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谷の橋姫 錫の日高  作者: 古千谷早苗
第二章 花ノ国編
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第五十七話 アザミ帰還

 錫ノ国、王都の最奥に建てられた宮殿の中心部に、第一夫人クロユリの部屋がある。

 クロユリの実の息子であるイチルは最近久しく途絶えていた母親からの呼び出しを受けていた。

 イチルの背後には三剣将のカリンとエンジュが控えている。


「それで、ここ最近の進捗はどうなのです。イチル」


 不機嫌に扇子を仰ぎながらクロユリは話を切り出した。

 普段もイチルの後ろから母子のやり取りを見ているエンジュは、呼び出しの用件が陛下の愚痴ではなかったことに驚く。


「上々ですよ、母様。みな良くやってくれています」


 イチルは優しく微笑むが、クロユリは険しい顔を崩さない。


「本当かしらね。山ノ国は落とせないし、あの女が死んでも何ら変わらないではありませんか。戦から変わったといえば貴方のその右腕」


 そう言ってクロユリはイチルの白手袋を見やる。


「もう動かないのですってね」


 笑みを貼り付けたまま何も答えないイチルにクロユリは続ける。


「ただでさえ欠陥があるというのに、これ以上増やしてどうするのかしら。仮にも私から生まれた子なら、もっと私を喜ばせなさい。一刻も早く大陸を手に入れて、陛下の関心をひくのです」


 イチルの腕が動かないというのは語弊がある。動くこともあるのだ。ただ、剣であったり筆であったり、とにかく自分の意思で何か持とうとすると押さえつけられたように動かなくなる。国中の医師に診せたが、天剣(あまのつるぎ)の力によるものだということ以外分からなかった。


「かしこまりました、母様」


 息子の怪我を心配する気配など微塵もない、母親の心ない言葉。それに対しても嫌がる様子を一切見せずにイチルは頭を下げる。


 エンジュは隣に立つカリンをちらりと見下ろした。

 視線を下げ、無表情で口を閉じている。必死に感情を隠しているが、全身が震えていた。




 どうでもいい陛下の愚痴の代わりに随分と腹の悪い話を聞かされたものだ、そう考えながらエンジュは廊下を進むイチルの後ろを付いていく。大将格にあてられた執務室に戻ったらカリンは荒れるに違いない。どう抑えようか悩んでいると、進路の先に小さな影を見つけた。

 これはまたカリンの神経を逆撫でしそうな人物だとエンジュは眉を寄せる。


「ああ、アザミくん、戻ってたんだ」


「ご無沙汰してました、イチル様」


 愛想良く挨拶するその少年はもう1人の三剣将、アザミだった。


「花ノ国は楽しかった?」


 ちょうど青蘭祭もあったと思うんだけど、と話すイチル。


「いやあ、流石にイチル様はご存知でしたか」


 へらりと笑うアザミを見てカリンは限界が来たのだろう、


「アザミ! イチル様を馬鹿にするのも大概に……!」


 そう言って柄に手をかける。


「いいよカリンちゃん」


 イチルは左腕でカリンを制すと、アザミを見据える。


「父様の任務についてはどうせ答えてくれないだろうから別にいいよ。ただね、花ノ国からの情報がこの間から途絶えちゃってて、何でもいいから教えてくれる? ……これは命令なんだけど」


 にこりと微笑むイチルの表情は穏やかそのもの。口調も優しいものだったが、有無を言わさない何かがあった。


「分かりました。ぼくだって黙って行ったこと、悪いと思ってるんですよ。ちゃんとお詫びに、良い情報を持ってきたんです」


 アザミは愛嬌ある顔でイチルに微笑んだ。




 アザミとの話を終え、イチルとも別れたカリンとエンジュは大将の執務室に戻った。

 着いて早々、カリンは目の前の椅子を蹴り飛ばす。椅子は壁のランプに当たり、双方とも粉々に砕け散った。今が昼間で良かったとエンジュは思う。


「どいつもこいつも……! ふざけんな!」


 息を荒げ叫ぶカリン。

 エンジュは言葉遣いが素に戻っていると指摘しそうになったが、寸前で堪え口を閉じた。どうせ被る火の粉に油を注ぐ必要はない。

 今日はずっとこの調子なのだろうと彼が諦めていると、こんこんと部屋を叩く音がした。


「カリンちゃん、いる?」


 柔らかい声で部屋に入ってきたのはイチルだった。部屋で着替えたのだろう、先程までの軍服姿ではなくイチルにしては珍しい、着物姿だ。黄金と変わった髪色をもつ彼だが、墨色の気取らない紬をさらりと着こなしていた。


「これから息抜きがてら王都に下りようと思うんだけど、カリンちゃんもどう?」


 日中にイチルが出かけることは滅多にない。カリンはしばし固まった後、


「私でよろしければお供させて頂きますわ!」


 上ずった声で答えながら頬を赤らめる。


「良かった。カリンちゃんも着替えておいでよ」


「はい! ……あの、イチル様の本日のご気分は何色でしょうか?」


「じゃあ黄色」


「かしこまりましたわ!」


 そう言ってカリンは足早に執務室を後にした。黄色系の着物を着てくるに違いない。


「エンジュくんはどうする?」


 カリンが出て行くのを見やったイチルはエンジュにも視線を移す。


「いえ、自分は遠慮させて頂きます。どうぞ楽しんできて下さいませ」


 じゃあ行ってくるね、と部屋を出て行くイチルに頭を下げながら、エンジュは考える。まったくもってカリンの扱い方が上手い。参考にしたいが、イチル様でないとああはならないだろうな、と。


 そうやって溜息を吐いたエンジュは、今しがたカリンに壊された自分の椅子を何とかするべく、執務室を後にするのだった。

本日もお読み頂きありがとうございました。

最後のエピソードはおまけです。

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