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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第二章 花ノ国編
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第五十八話 青狼蘭の儀 

 レイラン、ヒメユキと食事を共にしてからさらに1か月程。

 ハツメは奉納舞踊の稽古を無事終え、ついに今夜、青狼蘭の儀に臨むことになった。


 アオイ御所の回廊を進む。

 満月の光を浴びた庭園は明かりがなくとも葉の色合いまではっきり分かる。葉の先だけ赤くなった椛が、秋の訪れを控え目に教えてくれていた。


 初秋、1年で月が最も地上に近付く夜だった。


「こっちじゃハツメ」


 レイランに連れられて御所の一室に入れば、儀式の準備の為に女官が数人集められていた。


「お待ちしておりましたレイラン様、そしてご友人様」


 女官たちはうやうやしく頭を下げる。ハツメが部屋を見渡せば、曇りのない鏡台に櫛や化粧道具などが揃えられている。横には焚かれたお香の煙が一筋、甘く漂っていた。


「ハツメ。これが青狼蘭の儀の衣装じゃ」


「これって……」


 楽し気にレイランが指した方を見やり、ハツメは目を見開いた。




「準備ができたようだ。私たちも行こう」


 別室で待機していたアサヒたちは、女官の報せを受けたヒメユキの声で腰を上げる。

 彼の手には白い布で包まれた桐箱。中に納められているのが天比礼(あまのひれ)だという。


 青狼蘭があるのは御所から繋がる地下洞窟の中にある。アサヒが先日その話を聞いたとき、真っ先に異能でみた光景が浮かんだ。

 三剣将の1人が潜り込んでいた可能性があることは既に今回の関係者には話してある。それもあり、アサヒたちの同行が許されたのだ。


 ちなみにアサヒの異能についてはレイランもヒメユキもあまり驚かなかった。実際に天比礼(あまのひれ)の力を知っているからだろうか、人智を超えたものの存在を否定はしなかった。


 地下洞窟へ繋がる入り口に着けば、既にハツメとレイランが待っていた。


「美しいな、ハツメ嬢」


 トウヤが目を細める先には儀式の衣装を纏ったハツメの姿。柔らかく豊かな髪を纏め上げ、顔には薄っすらと化粧が施されている。生気に満ちた目は目尻から少し上がるように墨が引かれ、控えめな口元には淡く薄付いた紅。


「トウヤ、恥ずかしいわ」


 ハツメは手で顔を隠しつつ、遠慮がちに笑った。


 彼の方はどうだろう、そう思って何気なく視線をアサヒに移すハツメ。


 目を見張った。


 言葉なく自分を凝視する彼をハツメもまた数秒見つめると、切な気に微笑んだ。


「やだアサヒ、泣かないでよ」


 周りがぎょっとしてアサヒを見る。


 一拍置いて、アサヒは自身の頬に触れる。手を離せば、指に滴が付いていた。ハツメに言われるまで気付かなかった。


「あの四神祭の日、話したものね」


「……ああ」


 本当に他愛もない会話だったが、こんなに心に息づいていたとは思わなかった。もう見られないと思っていた、四神祭の衣装。


 ハツメは四神祭の際に案内役が着る、花ノ神の衣装を纏っていた。上から下まで濃淡様々な青で満たされている。清らかな青を纏ったその姿は、まさにあの日2人で想像したささやかな未来に他ならなかった。


「……すまない。もう大丈夫だ。行こう」


 アサヒは目頭を軽く押さえながら謝ると、周りも彼を気遣い、特に何を言うこともなく進み出した。




 このまま階段を下り地下廊を進めば、自然がつくりだした地下洞窟に繋がっていた。


「やはりアザミがいたのはここですか、アサヒ様」


「間違いない」


「侵入されていたとはのう。不覚じゃ」


 立ち直ったアサヒにシンが問えば、一行の警戒心が強まる。


 しばらくして心地良い花の香りが漂うと、通路の左側にそびえ立つ大きな鉄の扉が見えた。上品な装飾のされたそれ扉の錠前をレイランがはずす。重そうな扉だが、レイランの軽い一押しでゆっくりと開き始めた。


 そこは広い空洞になっていた。丁寧に削られた床は平らに広がり、奥の祭壇へと繋がっている。天井は地下だというのに不思議と高い。周囲の壁からはさらさらと水が流れ落ち、空洞を囲うように掘られた溝から祭壇の下へと伝う。


 祭壇の上には大きな岩。

 その岩にぴたりと根を張って、青狼蘭はあった。

 数本の茎に瑞々しい葉を付け、上から注がれる光を受けて青く透けているように見える。

 花弁は瑠璃色。その生命の強さを主張するかのような、鮮明な青だった。


「綺麗って言葉じゃすまないのだけど、言葉が見つからないわ……」


「何度見ても言い表せぬ。花ノ神の化身じゃ」


 レイランもうっとりと眺めている。


「早く始めるぞ。花ノ神も待ち遠しいだろう」


 穏やかな口調のヒメユキに促され、儀式は始まった。


 ヒメユキが石床に直に座り笛を吹く。

 ハツメは祭壇の前に立ち、そのな笛の音に合わせて奉納舞踊を始めた。

 衣装の上に纏うは天比礼(あまのひれ)

 青狼蘭と同じ瑠璃色の布は両端が幾筋かに分かれており、ハツメが身体を振ればゆらゆらと空を漂う。


 ハツメが舞い始めると天比礼(あまのひれ)は柔らかい光を帯び、彼女の動きに合わせて繊細な青の輝きを放ち始めた。その輝きは細かい粒をつくり、青狼蘭へと波打つように流れていく。

 やがて青狼蘭も同じような青い輝きを持ったかと思えば、その煌めきは岩を下り、祭壇の下へと流れる。


 すると、祭壇へと流れていた水が緩やかに逆流を始めた。水は青く煌めきながら、祭壇から溝、周囲の壁を登り地下洞窟のどこかへと流れていく。


 この水はどこから来ているのかなど考えられなかった。見たことのない神秘の光景に、全員が目を奪われ理屈で考えることを放棄させられた。

 レイランやヒメユキも同様である。このような現象は皇族の彼女らにとっても初めてだった。




 奉納舞踊が終わると、水の流れは再び戻り始め、青い輝きは収まっていく。

 ほどなく待てば儀式の前の状態に落ち着いた。


「ハツメ。ありがとうの。大成功じゃ」


 レイランが興奮した面持ちでハツメに駆け寄る。肩で息をするハツメだったが、表情は穏やかだ。


「良かった、レイラン」


 儀式の余韻に浸っていた一同だった。


 しかし、突如ヒメユキがぴくりと動き、レイランに声を掛ける。


「レイラン、少し出てくる。直ぐに戻る」


 そう言っている間にもヒメユキは扉へ向かい、あっという間にいなくなった。出ていく間際に見せたその横顔は険しいものだった。


「何かあったのか」


 アサヒがレイランに問う。


「……兄者は耳が良いからの。何かあったのかもしれん」


 そう言う少女の声は重く、緊張が含まれていた。


 それほど待たずヒメユキは帰ってきた。

 出て行くときの固い顔には、さらに焦燥の色が足されている。


 まずいことになったと、彼は早口で紡ぐ。


「御所を正体不明の集団が囲んでいるそうだ。向こうからは仕掛けてこないが、何かを待っている。十中八九錫ノ国だ。狙っているのはおそらく」


 ヒメユキは一呼吸置いた後、はっきりと言った。


「お前たちと神宝(かんだから)だ」

お読み頂きありがとうございます。

要らぬ補足かもしれませんが、四神祭でのアサヒとハツメの会話は第二話にございます。

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