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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第二章 花ノ国編
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第六十話 逸走 二

 抜け穴を使い草原へと出たハツメは周囲を見渡し、深く息を吐く。

 今から為すべきことに頭を集中させる。

 不安や動揺は心の奥底に押し込み、生きる意志が霞まないように。


 涼風がくすんだ淡黄色の草原を吹き抜ければ、からからと金属が擦れる音がする。


 それは四方から。


 ハツメたちは武装した一群に囲まれていた。


「アザミの話もまんざら嘘ではなかったようですわね」


 暗がりから聞こえる満足気な女の高い声。

 軽い足取りで地面を踏む音と共に、その姿が月光のもとに晒される。


 三剣将、カリン。


 細身の剣を抜いた彼女が侮蔑するような目でこちらを見つめていた。山ノ国で見た軍服、外套姿ではなく、普通の衣に袴姿、動きやすいようにか襷をかけている。


「……抜け道を知られていましたか」


 シンとアサヒが剣を抜き、トウヤが弓を構える。ハツメも天剣(あまのつるぎ)に手を掛けた。


 瞬き一つで戦闘の火蓋が落とされそうな、張り詰めた空気。地面からの冷気が足を絡め取るように纏わりつく。無言の中、互いの出方を探り合うように視線だけが動く。


 そんな緊張の場を壊すかのように、砕けた調子の気安い声が響いた。


「カリン姐さーん。御所の陽動終わりましたけど、あぶり出しどうっすかー?」


 声の主はまるで緊張感のない様子でカリンに近付いてくる。すっきりと締まった体躯、襟足を鎖骨下まで伸ばしているのが特徴的な、中々に整った顔立ちの男だった。


「……空気を読みなさい、リンドウ」


「あ、上手くいってたんですね。しつれーしました」


 カリンに睨まれたその男は四人の顔を順に見る。シン、トウヤを流し見てからアサヒに目を留める。そして最後にハツメを上から下まで無遠慮に眺めると、口の端を上げた。


「なんか話より一人多くないっすか?」


「山ノ国で見た男ですわね。アザミは知ってたのかしら……まぁいいわ、当初の予定に変更はありません」


 カリンは抜き身の刃を四人に向け真っ直ぐ伸ばす。


「おやりなさい」


 その一言で錫ノ国の兵士たちは一斉に四人へと駆け出した。




「さて、どうする」


 向かってくる相手の喉笛に矢を命中させながらトウヤが問う。


「都に戻る選択肢は……ないな。大河を渡り振り切るしかないか」


「アサヒ様」


 険しい顔のアサヒにシンが申し出る。


「それならば二手に分かれ橋を目指すのがよろしいかと存じます。……相手の戦力を分断せねばこの人数差、正直苦しいかと」


 敵の標的を一つに絞るよりもあえて分散させた方が良いとシンは言う。賭けではあるが、彼がわざわざ申し出るということはそれだけの状況なのだ。


 アサヒはほんの一瞬、決断をとどまった。


 標的は間違いなく自分とハツメ。

 二手に分かれるならばシンは間違いなく自分に付くだろう。そうなればトウヤがハツメに付くのは必然。トウヤの実力は十分信頼しているが、それでもハツメと離れるのは……躊躇われる。


「アサヒ」


 ハツメが剣を持つアサヒの手を、上からそっと握る。


「大丈夫だから。橋で会いましょう」


 決意の込められた彼女の深い黒の瞳。珠玉のようなその輝きに吸い込まれるように、アサヒはこくりと頷いた。




「二手に分かれたようだな」


 様子を見ていたエンジュが姿を現した。


「従者は私が頂きますわよ」


 カリンは山ノ国にて彼に辛酸を舐めさせられている。あの屈辱を思い出し今も腹の底がぐつぐつと煮立っていた。


「俺はもちろん女を貰って良いんすよね」


「……好きになさい。念のためですけど、エンジュは第二王子をお願いしますわね。無傷の条件付きだと一般兵には荷が重いでしょう」


 再度分担を確認した三人は慣れたように目を合わせると軽く頷く。


「しっかしイチル様も分かりやすいですよねー。さっき一目であれがお話の第二王子だと分かりましたよ、俺」


 リンドウがにやりと笑った。カリンの神経を逆撫ですると知っておきながらのこの発言だ。カリンの目が険しくなる。


「無駄口叩いてないでさっさといけ!」


「はーい姐さん」


 リンドウは機嫌良さそうにハツメとトウヤの逃げた方向へ駆けて行った。

 それを見やってからカリンとエンジュも逆方向へと走り出す。

 交戦するシンとアサヒを遠目に視認しながらエンジュが口を開く。


「しかしリンドウは、まだあの悪癖が治らんのか」


「治ってたらとっくの昔に王都に戻ってますわよ」


 カリンが呆れるように息を吐く。


「さあ急ぎましょう。早くイチル様の元へ帰らなければ」

お読み頂きありがとうございます。

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