第五十四話 落ち着いた都
アサヒの異能が出現した日から数日経って、ようやく青狼蘭の儀に向けて奉納舞踊の稽古が始まった。
アサヒの異能でみた光景についてはその力が発現した翌日に4人の中で共有済みだ。シンは異能でみた人物が被衣を羽織っていたと聞くと険しい顔で、
「それは三剣将のアザミという男かと思います、アサヒ様。彼は最年少で大将まで上り詰めた、神童ともいわれる少年です」
そう言うと何やら考え込んでいた。
とはいえその後はアサヒも都の様子も変わりなく、今日はこうして4人でアオイ御所にきている。
「ああ、至極良い眺めだ……おい、肘で突つくなアサヒ」
「悪い、つい」
アサヒとトウヤはハツメの稽古を部屋の隅で眺めていた。2人とも寛いだ様子で腰を下ろし、壁にもたれかかっている。無造作に広がるアサヒの紺色、トウヤの青緑色の袴が薄水色の壁によく映えていた。ちなみにトウヤは山ノ国を出て以来、神官服を脱いでいる。着ているだけで出身国と身分を教えて歩くようなものだから、当然ではあるのだが。
「殿方2人も揃って暇じゃのう」
顔を上げれば、レイランがにんまりと笑って2人を見下ろしていた。
「いいや。美しいものを見たいというのは男の性というものだ。女皇殿」
「口の達者な男じゃ。お主じゃな、山ノ国から来た男というのは」
「ああ、トウヤと申す。ここに来る前まで神伯代行だったが、今は……神官に落ちたのか、それとも籍を外れたのか。勢いで来てしまったからな、分からぬ」
トウヤは口を開けてはっはっはと笑う。
「なるほどのう。ハツメに沈丁花の香りを贈ったのはトウヤじゃな?」
「ご存じか。……まあな、いい香りだろう?」
この女皇殿は花に詳しいのだろうな、そう思ってトウヤは目を細めて答える。
「そうじゃな。しかし女性に自分の好む香りを纏わせるとは、なかなか……うぐ、すまぬアサヒ。そう怖い顔をしないでおくれ」
アサヒ自身は涼しい顔をしているつもりだったのだが、レイランの目には違って見えたようだ。
「いや、顔に出ていたのならすまない」
「アサヒは本当にすまないと思っているのか、最近俺は疑問なのだが……」
「結構アサヒは我儘だからの」
トウヤとレイランが揃って眉を寄せていると、ハツメに稽古をつけていたヒメユキが3人の方に歩いてきた。
彼は笑うでも怒るでもない顔で3人に言う。
「ハツメが言うに恥ずかしいので出て行って欲しいとのことだ」
「わらわは自分の稽古もあるからここに残るぞ。お主らは庭園にでも行ってきたらどうじゃ」
しっしと楽し気に手で追いやるレイラン。2人は誠に不本意ながらも稽古場をあとにした。
レイランの言葉に従って庭園に行けば、遠目でシンと1人の女性が話し込んでいるのが見えた。女性は花ノ国の文官服姿で、真っ直ぐな黒髪を背中まで下ろしていた。
2人が近付いてみれば、その女性の顔がはっきりと目に映る。
「……は?」
「おや、ミヤではないか」
「あら、可愛い殿方が2人も揃って。先日はどうも」
ミヤは首を傾けてにっこりと微笑む。しなやかな髪が白い頬を滑った。
なぜミヤがここにいるのか。
それは彼女とレイランが謁見した、さらに翌日の出来事に起因する。本人の話によるとこうだ。
アサヒたちが錫ノ国の襲撃に応戦した翌日。
ミヤに放った兵士が1人も戻らなかった錫ノ国の派閥は、徹底的に花ノ国の派閥を潰そうと考えた。
実際にミヤも殺される寸前だったそうだが、そこで現れたのが黒装束を纏った謎の男。男は一帯の錫ノ国の兵士を片付けると、ミヤの意識も奪った。
次にミヤが目を覚ましたところは御所の一室で、意識がはっきりしたところで再度レイランと話をした、と。
「なんだか女皇様、私の態度に大層お心を痛めておられてね。あまりに可哀想で…っていうのは冗談だけど。引き受けることにしたのよ、文官になる話」
「文官? 裏町はどうするんだ」
「それがね、私が謁見のときに突っぱねて行われた裏町の大掃除なんだけど、花ノ国の派閥だけ残してくれたのよ。消えたのは錫ノ国と加担してた海ノ国だけ。女皇様は私たちをあえて残して、治安と生活基準の改善に尽くしてくれるそうよ」
ミヤは柔らかく微笑む。
「だから私も文官になって、御所の中から裏町を支えようかと思って。そもそも裏町出の私が文官になれることもおかしいんだけどね。あの女皇様、なかなか変わってるわ」
あの子なら信用してもいいかな、そう言ってミヤは前髪をかき上げる。裏町のときより化粧は落ち着いていて、強い香りも消えている。これが素なのかは分からないが、憑き物が落ちたようにさっぱりとした彼女は妖しい魅力とはまた違った美しさを見せていた。
「それに、御所には黒衣の王子様もいるしね」
ミヤは御所の建物を楽し気に見やる。
百日紅が咲く夏の庭園には、稽古場からの透き通った笛の音が流れていた。
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