。
「その言葉、偽りはありませんか」
「ありません」
「だとすれば当然、陛下にお伝えしてもよろしいのよね?」
「もちろんです」
アカネはきゅっと口を結んだ。
「……そう。そういうことであれば、私の部下が失礼をしましたね。勘違いだったとはいえ貴方を思っての行動なのだから、許してあげてね」
「ええ。こちらこそ誤解させてしまい申し訳なかったわ」
シンはその日宮殿内の、下働きが集まって生活する一室に入れられた。下働きの部屋はいつでも呼び付けに対応できるよう、一歩回廊に出ればアカネの部屋の入り口が見える。
だが今夜は、決してこの部屋から出るなとシンは言われた。その忠告を素直に聞けば良かったのだが、あんなことがあった後でじっとしていることなどまだ若い彼には難しかった。
元々錫ノ国の者ではない上、行商というはっきりした籍を持たない人間が王族の側近など、本来考えられないことだ。こんな自分を側近にしてアカネ様は大丈夫なのかと、彼は心配だった。
だから、つい部屋の襖を開けてしまった。出歩くわけではない。ただアカネの部屋の様子が分かればそれで良かったのだ。
シンが襖を少し開けた瞬間、眼前を一人の男が通り過ぎた。
歳は四十を超えているか。クロユリよりも年上に見えるが、年齢を感じさせない見目麗しい男。艶のある黒髪が一層若々しさを感じさせる。
だが、その男の美しさについてシンはそれ以上気にならなかった。印象深いのは、その男のもつ刺々しい雰囲気。目付きは鋭く、ただ眼前を見据える無表情からは何を考えているか分からない。それだけならまだしも、その男の目がシンに恐れを感じさせた。
深淵の闇に繋がるような、淀んだ瞳。にもかかわらずそこに宿すのは負の感情だけではなさそうで、彼はそこに未知のものを見た。
男は下働きの部屋から覗くシンには気付かず、そのままアカネの部屋へと入っていった。
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